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テレサ・リギ (イギリス)
【 1963 ~ 2014 】



テレサ・リギは、1963年、アメリカ・カリフォルニア州で生まれた。


1989年、リギは石油産業技術者のパスクァーレと結婚し、1997年にイギリスに移住した。

リギは体外受精 (IVF) により双子の男の子オースティンとルークを生んだ。

その後、他の良好胚を冷凍保存し、後に再び移植してセシリアを生んだ。


だが、2009年、再びIVFで妊娠を試みるが失敗してしまい、それ以降、夫婦関係が悪化してしまう。

リギたちはアバディーン (スコットランド) に移動すると、離婚を求めた。

夫婦は離婚する事となったのだが、子供の親権について争う事となる。

リギは夫が2009年から子供たちに対して愛情が薄れ、会うことを止めたと述べた。

だが、親権争いは互いに譲らず、裁判は長引き泥沼の様相を呈していた。


2010年7月12日、パスクァーレがリギの家を訪ねるが、家には誰にもおらず子供達と会う事が出来なかった。

その為、パスクァーレは警察に知らせる。

リギと子供達はエジンバラの家に戻ったが、家に武装したメッセンジャーが訪れ、子供達についての令状を渡し、次回の法廷日を知らせた。


同年8月2日、予定されていた法廷審問の前夜、リギは元夫パスクァーレと電話で会話を交わした。

これが、パスクァーレと会話を交わした最後となった。


翌日、リギの姿は法廷になかった。

裁判官レイディ・クラークは、この事を緊急事態であると考え、ソーシャルワーカーに子供達を監督するよう命じた。

そして、リギの家にファックスを送るが、リギはファックスを受け取らなかった。


同年8月4日、リギはオースティン (8歳) 、ルーク (8歳) 、そして、セシリア (5歳) を次々とナイフでそれぞれ8回刺して殺害すると、遺体を1列に並べる。

そして、ガスを放ち自らは2階から飛び降りて自殺を図った。

その後、ガスに引火し爆発が起こり、警察が駆けつけると負傷したリギがいた。

家の中から子供3人の遺体が見つかり、当初は事故と思われた。

だが、ガス爆発は事件を事故に見せかける為の隠蔽工作とわかり、リギも殺人を認めた為、逮捕された。

リギを診た精神科医は
「彼女は過度に支配的であり、子供に対して異常で強迫観念的な愛情を抱いている。また、自己愛、妄想性及びヒステリック性人格障害を患っている」
と診断した。

裁判でリギはしっかり化粧し、身だしなみも整え清潔な服装で出廷した。

元夫のパスクァーレも証人として出廷し、
「私はオースティン、ルーク、セシリアの事を生涯忘れないだろう。私は子供達について毎日少なくとも100回は考えている。父親をとして子供達を危険から守れなかった事をひどく後悔している」
とその心中を語った。


2011年4月26日、裁判官はリギの犯行を「邪悪でグロテスク」とし、懲役16年を言い渡した。


同年11月19日、刑務所で朝食を摂った後、リギの独房に40歳の囚人が忍び込んだ。

そして、リギの髪の毛を掴み、顔面をカミソリの刃で切りかかった。

リギの叫び声を聞いた刑務所長官が駆けつると、血まみれで倒れているリギを見つける。

リギはすぐに病院に搬送され、一命を取り留めるが、髪の毛の塊をむしられ、その傷は永久的に残る事となった。


2014年3月10日、リギは刑務所内で自殺した。

享年50歳。

広報はリギの死因について「原因不明だが疑わしくはない」と発表した。


最後に子供達を殺害する直前に元夫パスクァーレに電話した際の発言で終わりたいと思います。

「さよならを言うべきだ」



《殺人数》
3人

《犯行期間》
2010年8月4日



∽ 総評 ∽

自らの子供3人を殺害したリギ。

リギは親権争いの最中に殺害に至ったが、詳細はないがおそらく子供達を奪われると思っての犯行だろう。

「とられるくらいならいっそ」という考え方により行われたと思われるが、身勝手極まりない。

ただ、これも詳細がなくわからないが、リギは体外受精で子供を産んでおり、恐らく普通に産める状況になかったのだろう。

その為、生まれた子供たちへの愛情がより強く、執着は人一倍だったのだろうか。

リギは最後自殺したが、おそらく後悔への自殺ではないと思われる。

後悔であればすぐに自殺しそうなものであるし、そもそも子供達を殺害後、1人飛び降りという方法をとって助かっている。

高層住宅の屋上ならまだしも、2階程度では助かる可能性の方が高いだろう。

結局、死んだのでいいのだが、父親が不憫でならない。