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金 春日 (ジン・チュンリ 中国)
【 1965 ~ 2002 】



金春日は、1965年3月、中国吉林省延辺朝鮮族自治州延吉市宜蘭鎮で生まれた。


1983年、金は強盗で逮捕され、1991年に釈放された。


1995年5月、金は延吉市や朝陽市で犯罪を始める。

金の手口はナイフで脅し、強盗や強姦を行うというものだった。


1998年3月2日、金は複数人を襲撃し、1人を負傷させた。


同年6月、金は2人を襲い1人を殺害、1人を負傷させた。

これが最初の殺人であった。


1999年5月11日、金は2度目の殺人を行う。

その後、金は2000年初めまでに朝陽市で6人を殺害し、5人を負傷させた。


同年9月から金は延吉市で犯罪を始め、2001年10月24日午前3時、金はカップルの家に侵入し、眠っている男性を刺した。

そして、女性を強姦した。

こうして金は2001年12月までに5人を殺害、10人を強姦し、8人に負傷させた。

当初、警察は朝陽市と延吉市で行われた犯行は同一犯とは考えておらず、また、延吉市の市民は逮捕されない犯人に恐怖でパニックとなっていた。

だが、当局は金を一連の事件の犯人だと考えており、実際、尋問も行っていた。

だが、金は捜査に非常に協力的で、指紋など進んで提供した。

捜査が難航した理由は、現場に物的証拠や痕跡がほとんど見つからなかった為であった。

また、強姦しているにもかかわらず犯人のDNAも見つからなかった。

ただ、奇跡的に足跡が見つかり、法医学技術の専門家が犯人は25歳から35歳、身長は1m70cmくらい、スリムな体型だと判断した。

そして、警察は足跡に対応する靴を見つけ、その靴は河北省保定市で製造され、全国で数千足販売されていた事がわかった。

その後、警察は延吉市西から朝陽市の10km以内に犯人は住んでいると判断した。

警察が事件を捜査している中、同年12月2日、男女が睡眠中に殺害される事件が起こり、相変わらず証拠は残っていなかったが、殺害した犠牲者の側の壁にいくつかのナイフで傷つけられた跡があった。

警察は延吉市西部の労働者に犯人を絞り、1ヶ月で5万人以上を訪問した。


2002年1月、警察は延吉市西部の長白郷にある店舗で犯人が履いていた靴が売られていた事がわかり、そこで疑わしい2人の人物を見つけた。

そして、犯人を金だと断定する。

金は両親に敬意を示し、妻にも非常に優しかった。

そんな金は隣人からも評判が良く、誠実な人間だと思われていた。

その為、それらが金を犯人と確定するまで時間が掛かった要因となったのだが、金が夜な夜なナイフを持参して徘徊していたのを警察官が目撃していた。


同年1月20日午前5時、多くの警察官が金の家に押し寄せ、金を地面に押し倒すと手錠を掛けた。


裁判で死刑を言い渡された金だったが、警察はこれまで金は14人を殺害し、11人を強姦したと考えていた。

だが、金が自白したのは11人であった (他に9人や10人という説もある) 。


同年4月25日、死刑が執行された。


最後に逮捕の際、取り押さえられている時に言った金の言葉で終わりたいと思います。

「ポケットの中のお金を取ろうとしてもそれは無駄です」



《殺人数》
11人? (14人の可能性あり)

《犯行期間》
1998年6月~2001年12月2日



∽ 総評 ∽

金による犠牲者は9人から14人とはっきりしない。

ただ、強姦被害者も多い事からむしろもっと多い可能性すらあるといえる。

金の動機はいまいちわからないが、殺人に至らずもと強盗や強姦も行っており、典型的な鬼畜殺人鬼といえる。

金がこれ程の異常性がどのようにして備わったのか詳細がなくわからないが、18歳の時にはすでに強盗を犯した。

ただ、両親や近隣住民からの評判はよく、好青年のように思われていた。

これは異常性を表に出さない為の隠れ蓑であろう。

中国の厳罰振りは周知の通りだが、この金も例に漏れなかった。

判決を言い渡された日はよくわからないが、逮捕されてから死刑執行まで3ヶ月足らずしかなく、日本やアメリカなど死刑がある国にとってはとても考えられないスピードである。

ただ、これまで何度も言っている通り、犯人が確定し冤罪の可能性がないのなら中国のようにさっさと執行するべきだと思う。