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鄭 民生 (ヂォン・ミンシォン 中国)
【1968 ~ 2010】



鄭民生は、1968年4月30日、中国福建省南平市で生まれた。


技術中等教育学校を卒業した鄭は、化学繊維工場で働くが、工場の閉鎖に伴い病院で働き始めた。


2008年、鄭は外科医に昇進するが、2009年6月に診療所を辞め、それ以来、失業していた。

そして、この頃から鄭の精神に異常をきたし始めた (しかし、精神が異常であったという診察を受けた記録はない) 。


2010年3月23日午前7時20分頃、南平市実験小学校校門前には多くの児童が集まっていた。

この学校は校門が7時30分に開く為、数十人の児童たちが開門を待っていた。

すると、鄭がその児童たちの中に飛び込み、持っていたナイフで次々と襲い始める。

鄭は目につく児童の首、胸、腰等を刺した。

医者であった鄭は、どこを刺せば致命傷を負わせる事が出来るのか熟知しており、的確に刺していった。

校門前は血飛沫と悲鳴が飛び交うまさに地獄絵図と化した。

その後、学校の教師や警備員、近くを歩いていた通行人により鄭は確保され、駆けつけた警察によりその場で逮捕された。

結局、被害者は全部で13人で、その内、8人 (男子4人、女子4人) が死亡、5人が重傷という惨事であった。

しかも、最初の犠牲者から最後の犠牲者まで、わずか55秒というあっという間の犯行であった。

鄭の犯行動機だが、鄭は恋人に結婚指輪を渡して結婚を願ったが、恋人が結婚を渋った事や、周囲の人間から常に見下されていると思い込み、その為、自分は生きていても価値のない人間だと思った事が動機であった。


同年4月8日、南平市中級人民裁判所で、「意図的な犯行」とされ、鄭には死刑が言い渡された。

また、鄭は政治的権利を奪われた。


鄭は上訴するが、同年4月20日に訴えを却下した。


同年4月28日午前9時6分、鄭の死刑が執行された。

享年41歳。

この鄭の事件は世間に強い衝撃を与え、事件から1ヶ月程の間、広西チワン族自治区、山東省莱州市等、中国各地で同様の事件が相次ぎ、負傷者が多数出ている。

これらの事件をメディアは「南平の悲劇の模倣だ」としている。



《殺人数》
8人 (他負傷者5人)

《犯行期間》
2010年3月23日



∽ 総評 ∽

開校前の小学校を襲撃し、8人の児童を殺害した鄭民生。

こういった事件は、アメリカでは銃乱射事件、日本では通り魔事件として起こっており、珍しいという事はない。

日本では2001年に宅間守が小学校を襲撃し、8人殺害しているが、両事件は非常に似ており、奇しくも殺害数も一緒であった。

鄭の犯行動機は恋人に結婚してもらえず、また、自分はこの世に必要ないと感じた為に行われたものだが、動機としては身勝手極まりなく救いようがない。

ただ、こういった事件を起こす動機としては典型的といえる。

宅間は将来有望な子供たちが録でなしに殺害されるという理不尽さを知らしめたかったといって子供を標的としたが、鄭の場合は何故子供を狙ったのかわからない。

だが、宅間も鄭も非力で弱い子供を狙う点においてとは最も卑劣で許し難い。

鄭は3月23日に事件を起こし、4月8日に死刑判決を受け、4月28日に執行された。

執行の早い中国でもかなり早いペースだと言えるが、それほど事件の衝撃が凄まじかったのだろう。

現在の中国から学ぶ点は何一つないが、唯一、死刑判決と執行の早さだけは世界が学んで欲しいと思う。