_20200116_152209
マチェイ・チュルコ (スロバキア)
【 1968 ~ 2011 】



マチェイ・チュルコは、1968年、チェコスロバキア (当時はまだ「チェコ」と「スロバキア」に分かれていなかった) で生まれた。

家はごく普通の平均的な家庭で、チュルコは2人兄弟であった。

両親はチュルコが幼い頃に離婚し、チュルコと兄弟は母親と祖母に育てられた。

ただ、チュルコは父親と定期的に連絡を取り合った。

学校でのチュルコは目立った人気者ではなかったが、いじめや侮辱を受ける事もなかった。

チュルコの趣味はサイクリングやギター、ドラムの演奏やコンピューターのプログラミングといった孤独なものであった。

学校では教師に反抗的な態度をとり、頻繁に挑発した。

13歳の時に11歳の隣人の少年をナイフで襲い負傷させる。

この事件によりチュルコは精神科に入院となり、1ヶ月過ごした。

その後、ヘラニチエの小児精神病院で治療を受ける事となった。

そこで知能検査を行うと、IQが116を超えていた。

小学校を卒業すると、チュルコは職業訓練校を経て技術スペシャリストとして陸軍に徴兵された。

除隊後、チュルコは技術産業での就職を望み、また、銃器や武道に興味を持った。

最終的にチュルコは無名の保険会社のIT部門の責任者として働き始める。

チュルコはほとんど女性に興味を示さず、同僚や知人はその事を不思議に思っていた。


2010年6月23日、オラフスケ・ヴェセレのエレーナ・グジャコワ (30歳♀) が行方不明となる。


同年9月3日、スニナ出身のルシア・ウクナロワ (20歳♀) が行方不明となる。

ウクナロワは2008年に自殺を試みた事があり、家出の可能性があるとして警察は捜査を進めた。

すると、グジャコワとウクナロワが行方不明となる前にインターネットを頻繁に利用していた事がわかった。

しかも、2人共自殺願望があり、人生を終わらせたいという事を公表していた。

そして、捜査を続けると、2人とインターネットで接触している人物にたどり着き、それがチュルコであった。

チュルコは人食いのフォーラムを通じて2人と連絡を取っており「kanibm」というハンドルネームを使用していた。

チュルコは連絡を取り合い直接会うと、女性は殺人や食べられる事に同意する。

すると、チュルコは女性を森に連れて行き、まず薬を飲ませた。

その後、心臓を刺し、沢山のナイフや包丁を使用して体を切り始めた。

そして、体を解体すると好きな部位を食べ、食べきれないと冷蔵庫に保管した。

残った遺体は敷地内に土を掘って埋めた。


2011年春、仕事の問題で自殺を考えていたスイス人のマルクス・デューバック (♂) は、人食いサイトに広告を掲載し、誰かに殺して食べて欲しいと頼んだ。

デューバックはサイトにアクセスしたものの、誰もこんな異常な事に応じないだろうと思っていたが、チュルコから連絡を受ける。

デューバックはチュルコに連絡を取り、自身の足や体の一部の写真を送った。

すると、チュルコも女性の体の一部と鍋で調理されている人肉の写真を送った。

デューバックはスイス当局に連絡するが、当局は最初信じなかった。

そこで、デューバックはチュルコとの全てのやり取りを当局に送り、やっと信じるようになった。


同年5月10日、スイス当局はスロバキア当局に連絡し、警察はチュルコを人食いの依頼で誘き出す計画を立てる。

ただ、警察が入手した情報によると、チュルコは武装しており、非常に危険であるとされた為、狙撃兵を含む特別チームが配置された。

しばらくしてチュルコが変装した警察官に近付くと、あまりにカジュアルな服装な為、最初はそんな異常者には見えなかった。

だが、チュルコは自分が人食いだと説明した為、警察官が手を上げて立ち上がるよう命じる。

その瞬間、チュルコがベルトから銃を取り出し警察官に向かって発砲する。

銃弾は警察官の胸に命中するが、チュルコ自身も発砲を受け死亡した (警察官は一命を取り留めている) 。

チュルコのバックパックを調べると、ウォッカ3本 (相手を酔わせる為) 、折り畳みナイフ、黒胡椒 (おそらく臭いを消す為) のパック、ビニール袋、タオル、ラティクス手袋、プラスチック製の手錠、大きなナイフ、ハンドソー等が見つかった。

