
ルートヴィヒ・トルモフ (ブルガリア)
【 1950 ~ 】

イヴァン・セラフィモフ (ブルガリア)
【 1956 ~ 2000 】
ルートヴィヒ・スロモフ・トルモフは、1950年、イヴァン・セラフィモフ・イワノフは、1956年、それぞれブルガリア・プロヴディフ州ドゥバンリで生まれた。
トルモフとセラフィモフは子供の頃に出会い、以来、友人として付き合った。
だが、トルモフがペンカという女性と結婚し、3人の子供が産まれヒサールに引っ越すと両者は疎遠となる。
その後、トルモフはドイツに住み、次にナミビアに引っ越した。
その間、セラフィモフは常習的な犯罪者となっており、強盗で8度有罪判決を受け、計15年刑務所に入った。
刑務所にいる間、セラフィモフは他の囚人にスウィーツやお菓子について愛情を込めて話した為、「Sweet」というニックネームで呼ばれた。
セラフィモフが8度目の逮捕で刑務所に入った時、窃盗で刑務所に入っていたトルモフと再会する。
そして、2人は犯罪コンビとしてタッグを組む事となる。
2000年3月、セラフィモフが釈放されると、すでに釈放されていたトルモフと早速行動を起こす。
同年5月13日、ラシュディ・ウシノバ (19歳♀) とセビン・ミュミュン (20歳♂) のカップルは、ヴルビツァにあるディスコに車で向かった。
途中、道路脇に車を止め、車内で抱き合いキスをした。
すると、突然、暗闇からトルモフとセラフィモフが車を襲撃し、セビンとラシュディを車から引きずり出した。
セビンがラシュディを守ろうとするが、2人は激しく殴り、その後、顔面と背中を撃って射殺した。
この時、ラシュディはセビンが射殺された事は知らず、その為、セビンは気絶しただけで3、4時間もすれば目覚めるだろうと話した。
2人はラシュディの金のイヤリングや指輪を盗み、セビンの遺体からは電話やカセットプレーヤーを盗んだ。
その後、2人はラシュディの首や胸、腹部を合計8回刺し逃走した。
殺害したと思っていたラシュディは実は奇跡的に生きており、刺された後、しばらく意識がなかったが数時間後に覚醒すると、這って助けを求めた。
警察に保護された病院に運ばれたラシュディは、事件の事を話し、警察はセビンの遺体を発見する。
警察は犯人の似顔絵を作成した。
同年6月6日、2人は駐車場で停まっているミニバスを襲撃し、8265レフ (約50万円) 相当を盗んだ。
そして、運転手を脅してミニバスを盗んで逃走した。
同年6月11日、2人はヴルビツァ近くで女性タクシー運転手を殴り、金品を奪い、その後、ソフィアで男性を襲った。
同年7月2日、2人はミヒルチ近くで男女の乗る車を襲い、発砲して運転手の男性を這いつくばらせた。
しかし、男性は何とかその場から逃げ、ガソリンスタンドに助けを求めた。
トルモフはセラフィモフを見捨て逃走し、セラフィモフは車に乗り込み女性に服を脱ぐよう強要した。
そして、強姦しようするが上手くいかず、逃走した。
同年7月12日、2人はドイツ人観光客クリスチャン・ハーレム (♂) とハイジ・コロンボ (♀) の車を止める。
2人はまずハーレムを殺害し、途中、山で遺体を捨てるとコロンボをよってたかって強姦した。
そして、コロンボを生きたまま湿地に投げ捨て、コロンボは溺死した。
コロンボの遺体が発見された時、頭蓋骨や体の一部が飛散しており、それは野生動物によるものとされた。
警察はすぐにドイツ当局に連絡し、犠牲者の遺品を送った。
警察が捜査を進めている中、トルモフとセラフィモフの仲が悪くなり始めていた。
同年7月15日、2人はヒサリャに向かって運転している間、言い争い口論を始めた。
トルモフはセラフィモフに車を止めるよう促した。
そして、直後にトルモフは銃を取り出すとセラフィモフに向かって発砲し射殺した。
セラフィモフの遺体をトランクに積むと、車を溝に落とし、後に証拠隠滅の為に車を燃やした。
