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ハワード・ヒューズ (イギリス)
【1965 ~ 】



ハワード・ヒューズは、1965年6月9日、イギリス・ウェールズ州ランディドノーで生まれた。

父をジェラルド、母をレニーといった。

ヒューズは3人の姉妹がおり、ジェラルドは優秀な土木エンジニアにしてビジネスマンであり、会社を経営し、周囲からは尊敬されていた。

だが、ヒューズは生まれながら「XYY症候群」という性染色体異常であり、それによりヒューズは手足や身長が長く伸び、11歳までに身長が1m82cmもあった (最終的に2mを超えている) 。

また、ヒューズは歩行障害と学習障害に加え、失読症を抱えていた。

そんなヒューズは学校で他の生徒に暴力を振るうようになる。


1975年、ヒューズ10歳の時、学習障害の為、ダービーシャー州に送られ、1979年にウェールズ州のウッドランズ私立学校に移った。


1981年、ヒューズ16歳の時、7歳の少年を家に拉致する。

そして、自身の陰部を露出させ、猥褻行為を行った。

その後、ヒューズは少年の首を絞めた。

少年がぐったりしたので死んだと思っていたが、実は少年は死んだ振りをしてやり過ごした。

ヒューズが去った後、少年は警察に駆け込みヒューズはすぐに逮捕された。

ヒューズは暴行罪で有罪判決が下され、2年間の保護観察とセント・アンドリュー精神病院に入院させられた。

また、ヒューズは他にもドラゲラウにある異常な犯罪者を治療する施設や、ガース・アンガラッド病院にも入院した。


病院から解放後、ヒューズは北ウェールズに住む離婚した母と一緒に住み始めた。

しかし、ヒューズは19歳の時点で暴行や窃盗、脅迫に自動車窃盗、不法武器の所持等あらゆる犯罪に手を染め、17件の罪で逮捕され有罪判決が下された。


ヒューズは3ヶ月刑期を務め、1980年代後半には大人の刑務所に7ヶ月間収監された。

釈放されたシューズは、今度は5歳と9歳の少女に対する暴行で告発された。

ヒューズは1992年までに5件の少女たちへの暴行を行ったとされ、警察に尋問された。


1995年7月29日、ソフィー・フック (7歳♀) は、ランディドノーに住む親戚の家を訪ね、従兄弟の誕生日を祝っていた。

午後、フックは公園のプールで子供たちと遊ぶ為に着替えを行った。

その様子を遠くからヒューズは見ていた。

ヒューズは道から子供たちが庭のテントで夜を過ごすという話をしている事を耳にする。

その後、ヒューズはアレクサンドラ・ロバーツ (6歳♀) という少女を誘拐しようとしたが、逃げられてしまい未遂に終わった。


翌日30日午前0時20分頃、フックを含む3人の子供たちが屋外のテントにいた。

3人の子供の内、1人が家の中で寝る事に決め、フックの叔父は深夜、寝る前に子供たちを確認し、家の後ろのドアを開けたままにしておいた。

午前2時30分頃、フックの従兄弟か目を覚まし、テントを確認すると、フックと自分の妹が眠っていた。

午後2時55分頃、ヒューズは遊歩道を歩いている所を巡回中の警官に職務質問された。

午前7時15分、フックの従兄弟がテントの中を確認すると、自身の妹はいたがフックはいなかった。

フックのお気に入りのおもちゃはテントの中にあったが、寝ていた寝袋は芝生の上に放置されていた。

フックの家族は庭や周辺の畑等を探したが、見つけられなかった為、午前8時20分、警察に通報した。

だが、実は午前7時10分頃、地元の男性が犬の散歩で歩いていると、ランディドノーから半マイル程の所にあるビーチで少女の死体を発見する。

発見された時はまだそれがフックだとはわからなかった。

病理学者のドナルド・ウェイトは検査を行うと
「右腕と足首が骨折し、全身が傷ついていた。頭や顔の周りに殴られたり叩かれたりした痕があった。内出血もしており強姦されていた。その怪我は自動車の交通事故と匹敵する程であった」
と話した。

