_20190406_225315
ウォード・ウィーバー (アメリカ)
【 1963 ~      】



ウォード・フランシス・ウィーバー三世は、1963年4月6日、アメリカ・カリフォルニア州ハンボルト郡で生まれた。

母親をトリッシュといい、父親をウォードといった。


1967年、父親は家族を捨て、数年後、母親はボブ・ブドローと再婚し、一家はオレゴン州ポートランドに引っ越した。 

だが、この再婚相手はアルコールに酔ってはウィーバーら家族に暴力を振るい虐待した。


ウィーバーは10代にあると妹タミーを強姦し、弟ロバートを日常的に殴った。

また、反社会的行動をとるようになる。


1981年、ウィーバーは10代の親戚を繰り返し強姦し、殴った。

警察は虐待の申し立てによりウィーバーを逮捕するが、マルトノマ郡の検察官は、ウィーバーが後に軍に入隊し、ポートランドを離れる事となったので起訴しない事に決定した。

マーシャル高校卒業後、アメリカ海軍予備軍に入った。


海軍の任期中、フィリピン出身のマリア・スタウトという女性と出会い、後に結婚する。

そして、ウィーバーは自身の両親を含む家族で引っ越し、間もなくマリアは妊娠した。

ウィーバーの父親はカリフォルニア州テハチャピで車が故障して困っていたカップルを殺害し、裏庭に埋めた罪で逮捕された (1984年に死刑が言い渡されている) 。

マリアは妊娠5ヶ月の時、ウィーバーに暴力を振るわれ入院する事となる。

マリアは警察に告発を促されるが、拒否した為、ウィーバーが逮捕される事はなかった (1982年12月に息子が生まれている) 。

しかし、大量の飲酒と職務怠慢により軍を辞めさせられる。
 

1986年6月15日、ウィーバーはカリフォルニア州フェアフィールドに住む友人の10代の娘を襲い、また、ジェニファー・オルドノア (15歳♀) を殴った。


1988年、ウィーバーには2人の少女に対する暴行の罪で有罪判決が下され、懲役3年が言い渡された。


釈放後、ウィーバーは家族とオレゴン州キャンビーへ引っ越し、妻と店を経営した。


1989年には4番目の子供が生まれている。


1993年、ウィーバーとマリアは離婚し、1995年7月、新しいガールフレンド、クリスティ・スローンをフライパンで殴った。

この暴行によりウィーバーは逮捕されるが、スローンはウィーバーに対する不利な証言を行う事を拒否した。


同年10月、ウィーバーはスローンと再び交際し、1996年2月、結婚した (結婚生活は4年で終わっている) 。


1997年8月、ウィーバーは仕事で知り合った女性と不倫関係となり、2人はオレゴン州オレゴンシティの賃貸住宅に引っ越した。

ウィーバーの娘マロリ (12歳) にはアシュリー・マリー・ポンドとミランダ・ダイアン・ガディスという友人がいた。

3人はダンスクラスの同級生でもあった。


2001年8月、ポンドがウィーバーに強姦されそうになったと警察に報告し、警察はウィーバーを逮捕する。

しかし、法執行機関によって正式な起訴はされなかった。


2002年1月9日朝、ポンドはアパートを出た後、近くのバス停まで歩いて向かったが行方不明となる。

ガディスはポンドと同じアパートに住んでおり、他の友人や家族と共にポンドを探し始めた。


同年3月8日朝、ガディスがポンドと同じ状況で行方不明となる。

このガディスの失踪を受け、FBIが捜索に参加する事になる。

ポンドとガディスが姿を消した後、ウィーバーは息子に庭に大きな穴を掘る事を手伝わせ、その後、穴をコンクリートで埋めた。


同年8月13日、ウィーバーが息子フランシスのガールフレンド (19歳) を強姦しようとした為、フランシスが警察に通報した。

また、フランシスは警察に父親がポンドとガディス殺害に関与していると告げた。

ウィーバーは性的暴行で逮捕された。


同年8月24日、FBI捜査官によるウィーバーの家の家宅捜索が始まり、家の後ろにある倉庫でガディスの遺体が発見される。


翌日の25日、裏庭のコンクリートで埋められた地面を掘ると、55ガロン (約200リットル) の樽の中に入れられているポンドの遺体が発見された。

2人の失踪から遺体発見は国際メディアの注目を集め、ロサンゼルス・タイムズやニューヨーク・タイムズ、BBC等で大々的に取り上げられた。


同年10月2日までにウィーバーは息子のガールフレンドへの強姦未遂と2つの殺人で起訴された。


2004年9月、ウィーバーは2件の罪で有罪判決が下され、司法取引により死刑は回避され仮釈放の可能性がない2つの終身刑が言い渡された。


2007年3月4日、ウィーバーはスネークリバー矯正機関の理髪店に散髪に向かって歩いている所を1人の受刑者がナイフで襲い掛かり、ウィーバーの首や肩を刺した。

ウィーバーは刑務所内の病院で治療を受けた。


2009年、ガディスの妹ミリアは2度、ウィーバーを訪ねた。

ミリアは
「私は実際何が起こったのか知らなければならなかった。それを知らないと私は前に進んでいけなかった」
と訪問の理由を語った。

ウィーバーはミリアにポンドとガディスを素手で殺害した事を認め、次の殺害計画についても話した。


2014年2月17日、ウィーバーの息子フランシスが殺人で逮捕され起訴された。

ウィーバーは他2人と前日に麻薬の売人に強盗を働き、その際に殺害した。

フランシスは後にDNA検査を行うと、生物学上、実の息子でない事が判明している。



《殺人数》
2人 (他犯罪多数)

《犯行期間》
2002年1月9日、同年3月8日



∽ 総評 ∽

2人の少女を強姦し殺害したウィーバー。

ウィーバーは破綻した犯罪者で、犯行に躊躇や妥協が一切見られず、最も危険な人間といえる。

おそらく親の虐待がそうさせたと思うのだが、その父親も殺人を犯す異常者であった。

ウィーバーは初めは逮捕された際、軍隊に入隊するという事で見逃され、その次は何故か法執行機関に起訴されず、逮捕されなかった。

何故、そのようになるのか理解出来ない。

その時に何らかの対応をしていれば、少なくとも2人が殺される事はなかった。

ウィーバーは父親も息子も殺人を犯すという3世代に渡って殺人を行う鬼畜家族であった。

こういった事件を見ると負の遺伝というのは存在するのだと思う (息子は血が繋がってないが) 。

ポンドとガディスはネットで写真が掲載されており、可愛らしい少女であった。

こんな鬼畜の娘と仲良くなってしまった事が最悪の結果を招いてしまったが、事前にわかりようもなく不幸という他ない。