
ウィリアム・バルフォア (アメリカ)
【1981 ~ 】
2008年10月24日、アメリカ・イリノイ州シカゴで、ジェイソン・ハドソン (29歳♂) とその母ダーネル・ドナーソン (57歳♀) が殺害され、ジェイソンの甥ジュリアン・キング (7歳♂) が誘拐される事件が発生する。
ジェイソンとダーネルの死因は射殺であり、第一発見者は近くに住むジェイソンの従兄弟であった。
犯人はジェイソンの家から盗んだ車で逃走した。
この手の事件は珍しくもないアメリカであったが、事件は大々的に報道され、瞬く間に全米に知れ渡る事となる。
それには理由があり、殺害されたジェイソンは歌手ジェニファー・ハドソン (女優としても活躍しており、アカデミー賞で助演女優賞を獲得している) の兄でダーネルは母親であったからだった (ジュリアンは甥) 。
殺害現場はジェニファーの実家であった。
同年10月27日、盗まれた車がシカゴ市内で見つかり、車内に無惨な姿となったジュリアンの死体も発見された。
検死の結果、ジュリアンは複数ヶ所撃たれていた事がわかり、ジュリアン殺害に使った銃がシカゴ西部で発見された。
同日、警察は犯人を特定する。
実はジェニファーにはジュリアという姉がおり、その元夫であるウィリアム・バルフォアが犯人とされた。
シカゴ警察はバルフォアを逮捕し、拘留するが、証拠がなく長時間拘留する事が出来ず、同年11月10日には釈放しなければならなかった。
そこで、警察は現在のバルフォアのガールフレンドを尋問し、殺人事件の数日前に殺害に使用した銃と同じ銃をバルフォアが手に入れたという情報を得る。
更にバルフォアの薬物使用等、別件で逮捕し、拘留した。
同年12月1日、バルフォアはジェイソンら殺害容疑で正式に逮捕された。
同年12月3日、検察がバルフォアの動機について、元妻のジュリアが別の男性と付き合っていた事に対する怒りだと述べた。
2009年1月20日、バルフォアは全ての罪で無罪を主張したが、2012年7月24日、懲役120年と3つの終身刑が言い渡された。
ジェニファーを含むハドソンの家族は、犠牲者家族の為の「ハドソン・キング財団」を創設する事を発表した。
これは暴力犯罪により親族を失った遺族をケアする財団であった。
家族が殺害されたジェニファーは、しばらく活動を休止していたが、事件から約4ヶ月後の2009年2月に復帰している。
余談だが、2014年8月、ジェニファーの異母兄であるスティーヴン・アンジェロ・シンプソンが、別居中の妻の恋人を刺して逮捕される事件が起きている。
ジェニファーはこの事件に関してコメントを出していない。
《殺人数》
3人
《犯行期間》
2008年10月24日
∽ 総評 ∽
有名人の家族を殺害したバルフォア。
バルフォアの動機ははっきりとしないが、検察は元妻が別の男性と交際している事への怒りだと述べている。
自身にもガールフレンドがいるにも関わらず、もしそれが本当ならバルフォアの動機は身勝手で救いようがない。
殺害された一家は歌手のジェニファーの親だったり兄だったりとかなりの身近な身内であったが、その為、事件発生当時は全米のみならず日本でも話題になった。
だが、犯人も元家族の一員であり、ジェニファーはまさか元家族の1人に親たちを殺害されるとは思ってもみなかったであろう。
ただ、恐らくバルフォアが元々ろくでもない人間で、その為、ジェニファーの姉は離婚したのだと思われる。
これは決して他人事ではなく、自身の家族が異常な人間と結婚し、ジェニファーのように巻き込まれる可能性は十分にある。
ジェニファーは今度は異母兄が事件を起こす不幸に見舞われている。
こういう不幸は不思議と続くものだと痛感させられる。
コメント
コメント一覧 (10)
温情がひど過ぎます。
3人も殺しておいてしかも世間を震撼させているのですから死刑判決は当たり前です
そのくせ動機も身勝手で救いようがないのですからなおさら死刑しかありえません!
なのに付け足したような終身刑で長生きさせるのですか?
無意味で絶望に値します...
被害者を憐れむ余裕があるのなら、死刑推進をもっと大声で唱え、死刑執行の迅速化をもっと行動しろよ言いたくなります!
来年こそは米政府も死刑執行をもっと大量になおかつ迅速にやってほしいものです
終身刑になったのは残念ですが、看守や囚人にぼこぼこにされるなり、毒を盛って殺されるなりそれなりの天罰は受けてほしいものです...
一生を保障しますね。
死刑がある国ですらこのていたらく (ただしアメリカの現在は大半の州が死刑を廃止している) 。
死刑に関しては中国等を参考にして欲しいです。
断言します!全く慰みにもなりません!!
大体、懲役120年でも成人なら終身刑!
終身刑が2つも重なれば刑罰もランクアップするべきでしょう!
死刑の下が終身刑なのですから。
終身刑より重いから2つも3つにも付けるのですから「終身刑より重い」と云う認識があるのに死刑に出来ないのは最早、正常な司法とは言い難いと私は思います。
何故?前途ある善良な一般市民が生命を奪われ、何故?善良な一般市民を無惨に殺害した糞ッタレな凶悪鬼畜が税金で悠々自適に生きていけるのか!?
