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ダマソ・マルティン (スペイン)
【1944 ~ 1991】



ダマソ・ロドリゲス・マルティンは、1944年12月11日、スペイン・テネリフェ島サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナで生まれた。

父親をマルティン・ロドリゲス・シベリオ、母親をセレスティナ・マルティン・ペルドモといい、5人兄弟 (4人男、1人女) の1人であった。

家は非常に貧しかったが、両親は子供たちに良い教育をさせて上げたいと思っていた。

だが、成長するにつれマルティンは犯罪を行うようになる。


1962年1月15日、17歳の時に窃盗で逮捕され、初めて刑務所に収監された。


1963年9月、釈放後、軍に入隊し、西サハラに送られる。

だが、現地で犯罪を行い除隊となる。


1967年、テネリフェ島に戻り、メルセデスという名の女性と結婚する。


1973年に最初の子供が生まれ、1975年に2人目が生まれた。

子供が生まれたマルティンだったが、落ち着く所か異常性が増していき、この頃、他人の性行為を覗く事を好み、また、盗撮もしていた。


1981年11月11日、車の中で行為に及んでいる若いカップルを目撃すると、まず、男を殺害する。

そして女性を強姦し、バスターミナルまで連れ去った後、そこで解放した。

警察は山を熟知し、夜通しカップルを探し回っている暴力的な男について周囲に聞き込みを行った。

すると、すぐにマルティンの名前が挙がり、警察は逮捕した。

マルティンは殺人に強姦、銃器の窃盗、違法な武器の使用等により懲役55年が言い渡された。


刑務所に収監されていたマルティンだったが、1991年1月17日、刑務所から脱獄を図り、アナガの山の中に逃げ込んだ。

その後、ドイツに逃走したマルティンは、そこでドイツ人ハイカーのカップルを襲う。

男性は命乞いするが、マルティンは容赦なく殺害した。

男性を殺害した後、マルティンは女性を強姦し、首を絞めて殺害した。

このマルティンの犯行は当時の「Carnival of Santa Cruz de Tenerife (国際的なカーニバル) 」のお祝いに影を落とした。


同年2月19日、警官がマルティンの家に迫ると、「Guardia Civil (スペイン治安警察) 」との銃撃戦が展開される。

その後、ショットガンで自らを撃って自殺した。

マルティンは犯行の悪評振りからカナリア諸島における最も有名な犯罪者とされている。


2003年、マルティンの犯罪についてTVで放送された。

マルティンが隠れた山小屋の壁にはいくつかの魔法陣が描かれており、その為、マルティンは『El Brujo (呪術) 』と呼ばれた。



《殺人数》
3人

《犯行期間》
1981年11月11日~1991年1月17日



∽ 総評 ∽

『El Brujo』と呼ばれ3人を無情にも殺害したマルティン。

両親はマルティンに良く育って欲しいと願ったが、真逆の人生を送る事となった。

そう考えるとおそらくマルティンは先天的に異常だったと思える。

その犯行はカーニバルのお祝い気分を台無しにしてしまう程、凶悪なものであった。

マルティンは1度刑務所に入り懲役55年が言い渡されたが、脱獄され犯行に及んだ。

怠慢ではなく自力で脱獄したのなら仕方ないが、山に逃げ込まれた事で見つける事が困難となってしまった。

ただ、最後は銃撃戦の末、観念して自殺したが、射殺されるのが1番ではあるが死んだ事は良かった事である。