また、
「しかも、それらの傷はまだ生きている時に付けられたもので、彼女は痛みに耐える為、舌と下唇を激しく噛み、その為、歯形がしっかりと残されていた」
と供述した。

更に、フックは海に投げ捨てられ、それは3分間にも及び、最後は首を絞められた事で絞殺された事が判明した。

警察はすぐに捜査を開始し、死体が発見された30日の午後3時50分、ヒューズが母親と一緒にいる所を逮捕された。


同年8月3日朝、警察はフック殺害に関して十分な証拠がないとして、その日の午後3時に解放しなければならなかった。

警察はヒューズがフック殺害の犯人だと確信しており、解放までの7時間以内に何とか証拠を掴もうと考える。

そこで、警察はヒューズの家を家宅捜索し、沢山の子供の卑猥な写真等を見つけ、それを元にヒューズを殺人罪で起訴した。


1996年6月24日、裁判が開かれるが、依然としてフック殺害を結び付ける決定的な証拠はなかった。

しかし、3人の証人が法廷の証言台に立ち、フック殺害に結び付ける証言を行った。

1人目の証人はヒューズの父ジェラルドであり、ヒューズが逮捕され警察署に拘留された直後、フック殺害を認めたと語った。

しかし、ヒューズは父親の発言を否定する。

2人目の証人はジョナサン・キャロル (30歳) という犯罪者で、裁判時、キャロルは刑務所に収監されていた。

キャロルはフックが殺害された夜はまだ逮捕される前で、ランディドノーの通りをヒューズが頭陀袋を運んでいる姿を見た。

その袋の隙間から裸の体を確認した (ただしそれがフックかどうかは不明。ちなみにキャロルがヒューズを確認した理由は、たまたま近くの家に盗みの為に侵入しようとしていたからだった) 。

3人目の証人はマイケル・ギディという有罪判決を受けた小児性犯罪者で、ヒューズが数年前にギディに対して

「4、5人の女の子を強姦した」

と自慢気に語っていたと証言した (その中にフックがいたかは不明) 。


1996年7月18日、陪審はヒューズに対する3件の証言全てが信用に足ると判断し、拉致、強姦、殺人に関して有罪判決が下され終身刑が言い渡された。

裁判官はヒューズを「悪魔」と表現し
「彼は刑務所から解放されるべきではない」
と述べた。

ヒューズは判決を不服として控訴した。


2001年9月4日、ヒューズの控訴は棄却された。

ヒューズの裁判後、警察は子供に対する複数の性的虐待とヒューズを結びつけていたが、決定的な証拠の欠如と、被害者の両親が子供を裁判にさらしたくないという理由から、ヒューズ殺害以外、訴追出来なかった。


2002年11月24日、デイヴィッド・ブランケット内閣長官は、ヒューズは最低50年は刑務所にいなければならないと発表した。



《殺人数》
1人


《犯行期間》
1995年7月30日




∽ 総評 ∽

わずか7歳の少女を強姦して殺害したヒューズ。

ヒューズは殺害したのは1人だが、殺害しようとしたり強姦した少女は数知れなかった。

また、ヒューズは少女だけではなく少年も標的としており、生粋のペドフィリアであり鬼畜中の鬼畜といえる。

ヒューズは生まれながらの染色体異常により容姿が普通の人と異なり、また、容姿のみならず他にも多くの障害を抱えていた。

ペドフィリアになった原因がそれだとは思わないが、このヒューズの場合は何らかの影響を及ぼした可能性が高い。

以前紹介したフランスのフランシス・オルメは、クラインフェルター症候群であったが、容姿のコンプレックスや異常が暴走をきたす事は多々ある (かのアンドレイ・チカチーロもコンプレックスが要因の1つであった) 。

ヒューズは生粋のペドフィリアで、典型的なイギリス型殺人鬼といえる。

ヒューズは16歳の時に少年を拉致して殺害しようとしたが、この時に厳罰に処罰していればその後の被害は確実に防げた。

相変わらずEUの凶悪犯に激甘な司法には恐れ入る。