同年7月19日から20日にかけて、テレビ会社で働いていた男女が、セラフィモフの遺体を発見する。
そして、警察はトルモフの友人達を尋問し、これまでの犯行とトルモフが結び付けた。
その後、ヒサリャでトルモフは逮捕される。
逮捕された際、トルモフは抵抗する事なく大人しく逮捕された。
逮捕されたトルモフはラシュディへの強盗と強姦は認めたものの、それ以外の犯行は否定した。
しかし、DNAサンプルや殺害の際に使用された銃が自宅で発見された事によりトルモフの犯行は決定的となった。
ただ、犯行の主体はセラフィモフであった事は明らかになり、1996年にエレーナ・フィリポワ (♀) を殺害していた事が判明した。
トルモフを精神分析すると、自己中心的で利己的、後悔の念がなく誇示するのを好むとされた。
裁判でトルモフは犯行は全て自衛であり、その為、殺人罪を取り下げるべきだと述べた。
それを法廷で聞いていたセビンの母親エンビーは激怒した。
2003年7月3日、トルモフには終身刑が言い渡された。
判決を言い渡された後、トルモフは
「私はいくつかの行為について申し訳ないが、私はセビンへの強盗、殺人に関しては責任がない。私は女性の強姦に参加した事は認めるが、セラフィモフにそうするよう指示されただけだ」
と述べた。
2011年8月11日、トルモフの息子スラヴィ (22歳) が首を吊って自殺する。
自殺した正確な理由はわからないが、父親が残忍な殺人者であるという事が原因ではないかとされた。
2014年、トルモフは刑務所内の衛生や換気、その他の問題について欧州司法裁判所に訴え、3000レフ (約20万円) から4000レフ (約25万円) の補償を受けた。
また、トルモフは自伝を書き始め、逮捕されるまでの人生の全ての出来事を記述した。
トルモフは自らの本は「終生の記録」と呼ばれるであろうと述べた。
だが、トルモフが本を書いている独房は、フラットスクリーンテレビ、コーヒーメーカー、ラジオ、扇風機、古いタイピングマシン等が配備されており、あまりに贅沢だと非難されている。
《殺人数》
5人 (他犯罪多数)
《犯行期間》
1996年~2000年7月15日
∽ 総評 ∽
『The Sour and The Sweet (酸味と甘味:酸味がトルモフで甘味がセラフィモフ) 』と呼ばれ、犯行後、トルモフはセラフィモフを殺害した。
犯罪コンビというのはこれまで何組も紹介してきたが、仲間に殺されるというのは珍しい。
犯行の様子から単純な仲間割れのように思えるが、もしかしたら口封じかもしれない。
2人は田舎の村で幼い時に知り合い、その後、一時疎遠になっていたが、刑務所で出会い意気投合した。
刑務所で意気投合するのはこういった犯罪者コンビにはよくある事だが、普通の生活を送っていたのがトルモフが何故、刑務所に入るに至ったのかわからない。
トルモフは刑務所内の状況を勝手に問題と騒ぎ、欧州司法に訴え補償を受け取った。
訴えれるトルモフもトルモフだが、それを容認する欧州司法も酷過ぎる。
また、自由に本を書かせ図に乗り、独房とは言い難い設備に非難が起こったが、当然である。
こんなのもはや刑務所とは言い難く、一生懸命働いて納めた税金がこんな事に使われていると考えると気が狂いそうになる。
コメント
コメント一覧 (30)
しかも不要になったら殺すような残忍非道な凶悪性犯罪者を?
強姦して殺してるのに正当防衛ってどこまでバカなんでしょうか?
鬼畜も鬼畜ですが、司法が鬼畜を全面サポートしているのは悲しくなってきます。
終わってますね。
甘いとかそんなレベルではないですよ。
ヨーロッパと南米の司法は特に鬼畜のサポートに回っていますね。
死刑廃止が如何に無意味で凶悪鬼畜クソムシだけに恩恵を与えているか顕著な事例ですね。
それに何時まで嘘つきな凶悪鬼畜クソムシの供述を信じて裁判を行うんですかね!?