ほどなくしてチュルコの家が捜索され、合法的ではあるが多様な武器、多数のカートリッジ、いくつかの携帯電話とコンピューターが見つかった。

コンピューターを調べると、チェコ出身の男性 (22歳) と連絡を取り合っていたのがわかった。

また、死体の頭や足、胸や筋肉の一部が欠けた写真が多数見つかり、当初は身元がわからなかったが、後にそれらがグジャコワとウクナロワだと判明した。

更にチュルコが利用していた森では儀式に使う祭壇が見つかり、そこで調理して食べたと推測された。

チュルコは射殺されてしまったので真相は不明だが、パソコンに残された写真を見る限り確実な犠牲者は2人であった。

だが、実際チュルコがスイス人の男性とコンタクトを取っていた事から、スロバキア当局は他にも犠牲者は間違いなく存在すると踏んでいた。

スロバキア当局はヨーロッパ各国に連絡を取り、チュルコに関する情報を伝えた。

すると、イタリア当局が、チュルコが好む被害者のタイプ (25歳~28歳の自殺及び人食いの願望) が28人いる事がわかり、その28人を調査すると、チュルコがまだ健在だった2009年1月から2011年5月に全員が姿を消している事が判明する。

その為、イタリア当局はそれら失踪者がチュルコによって殺害されたと考えた。

実はチュルコの家を捜索した際、グジャコワとウクナロワのものと一致しない肉片の一部が見つかっており、それら犠牲者のものではないかと推測された。

これにより当局はチュルコの過去のインターネットでのやり取りを追跡するが、法律により2009年以前に保存された情報は確認する事が出来なかった。

精神科医と心理学者は、チュルコが社会に対する嫌悪、孤独感、冷酷さ、共感性の欠如等の精神障害の兆候を示しており、おそらくネクロフィリアのサディズムで、統合失調性人格障害であったと述べている。



《殺人数》
2人 (30人以上の可能性あり)

《犯行期間》
2010年6月23日、同年9月3日



∽ 総評 ∽

『The Slovak Cannibal (スロバキアの食人鬼) 』と呼ばれ、自殺志願者の女性2人を殺害し食べたチュルコ。

こういった「自殺したい人を手助けする」という事件は、近年、世界各国後を絶たない。

日本でも以前、前上博が自殺サイトを利用して自殺志願者を募り、自らの手で殺すという事件が起きているが、それと非常に酷似している。

前上は殺す事に執着したサディストであったが、チュルコはどちらかというと食べる事に重きをおいていた。

チュルコも前上もおそらく「本人が自殺したいと言っているのを手伝っただけだ」と一体何が悪いんだくらいにしか思っていなかったであろう。

もちろん、自殺幇助は立派な犯罪であるし、ただの殺人欲求を自殺の手伝いをするという事で満たしているに過ぎない。

チュルコによる犠牲者は、確実なのは2人だが、間違いなくそれでは済まない。

イタリアでの女性失踪もそうだが、おそらくヨーロッパ各国で犯行に及んでいたのは間違いない。

13歳の時にナイフで襲うような人物が、2010年の42歳まで大人しくしているわけがない。

食人というのは突如目覚めるという事はほとんどなく、前もって願望を抱きそれをいつ実行に移すか機を伺っている。

また、人を解体するというのはかなりの労力を使用する為、若くないとかなり難しい。

世界的にみても食人鬼というのはほとんどが若い異常者で行われている (アルバート・フィッシュは例外だが) 。

その為、チュルコが20代の頃から密かに犯行に及んでいたとすれば、もしかしたら20人30人程度では済まないのかもしれない。