
ルスラン・カマロフ (ウクライナ)
【1973 ~ 】
ルスラン・ラヒモビッチ・カマロフは、1973年、ウクライナ (この時はソ連) ・ベルジャーンシクで生まれた。
カマロフはウイグル人を祖先としていた。
1981年、カマロフの父親は突然イスラム教に改宗し、家族を捨ててロシア (ソ連) ・マハチカラに移住した。
1985年、カマロフの母親が列車に飛び込み自殺した。
その為、カマロフは幼少時代のほとんどを孤児院で過ごした。
1991年、職業訓練学校を卒業すると、窃盗で逮捕され、2年6ヶ月の禁錮刑が言い渡された。
1993年に釈放されたカマロフは、1997年までザポリージャに住み、窃盗を繰り返し行った。
その後、カマロフは2000年まで精神病院に入れられた。
釈放されると、親戚がカマロフの為に部屋を買い与えた為、カマロフは故郷のベルジャーンシクに戻った。
同年11月、カマロフは47歳の女性を殺害する。
これがカマロフにとっての初めての殺人であった。
これ以降、カマロフは若い女性を標的とするようになる。
カマロフはバーやダンスパーティーで獲物を物色し、仲良くなると家に招き入れ、ウォッカを大量に飲ませ酔わせた。
そして、強姦した後にナイフや手製の銃で殺害した。
また、殺害後、遺体を死姦した。
こうして、カマロフは2003年2月まで10人の女性及び少女を殺害する。
最後の犠牲者となったポリーナ・イズベコワ (17歳♀) は、2003年2月24日にカマロフに殺害された。
イズベコワの母親が警察に通報してから3日後、同年3月1日にカマロフは逮捕された。
イズベコワの遺体は井戸の中で見つかったが、カマロフは他の殺人についても告白した。
2004年2月9日、カマロフの診察が行われ、殺人を行っていた時、カマロフは正常であったと判断され、終身刑が言い渡された。
最後にイズベコワの遺体が発見された際のカマロフの発言で終わりたいと思います。
「もう10ある」
《殺人数》
11人
《犯行期間》
2000年11月~2003年2月24日
∽ 総評 ∽
11人の女性や少女を強姦して殺害したカマロフ。
ウクライナの殺人鬼はこれまで何人か紹介してきたが、殺人数からもかなり強烈な人物が多い。
カマロフは最初、中年の女性を1人だけ殺害し、その後は少女や若い女性のみを標的とした。
おそらく1人目は母親の幻影を求め、その後はただの欲求に目覚めたのだと思われる。
カマロフは幼い時に父親に見捨てられ、その後、母親が自殺を図った為、孤児院で過ごす事となった。
カマロフがこれ程の異常者となったのも、両親の影響が間違いなくあると思われ、その点だけは同情の余地はある。
だが、もちろん凄惨な事件を起こした事は許される事ではなく、死刑以外の選択肢はない。
コメント
コメント一覧 (5)
欧州のイスラム教とはひさびさですね。
10人も殺して自称20人と言っている ロリコンに終身刑とは 呆れます
カンボジアやシリアの地雷撤去やチェルノブイリの除染をさせたいくらいです。
中年女性を殺害したのは管理者さまが仰る通り、母親の影を引き摺っていたのだと私も思います。
10人もの若い女性を強姦殺人しているのに終身刑とは・・・・・・犯罪をヤったモノ勝ちの風潮がある限り凶悪犯罪は増加するだけだと私は思います。
呆れますね。
終身刑にしか出来ないんですからね。
まあ人権を無駄に主張するヨーロッパでは仕方ないですね。
>考える愚者さん
これだけの犯罪をやっておいて終身刑にしか出来ない。
仰る通り犯罪はやったもん勝ちという風潮がありますね。
殴られて殴り返したら負け。
殴られた方は我慢しなければいけないんです。
強姦されても監禁されても殺されても泣き寝入りしろ
人権先進国EUの実態がこれですか?
このコメントを見て怒りで頭が沸騰しそうになりました!!
聖職者、政治家、警官などが犯罪者気質なら人権の概念が犯罪者側になるのは当然のことです。
犯罪者の人権侵害をサポートすることが人権なんてこっけいですね。
残念ながらそれですね。
EUは犯罪者だろうが真面目に生きている人間と対等です。
いえ、むしろ大切にされているかもしれませんね。
所詮、国も他人事なんですよ。
国民1人死のうが知った事じゃない。
それより体裁や各国からの風当たりを気にするんです。