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ウルフギャング・アベル (イタリア)
【1959 ~     】



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マルコ・ファーラン (イタリア)
【1960 ~     】



ウルフギャング・アベルは、1959年3月25日、ドイツ (当時は西ドイツ) ・デュッセルドルフで生まれた。


マルコ・ファーランは、1960年1月16日、イタリア・パドヴァで生まれた。


イタリアの各都市で1977年8月から1984年まで同性愛者や売春婦、薬物中毒者等が殺害される。

最初の被害者はパドヴァで刺されたカジノの労働者で、この男性は生き残った。

次はヴェネチアの同性愛者のウェイターで、殴られ34ヶ所刺されて殺害された。

ヴィチェンツァでは売春婦 (51歳) が殴り殺され、2人の司祭がハンマーで殴られ頭蓋骨が砕かれた。

ヴェローナでは眠っていたヒッチハイカーが襲われ殺害されて遺体を焼かれた。

トレントでは同性愛の司祭が襲われ、木製のクロスで殴られノミで刺されて殺害された。

これらの事件の現場にはイタリア語で書かれたチラシが置かれており、それにはナチスの鷲と卍のマークが描かれ、その上に「Ludwig (ルートヴィヒ) 」と書かれていた。


1984年3月3日、カスティリオーネ・デッレ・スティヴィエーレで、ピエロの格好をしたアベルとファーランが、ガソリンをかけたカーペットや家具で混雑したディスコクラブに突入しようとした所を見つかり、逮捕された。

逮捕されたアベルとファーランだったが、警察は一連の連続殺人事件の犯人だと確信していた。

しかし、アベルとファーランは自分達は関係ないと犯行を否認する。

2人は真の犯人を逮捕出来ない為、警察によりスケープゴートにされたと主張した。


1987年1月、27件の罪の内、10件で有罪判決が下され、同年2月、両者には懲役30年が言い渡された。

2人はすぐに控訴する。

だが、2人は控訴手続きにより保釈されると、アベルはメストリノに、ファーランはカザーレ・ディ・スコドージアに移り住んだ。

その後、ファーランはイタリアを去り、ギリシャのクレタ島に逃走した。


しかし、1995年5月、偽名を名乗っていたファーランは逮捕され、イタリアへ強制送還された。

ヴェネチアの控訴裁判所は2人に改めて懲役27年を言い渡した。

ファーランは刑務所で自殺を試みるが未遂に終わった。


2009年1月にファーランが、2013年にアベルがそれぞれ釈放されている。


最後に犯行現場に置かれたチラシに書かれたスローガンで終わりたいと思います。

「私たちは最後のナチス。死は真の神を裏切る者に来る」



《殺人数》
4人 (他犯罪多数)

《犯行期間》
1977年8月~1984年



∽ 総評 ∽

売春婦や同性愛者など、4人を殺害したアベルとファーラン。

アベルとファーランは自分達は真の犯人を逮捕出来ない警察によりスケープゴートにされたと主張した。

確かに2人が確実にやったという証拠はなかった。

だが、後の逃走した事や諸々の事情からまず2人の犯行で間違いない。

2人はどのような人生を送り、どのように知り合ったのか詳細がなくわからない。

特にアベルはドイツ出身なので、どのような経緯でイタリアに来たのかわからない。

出会いは恒例の刑務所で知り合った異常者同士意気投合したのだろう。

2人はすでに外に出て来ており、その後、どのように過ごしているのか詳しくわからない。

ただ、こんな異常者たちが外にいる事に恐怖と不安しかないのは私だけではないと思う。