_20200122_165401
トーマス・ウールフォーク (アメリカ)
【 1860 ~ 1890 】



トーマス・ジョージ・ウルフォークは、1860年6月18日、アメリカ・ジョージア州ビブ郡で生まれた。

家は大きな綿農園を営んでおり、父リチャードと母スーザン・ムーアの3番目の子供であった。

トーマスが生まれて間もなくスーザンが亡くなり、その為、トーマスと姉妹はジョージア州アテネの母方の叔母と一緒に住む事となった。


1867年、リチャードが再婚した為、トーマスはビブ郡に戻り、リチャードと継母マティー・ハワードと農園で生活を始めた。

しかし、トーマスは継母のマティーを憎んでいた。

リチャードとマティーの間には6人の子供 (トーマスからすると異母兄弟) が生まれるが、その子供たちも激しく嫌っていた。

トーマスの継母や異母兄弟たちへ向けられる悪意の理由は、父親の財産を奪われる事であった。

そんな中、トーマスは結婚するが、妻はたった3週間で出て行ってしまう。

後に妻は
「非常に頑固でひねくれており、不気味な人だった」
とトーマスの事を語っている。

この頃のトーマスは精神に異常をきたしており、非常に不安定な状態であった。


1887年8月6日午前2時から4時にかけて、トーマスは家族を短い柄の斧で頭部や上体を殴り付け次々と殺害していく。

殺害されたのは父リチャード (54歳) 、継母マティー (41歳) 、リチャード・ジュニア (20歳♂) 、パール (17歳♀) 、アニー (10歳♀) 、ローズバッド (7歳♀) 、チャーリー (5歳♂) 、マティー (18ヶ月♀) 、リチャードの叔母テンパランス・ウェスト (84歳♀) の9人であった。

殺害後、トーマスは近所に助けを求め、家族が殺されたと主張し、第3者によって殺害されたと偽った。

トーマスは自分は窓から飛び降りて助かり、その後、中の様子を確認する為に家に入ると、犯人が家から去るのを聞いたと話した。

数時間の内に数千人がウールフォークの家に駆けつけ、検視官がその場で遺体の確認と、唯一の生存者であるトーマスを尋問した。

すると、疑いはすぐにトーマスに集中した。

トーマスの耳に血の斑点があり、足には血の付いた手形があった。

しかも、トーマスは家族が殺されたというのに悲しい感情を一切示さず、悲しさよりも不安な様子であった。

そして、1人だけ生き残った事について問いただすが、その受け答えも曖昧でコロコロと変えた。

また、家には侵入されたり盗まれたといった証拠が何もなかった。

検視官がトーマスを犯人だと結論付け、トーマスは逮捕された。

翌日、ニューヨーク・タイムズ紙のトップページに事件が掲載され、新聞には
「多くの血を流した悪魔による犯罪。これまでのいかなる犯罪よりも深い堕落に充ちている」
と書かれ、トーマスを『Bloody Woolfork (血まみれのウルフォーク) 』と呼び、ジョージア州のみならず全米が騒然となった。


同年12月5日、ビブ郡の上級裁判所で審理が開始されたが、トーマスは刑務所に移送される際も裁判所へ移送される際も怒り狂った群衆にリンチに遭う事を恐れ、多くの保安官が警護についた。


トーマスの審議はわずか12分で終わり、同年12月15日、有罪判決となり、死刑を言い渡された。


1889年2月11日、ジョージア州最高裁判所は、トーマスに再審を許可した。

しかし、群衆は
「奴を絞首刑にしろ!奴を絞首刑にしろ!奴を絞首刑しろ!」
と叫んで抗議した。


同年6月3日、ヒューストン郡の上級裁判所で再審が始まり、同年6月24日、45分の審議の末、有罪判決となり、翌日、再び死刑が言い渡された。


同年7月28日、ジョージア州最高裁判所は判決を支持した。


同年10月29日午後、ペリーでトーマスは1万人の群衆が見守るの中、絞首刑による死刑が執行された。

享年30歳。

執行直前、トーマスは無言で動揺している素振りを見せなかった。

その為、命乞いしたり慌てふためく姿を想像していた群衆は失望した。

この事件は現在までジョージア州における最悪の一家惨殺事件とされている。



《殺人数》
9人

《犯行期間》
1887年8月6日



∽ 総評 ∽

『Bloody Woolfork (血まみれのウルフォーク) 』と呼ばれ、一家9人を殺害したトーマス。

同じジョージア州ではアルデイ一家殺害事件というのが後に起こっているが、この時は一家6人であった。

この事件との違いはアルデイ一家を殺害したのは関係のない一家と関係のない人間だったが、トーマスが殺害したのは自身の家族であった。

群衆はトーマスに怒り狂い、リンチに遭う事を恐れた保安官が警護にあたった。

司法の体たらくにはリンチという方法も仕方ない事だと認識しているが、個人的に今回はトーマスをリンチしたいと思わない。

なぜなら犠牲者が全員家族だからである。

言い方を極端にすれば、家族のいざこざが最悪の結果になっただけで、こんな人間が家族にいてしまった事実に運がなかったと諦めるしかない。

トーマスは継母を嫌っており、その為、実父と継母との間に出来た異母兄弟たちをも嫌っていた。

父親は広大な綿農園を営んでおり、その財産を継母と異母兄弟たちに取られる事を恐れての犯行とされている。

動機としては救いようがないが、自分だけ家族じゃないような孤独感をおそらくトーマスは常に感じていたのだろう。

トーマスには姉がいたが、嫁いだ為か犯行現場となった家にはおらず、一緒に住んでいなかった。

もし、姉たちも一緒に住んでいたのならこんな事にならなかったのかもしれない。

100年以上経った現在でもジョージア州においては最悪の事件とされており、その衝撃度から現地では非常に有名な事件とされている。