自分に都合が良い事に変換して喋るクソムシの言葉なんて全く信用性が無いのは明らかでしょう!
旧ソビエトのKGB式拷問を推奨したいです!
そして死刑を復活させて古代中国式の処刑で犠牲者遺族に報いるべきでしょう。
法律とは全ての国民が甘受出来なければ「欠陥法」なんです!
明らかに凶悪鬼畜クソムシ共しか甘受出来ない時点で「平等な人権の観点」から違法でしょう!!!
そうですね。
1人死んだのは唯一の救いといえますね。
平等というのを履き違えてますよ。
真の平等とは被害者側にも平等でなければならないのに、加害者ばかりに気を遣った司法です。
こんな言い方は横暴かもしれませんが、人権派や死刑廃止論者らは自分達も遺族になってみればいいのです。
その時、初めて高見の見物にいた自分達がいかに愚かだったか気付くでしょう。
日本では人権派弁護士(※死刑廃止論者)だった人が奥さんを殺されて死刑推進派に鞍替えしたのは有名です。
非難は出来ません!これが普通なんです。
自分が犠牲者遺族になるなんて考えていないから言えていただけなんです。
もしも、家族親族を殺されても趣旨を変えない人が居たならば、ソイツは人でなしと言い切っても良いです!
家族親族を殺されて初めて気付く筈なんです!・・・・・・普通の人は。
結局、他人事だから好き勝手言える。
自分の身に起きて初めてその辛さがわかる。
人間そんなものかもしれませんが、それによって悲しむ遺族が大勢いるのです。
何も言わずに大人しくしてて欲しいですね。
今回の記事を見ていて、2007年(平成19年)に起こった名古屋闇サイト殺人事件の犯人たちと似ている部分がありました。犯人の一人の自首によって事件が発覚しましたが、裁判では罪をなすりつけ合うなどするなど、反省のかけらもありません。自首した犯人は無期懲役となりましたが、罪の意識もないので、私は納得できません。
管理人さんは、この闇サイト事件について、どのような考えをお持ちでしょうか?
いえいえ、恐らくそれほど劣悪ではないと思います。
図に乗って快適に過ごす為に色々言っているだけに過ぎません。
もちろん知っている事件ですが、罪の擦り付け合いは犯罪者の定番ですからね。
犠牲者の親御さん (母親) が、1人自首して死刑を免れた事に怒りを露にしていました (元々もう1人も死刑ではなかったが他の殺人が発覚して死刑になってますが) 。
私も当然まとめて死刑でいいと思います。
ただ、あくまで日本の司法で考えるのなら、親御さんには申し訳ないですが3人の内、2人死刑は異例で十分といえます。
コメントの文字の数に限界があるので多くは語りませんが、私が日本の猟奇殺人者を扱うとしたら当然掲載しますし、もしかしたら何週間に渡って掲載するかもしれませんね。
日本の事件もお願いします。
申し訳ございません。
日本の事件は扱わない事に決めています。
>>7
コンクリート殺人事件や東大阪リンチ殺人事件など、
複数犯の場合は、主導権を取る為に虚勢を張り合う為か、
凄惨な結果になる事が多いですね。
死刑を逃れた犯人の1人は、明らかに無罪を狙って自首した癖に、
その事に終始恩着せがましい態度なのが腹立たしいですね。
弁護士は、死刑執行直前の主犯を「立派だった」と言っていますが、
これだけの事をして立派も糞もないと思います。
明らかに加害者と被害者の命の扱い方が不公平です。
仰る通りですね。
名古屋アベック殺人事件もそうですが、複数に及ぶ犯行は陰惨で過激になります。
私からすれば少しでも舐めた事を言い出した瞬間に拷問、及び処刑でいいと思います。
立派は立派でも「立派な凶悪犯罪者」に過ぎませんよね。
人権派弁護士は馬鹿と違いますかね?
