_20190815_210225
ロムルス・ヴェレシュ (ルーマニア)
【 1929 ~ 1993 】



ロムルス・ヴェレシュは、1929年1月23日、ルーマニア・クルジュ=ナポカで生まれた。


1972年9月11日、ソメシュで民兵に
「女性が死んでいる。早く来てくれ」
と連絡が入る。

すぐに駆けつけると、頭部を数回殴られたヴァイダ・コルネリア (28歳♀) の遺体が発見される。

コルネリアの遺体は上半身が川の中に沈んでいた。

警察は遺体が発見された地域周辺の家やテナントなど捜査を始めた。


同年10月7日午前6時、コバチ・イボヤ (15歳♀) が自宅にいると突然襲われる。

イボヤは鈍器で頭を数回殴られ、服を脱がされた。

イボヤが叫んだ為、犯人は下着と時計を盗んで逃走した。

母親が戻り血まみれのイボヤを見つけ、すぐに病院に搬送した。

イボヤは奇跡的に一命を取り留め、イボヤの証言から犯人は髪の色が金色である事がわかった。

クルジュ=ナポカの市民は見知れぬ犯人に怯え、街はパニックとなっていた。

犯人が夜な夜な女性をハンマーで攻撃し、強姦して殺害するという噂が流れた。

その為、犯人は『The Man with the Hammer (ハンマーを持つ男) 』と呼ばれるようになる。


イボヤが襲われてから10日も経たない内に、マリア・マルジナーノ (♀) が見知らぬ人間に背後から金属製の棒で襲われる。

しかし、マルジナーノは何とか生き延びる事が出来た。


同年10月16日、捜査官は犯人の特徴から何百人という容疑者を洗い出し、尋問を行った。

しかし、犯人逮捕には至らなかった。


同年12月5日午前7時45分、フローレア・バレンチナ (9歳♀) が自宅で学校に行く準備をしていた。

両親はすでに仕事に向かって家におらず、それを知った軍服に身を包んだ男が家に侵入してきた。

男はバレンチナの頭を殴り強姦し、戸棚に火を放った。

通行人が犯人が家から通りを走って逃げるのを目撃し、隣人が家に入りバレンチナを救出した。

目撃者は犯人が「ウェーブのかかったブロンドの髪」であったと話した。


同年12月12日午後8時、パン屋の店員アナ・ビーロウ (48歳♀) が襲われ、頭をハンマーで殴られた。

ビーロウは大声で叫び、それに驚いた犯人は逃げ出した。


ビーロウ襲撃からわずか4時間後、今度は別の女性オルテアン・イオアナ (♀) を襲った。

イオアナは仕事帰りであり、エレベーターで背後から頭を殴られた。


同年12月16日、カール・マルクス通りに住むチウレ・アウレリア (16歳♀) が、家で1人でいた所を襲われる。

犯人は隣人の家から木製の取っ手が付いた包丁を盗み、アウレリアの家に侵入すると強姦し、ナイフで17回刺して殺害した。

その後、家に火を放って逃走した。

捜査官は燃え尽きた家から犯人の2本の毛髪を発見した。

民兵によるパトロールは増え、また、民間の協力者によるパトロールも行われた。

また、元受刑者、浮浪者等が徹底的に調べられたが、犯人逮捕には至らなかった。


1973年2月13日、映画館で金髪の男性を民兵が見つけ拘束した。

その男性がヴェレシュであった。

ヴェレシュは木製の柄のナイフと人間の髪の毛が入った容器を持っていた。

また、ヴェレシュのジャケットの下に着ていたシャツには血と思われる痕跡が見つかった。

シャツは鑑定に回されるが、何故か鑑定結果のファイルが失われ、その為、ヴェレシュは釈放される事になってしまう。


1974年2月14日、ヴェレシュはシラジー・イローナ (84歳♀) の家に侵入すると、頭部を瓶で殴り顔を枕で押しあて窒息死させた。

その後、家に火を放ち逃走した。

しかし、ユーゴスラビアとの国境付近のホテルに滞在していた所を逮捕された。

ヴェレシュは機関車の元整備士で、数年前に病気で辞めていた事がわかった。

その為、それが犯行の引き金になったのではと推測された。

ヴェレシュは5件の殺人 (判明しているのは3件) と数件の殺人未遂で起訴される。

だが、ヴェレシュは長年統合失調症に苦しんでおり、精神状態が異常と診断される。

その為、ヴェレシュの起訴は取り下げられ無罪となった (多くの国民がヴェレシュの死刑を望んでいた) 。


ただ、無罪となった代わりに1976年2月2日からシュテイ精神病院に収容される事となり、3年間治療を受けた。


1993年12月13日、ヴェレシュは肝臓病により死亡した。

享年64年。

ヴェレシュはクルジュ=ナポカ最悪の殺人鬼とされ、当時のルーマニア全土を震撼させた。

ヴェレシュによる犠牲者はもっと多いとされ、5人や8人、一説には200人の女性が犠牲になったという伝説も生まれている。



《殺人数》
5人? (もっと多い可能性あり)

《犯行期間》
1972年9月11日~1974年2月14日



∽ 総評 ∽

『The Man with the Hammer』と呼ばれ、最低でも5人 (起訴された数) を殺害したヴェレシュ。

ヴェレシュは少女から女性まで襲い、しかも、通行人や店の店員、家にいた少女など、襲い方も様々であった。

ただ、ヴェレシュは主に1人で家にいる少女を襲っており、家の周辺を徘徊して中の様子を伺っている可能性が高く、用意周到で狡猾な鬼畜といえる。

ヴェレシュは精神異常で無罪となったが、国民は死刑を望んでいた。

ルーマニアの死刑が廃止されたのは1989年の為、ヴェレシュが国民が望む死刑になる可能性は十分ありえた。

だが、精神異常という事で無念にも釈放されてしまった。

また、鑑定結果のファイルを紛失してしまった為、釈放される事となり老婆が殺されてしまった。

どのような経緯で紛失されたのかわからないが、こんなの職務怠慢の何物でもなく、紛失した人物を厳しく罰する必要がある。

ヴェレシュは1993年に死亡しているが、詳細がなかった為、精神病院を退院した後にどのような生活を送っていたのかわからない。

また、犯行を始めた時、すでに40を越えており、それまで何をやっていたのかも詳細がなくわからない。