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ホリー・グリグスビー (アメリカ)
【 1987 ~      】



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デイビッド・ペダーセン (アメリカ)
【 1980 ~      】



1987年1月13日生まれのホリー・アン・グリグスビーは、父親から虐待を受けて育った。

その後、グリグスビーはヘロイン中毒となり、10代前半にはすでに白人至上主義の差別主義者となっていた。

しかし、グリグスビーはヘロインを断ち、結婚して息子を産んだ。


2011年、アメリカ・メイン州サウス・ポートランドのアパートにグリグスビーは夫ダン・ラーソンと息子 (2歳半) の3人で住んでいた。

だが、ある時、グリグスビーはアマチュアのボクシング選手デイビッド “ジョーイ” ペダーセンと出会う。

ペダーセンは仮釈放中の身であり、ヒトラーの刺青を入れ、グリグスビー同様白人至上主義者のネオナチであった。

グリグスビーは仕事を辞め家族を捨ててペダーセンと行動を共にした。

ペダーセンは16歳の時にコーヒースタンドに強盗を行ったのを皮切りに、その後、何度も犯罪を繰り返し刑務所に何度も収監された。

同年、30歳の時にオレゴン州の刑務所を出所するが、ペダーセンは16歳から30歳の15年間の内、11年間刑務所で過ごした。


同年9月16日、グリグスビーとペダーセンは、ワシントン州エバレットに向かった。

エバレットにはペダーセンの父デビッド・ジョーンズ・ペダーセン (56歳) と継母レスリー・メイ・ペダーセン (65歳) がいたのだが、ペダーセンとは疎遠であった。


同年9月26日、ジョーンズがグリグスビーとペダーセンを車に乗せてバス停に向かった。

だが、ペダーセンはジョーンズを撃って射殺し、その後、グリグスビーが車を運転して家に戻った。

家に戻ると、レスリーをダクトテープで拘束し、喉を切って殺害する。

両親を殺害した後、グリグスビーとペダーセンはオレゴン州へ逃走する。


同年9月29日、2人はニューポートでコーディ・フェイ・マイヤーズ (19歳♂) と出会う。

その後、マイヤーズを誘惑し、銃で何発も撃って射殺した。

2人はマイヤーズの車を盗みカリフォルニア州サクラメントに向かう。


同年10月4日 (3日とも) 、2人はアフリカ系アメリカ人のレジナルド・アラン・クラーク (53歳♂) を射殺する。

そして、クラークの車を盗み逃走する。


翌日の5日、2人はカリフォルニア州ユーリカで逮捕された。

逮捕された2人はこれまでの犯行を認めた。

マイヤーズ殺害理由だが、姓がユダヤ人に聞こえた為に殺害したと話した (マイヤーズはユダヤ人ではない) 。

そして、この殺人で「より多くのユダヤ人を殺す」事を望むようになったと述べた。

クラーク殺害については「退化したニガー (黒人) 」であるとみなした為、殺害したと述べた。

マサチューセッツ州セーレムに住むペダーセンの実母リンダは、息子の逮捕を受けてインタビューに答え、
「私が言わなければならないのは、息子を無条件に愛しているという事だけです」
と話した。

また、実父と継母殺害については、ペダーセンは何年も前から計画していたと述べた。

2人は白人至上主義の差別主義者であり、ユダヤ人を殺す事や黒人を殺す事を「革命」と呼んでいた。

2人は殺人については全く後悔していないが、人種差別主義として掲げた「革命」を起こせなかった事については後悔していると述べた。

法廷に現れたペダーセンが椅子に座ると、わずか数フィートしか離れていないマイヤーズやクラークの遺族が話し掛けた。

だが、問い掛けにペダーセンは何も答えず無表情で前を見つめていた。

ペダーセンは以前、刑務所の中で白人至上主義のギャングを創設していた事がわかった。

グリグスビーは法廷で謝罪の言葉を口にしたが、白人至上主義に関しては後悔していないと述べた。

レスリーの娘はグリグスビーについて
「残酷を超えている」
と法廷で述べた。

更に
「動物の方があなたよりも人道的に相手を虐殺する」
と述べた。

ペダーセンは最後まで謝罪する事はなかった。

ただ、ペダーセンは警察や検察官、アメリカの外交政策について長い声明を述べ非難した。

それに対して遺族は
「お前にそんな事を言う資格があるのか!黙れ!」
とペダーセンに対して怒鳴った。


2014年7月15日、グリグスビーには仮釈放の可能性がない終身刑が言い渡された。


同年8月4日、ペダーセンには仮釈放の可能性がない2つの終身刑が言い渡された。



《殺人数》
4人

《犯行期間》
2011年9月26日~同年10月4日



∽ 総評 ∽

白人至上主義やネオナチを掲げ、4人を殺害したグリグスビー&ペダーセンカップル。

しかも、その4人の内、2人が両親という救いのなさであった。

差別主義による犯行はこれまで何人も紹介してきたが、スプリー・キラーやマス・マーダラーといった瞬間大量殺人犯に最も多い動機である (犯行期間を考えたらスプリー・キラーと呼べるが) 。

差別に関しては今後無くなる事は決してないし「やめろ」と言っても無駄なので何も語らないが、許せないのはその中途半端な思想である。

許されない事を前提として、せめて差別主義者としてその行動が徹底しているならまだしも、「ユダヤ人ぽい名前だから」「退化した黒人だから」と言った抽象的で確実性も何もない適当な理由で犯行に及んでいる。

被害者や遺族からすればどんな事があっても許されない事だが、その行動理念にせめてプライドくらいないのかと言いたい。

そのくせ「革命を起こせなかったのが残念だ」とほざく始末。

そんな中途半端で筋の通っていない行動で革命なんて起こせるわけがない。

グリグスビーは10代ですてに白人至上主義であったが、何故、そのような思考になったのかはわからない。

そんなグリグスビーは結婚して子供もいたのに家族を捨てて同じ差別主義者のペダーセンと出会い、行動を共にする事となった。

異常者が異常者に惹かれるのはよくある事だが、自分の妻や夫が同じように急に家族を捨てて犯罪に走ったと考えると恐ろしさしかない。