立派な人間だったら、最初から殺人なんてしませんよ!
死刑囚なんて再審請求や助命嘆願書しか書かないド腐れ鬼畜しか居ませんよ!
烏滸がましい、この上無いですね。
なのに刑務所内でもふざけた態度をとるなんてどこまで図々しいんでしょうね。
遺族の怒りの分まで考えると人民共和国時代に行われた過酷な拷問を伴う死刑が最低ラインと思うのですが?
そうですね。
2人分の拷問でも与えて上げればいいんですよ。
恩赦なんてとんでもないですが、今回は平成の時と違って恩赦がありそうな気がします。
今回は昭和天皇のように亡くなってではなく退位という特別な事なので恩赦の可能性が高いような気がします。
災害ボランティアの人達に何らかの施しをして、軽犯罪者には恩赦するが再犯すれば死刑、凶悪犯罪者は一等刑罰アップして無期懲役は死刑に格上げすりゃ良いんです。
死刑囚に死刑囚の死刑執行させ、大車輪で死刑囚ゼロにする事こそ新たな元号を迎えてするべき事じゃないでしょうか!?
何故、他人の為に無償で支援している人達を差し置いて犯罪者如きに恩赦が下るのか理解不能ですよね。
1件目はセクシー動画ばっかり見ていただんなが奥さんに銃撃されました。奥さんはすぐ警察に通報。だんなさんは病院に搬送されましたが時すでに遅し。そのまま息を引き取りました。奥さんは第2級殺人罪で懲役16年が言い渡されました。
2件目は大学で銃乱射があり、2人が死亡し、4人が負傷。そのうち3人が危篤状態ということです。
こうしている間にも殺人事件は発生しているのに。
いい加減何とかしてくれませんかね。
どちらも酷い事件ですね。
今度調べてみます。
本当ですね。
私もせめて最後くらい役に立たせて死なせてやりたいと思いますね。
保証が手厚い
そう言えてしまうのが恐ろしいですね。
贅沢でいい刑務所ですね〜。ヨーロッパで犯罪者になればこんないい待遇が受けられるんですね〜。そりゃみんな亡命したがるわ。
好き勝手するべきですね。今の司法に携わる者たちは犯罪者応援隊ですから何しても許してもらえそうですね。
地獄のGWが終わりましたが、ホントに10日間もあったのかな?という感じでした。
普通に仕事してたのもありますが、休めてない人の方が多い印象でしたね
ややこしい名前なのでかなり気を遣ったつもりでしたがミスが出てしまいましたね。
確かにそう言えますね。
特に北欧は天国ですね。
休みの人がいる分、働いている人がいるという事ですからね。
いつも重箱の隅をつついてスミマセン。ややこしい名前ですし、こんな奴なんて呼んでもいいと思います。
関係ない話で恐縮ですが、マクドナルドで「レモモモン」が発売されます。
同じもももを持つ者として気になるので頼んでみたいと思います。
元々あったメニューの改名バージョンらしいのですが。何も考えたくなかったんですかね、担当者は
いえ、教えて頂きありがとうございます。
以前、発売されていた時はおいしくて良く食べてました。
ソルト&レモンとかいう名前だったと思いますが、復活は嬉しいのですが頼みずらい名前ですね。
その方法は恐ろしく残虐で、処刑場まで行進させて処刑場に着いたら全裸で整列させて射殺。
遺体でいっぱいになったら埋めてまたそれを繰り返すという方法でイワシの缶とも呼ばれていました。
1945年4月28日に逮捕され、1946年の2月2日に死刑判決が出されその日に処刑されました。
かの旧ソ連の警察ですので拷問や監禁は普通に行われていたでしょう。
しかも裁判も死刑もアッサリ行われていたので、あまりにヘドが出る内容でしたが、冷静にこの話を聞くことができました。
これこそ模範的な事例と感動しました。
ソ連、東欧諸国はもう1度死刑を復活させてほしいです。
ナチスドイツの処刑人は本当に恐ろしい人間が多いですね。
ヨーロッパやロシアで死刑が復活する事はないでしょうね。