こんな呆れる司法だからこそ「自らの欲望を満たす犯罪は得をするんじゃないか」と思い込む馬鹿が凶悪化するんです。
冤罪では無い確たる証拠があれば「加害者如きの事件背景」なんぞ事件解明の役に立たないモノは必要ありません。
断固とした処罰(死刑)があれば事足ります。
別に厳しくは無いと私は考えます!只単に犯罪に手を染めなければ良いだけなんですから・・・・・・
僕なら死刑を1回出して1週間以内に縛り首ですね。
もちろん処刑するときは他の凶悪犯数人も一緒に
でもこの事件が衝撃的すぎたからこの空気に便乗して凶悪犯擁護団体がいろいろ言ったんでしょう。
で、彼らを黙らせたいだけに終身刑を出して延命させたんですか。
情けない
終身刑にするなら自殺するほど絶望を味わわせてナイフやヒモを入れておいていつでも自殺ができるように準備させるしかないのです。
なのに凶悪犯の自殺予防は完全に凶悪犯を守っているとしか思えません。
そして、被害者、一般人はボロ切れのように扱われ、凶悪犯には1人につき10億ほど毎年税金で飼われているのです。
こんな情けない税金の使われ方は変えるべきで、凶悪犯はスピーディーに処刑されるべきなのです。
そして、余ったお金は被害者遺族などへのお見舞い金に充てるべきなのです。
もちろんそうです。
何の慰みになりません。
唯一慰みとなるとすれば被告が処刑される事です。
仰る通り司法には呆れて何も言えませんね。
やはり凶悪犯といえど生きている人間なので躊躇いが起こるのでしょう。
無惨に殺された人は何も発しないので、何とも思わないのでしょう。
まあ司法も所詮他人事なので、それよりも遺族に対して「ごちゃごちゃ言ってきて面倒臭いな」程度しか思ってないでしょう。
>lukeさん
私がもし裁判官なら死刑宣告は確定していて、その前に被告の反省や言い分を散々言わせます。
そして、一通り聞いて容赦なく死刑を言い渡します。
すぐ執行して欲しいかは本人に聞いてもし、少しでも生きていたいのならその間は拷問を加えます。
私も生きているのが辛いくらいのまさに監獄にしますね。
「ロスコー・アーバックル事件」もかなりの衝撃だったようです。
この事件の容疑者ロスコー・アーバックルはぽっちゃり系の俳優だったので日本でも「デブ」と呼ばれてとても大人気の大スターでした。
また、パイ投げを世界に広めた有名人でもあり、チャップリンとは何度も何度も共演しています。
しかし、ある女優の強姦された死体が見つかったことにより性犯罪者としての烙印が押されてしまい、アーバックルが出演した映画は上映禁止になりました。
しかし、この事件で容疑者のアーバックルは証拠不十分で無罪が言い渡されており、彼が犯人だったかは明らかにはなっていません...
結局現在でも真犯人は見つかっておらず、未解決事件扱いです。
掲載してくださったらうれしいです
そんな事件があったんですね、知りませんでした。
今度調べてみたいと思います。
本来なら凶悪犯の態度ではなく、凶悪犯の罪状で刑罰の重さを決めるべきなのです。
強姦殺人を犯したのに妄言やヘタな謝罪のせいで情状酌量が認められ刑が大幅に減刑される。
そして、暴言や太太しい態度があったときだけ死刑になるのはおかしすぎます。
凶悪犯やその弁護士の言い訳や反省、謝罪はおならのような大して裁判の進行や刑罰に関係ないので、全部聞いたうえで死刑判決を出してしまえば問題ないのです。
しかし世の中はすごく理不尽すぎます。
ウソの反省や謝罪、言い訳が上手なひきょうな凶悪犯ば減刑されて死刑は回避されるのです。
しかも、裁判官の中にもウソにだまされる人はいるので、全員一致が原則の陪審員ではなかなか死刑にはできず結局終身刑どまりなのです。
罪を素直に認め、ウソの謝罪をしなかった凶悪犯には死刑判決が言い渡され、処刑されるのです。
凶悪犯であることは皆変わりないのですからさっさと裁判を終わらせて死刑判決を出すべきなのです
もし本当に凶悪犯に情状酌量を認めるとしたら、私は謝罪の言葉を吐かなかったり、最後まで太太しい凶悪犯には情状酌量をしてあげようかなと思います。
決まってしまう場合がありますね。
裁判官も人間なので、目の前で嘘でも反省していれば「可哀想」などと思うのでしょう。
仰る通り、刑は犯した罪で決めればよく、その後の態度で変えてはいけません。
では殺された人はその後の態度を裁判で見せる事も出来ず、これは完全に不公平です。
ではせめて遺族を本人の代理として法廷に立たせるべきです。
凶悪犯には死刑以外の選択肢はなく、楽に死ねるかどうかの選択を裁判でするだけでいいと思います。
私も自分の犯行に対して堂々として反省の態度を微塵も見せない方がまだましだと思いますね。