_20181116_144308
パブロ・ゴンカルベス (ウルグアイ)
【1970 ~     



パブロ・ゴンカルベス・ギャジャレタは、1970年3月6日、スペイン・ビルバオで生まれた。

父親は有名な外交官ハムレット・ゴンカルベス (1992年7月16日死去) であった。


9歳の時、カラスコに移住し、その後、共和国大学経済学部に入学した。

ゴンカルベスはは1991年までは安定してガールフレンドがいた。

また、友人と共同でオートバイの修理工場を作り、事業を始めた。


1992年1月1日早朝、歴史の教師であったアナ・ルイサ・ミラー・シチェロ (26歳♀) がビーチで遺体で発見される (シチェロは元プロテニスプレイヤー、パトリシア・ミラーの実妹であった) 。

死因は窒息死であったが、当初、犯人は技術者のヒューゴ・サペリと思われた。

サペリはシチェロの恋人であった為、疑われたのだが、ポリグラフ検査を受け問題なしとされた。


同年9月20日、ウルグアイの首都モンテビデオで、アンドレア・カストロ (15歳♀) がディスコから出た後、何者かに殺害される。

カストロの死因は窒息であり、遺体の首にはネクタイが巻き付けられていた。

また、カストロとシチェロ殺害には多くの類似性が見られた。


1993年2月8日、マリア・ビクトリア・ウィリアムズ (22歳♀) が出勤の為にバス停に向かった。

道を歩いていたウィリアムズを見たゴンカルベスが突然の衝動に駆られ、道に出てウィリアムズに祖母が心臓発作で苦しんでいると話し、助けを求めた。

助けようとウィリアムズが家に入ると、ゴンカルベスは首を絞めた。

そして、顔にナイロン袋を被せ、息が出来なくもがき苦しむ姿を見て楽しんだ。

その後、ゴンカルベスはブラジルのポルト・アレグレに向かった。

ポルト・アレグレには兄弟が住んでいた。

だが、ゴンカルベスは現地で逮捕され、モンテビデオに移送された。

ゴンカルベスはこれまでの殺人を認めた。

裁判でゴンカルベスは懲役30年が言い渡された。


1999年3月6日、ゴンカルベスは2人の囚人に襲われ、26針縫う怪我を負った。


2005年7月7日、ゴンカルベスはアレハンドラという女性と獄中結婚する (結局2015年に離婚している) 。


2016年6月23日、ゴンカルベスは刑期を終え、釈放された。


2017年、ゴンカルベスはパラグアイで逮捕された。

無登録の銃器と大量のコカインを運んだ罪であった。

余談だが、ゴンカルベスはウルグアイで最初のシリアルキラーといわれている。



《殺人数》
3人

《犯行期間》
1992年1月1日~1993年2月8日



∽ 総評 ∽

3人の女性を殺害したゴンカルベス。

詳細がなくわからないが、ゴンカルベスは強姦した形跡がなく、もししていないとしたら殺人のみを行うという生粋の快楽殺人鬼といえる (詳細がないだけでおそらく強姦していると思われるが) 。

ゴンカルベスの父親は著名な外交官であり、その為、家庭はそれなりに裕福だったと思われる。

そう考えるとゴンカルベスがこれ程の異常者となった理由がよくわからない。

ゴンカルベスは父親が外交官で、また、殺害した相手もプロテニスプレイヤーの妹だった為、有名な殺人鬼となってしまった。

ゴンカルベスは刑務所で暴行に遭ったが、刑務所の中でもおそらく生意気だったのだろう。

ただ、釈放となりその後、再び逮捕されたが、これは更生が上手くいかなかったと発表しているようなものである。

安易に釈放した人間への罰というのを作らないと、これからも何度も繰り返されてしまい、いつも泣くのは善良な一般市民である。

外交官として有名であった父親とゴンカルベスはどのような関係であったのだろうか。

父親が死亡した時、すでに殺人を始めていたゴンカルベスであったが、息子が逮捕される前に死んである意味幸せだったかもしれない。