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イアン・ハントリー (イギリス)
【1974 ~     】



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マキシーヌ・カー (イギリス)
【1977 ~     】



イアン・ケビン・ハントリーは、1974年1月31日、イギリス・ランカシャー州グリムズビーで生まれた。

父をケビン、母をリンダといい、ハントリーは夫妻の最初の子供であった。

その後、ハントリーはノーフォークやスカンソープ等に住み、再びグリムズビーに戻った。


1995年8月、ハントリーは15歳の少女と性行為を行う。

警察は未成年に対する性行為に対し、ハントリーを逮捕しようとするが、少女がこれ以上事件が明るみになる事を望んでおらず、その為、ハントリーは追及される事はなかった。


同年11月15日、ハントリーは共犯者とグリムスビーにある家に侵入し、電気製品やジュエリー、現金を盗んで逮捕された。


1996年3月、ハントリーは起訴された。

しかし、後にハントリーへの起訴は取り下げられ釈放された。


同年4月、ハントリーは再び未成年に対する性行為の疑惑により捜査されるが、起訴されなかった。


更に同年5月、13歳の少女に対する性行為の疑惑により捜査されるが、この時も同様に起訴されなかった。


1998年4月、ハントリーは女性を強姦した疑いで逮捕される。

ハントリーは女性と性行為を行ったのは認めたが、合意であったと主張した。

その為、警察は告訴を取り下げた。


同年5月、グリムスビーに住む18歳の女性が、ナイトクラブから家に帰る途中、ハントリーに強姦されたと訴えた。

ハントリーは逮捕されるが、警察がナイトクラブのCCTV (監視カメラ) 画像を調べた所、ハントリーを有罪に出来る程の証拠がなかった為、1週間後に起訴は取り下げられた。


同年7月、ハントリーは1997年9月に11歳の少女に暴行を加えたとして警察は捜査を始めた (2007年4月に告訴されている) 。


1999年2月、ハントリーはグリムズビーの町の中心にあるハリウッドのナイトクラブで、マキシーヌ・アン・カー (1977年2月16日生) と出会う。

2人はすぐに意気投合し、一緒に住み始めた。

ハントリーはバーテンダーとして働き、カーは地元の魚加工工場で魚を詰める仕事をした。


同年2月、ハントリーは17歳の少女を強姦したとして警察の捜査を受けたが、結局、起訴される事はなかった。


同年7月、女性が強姦され、ハントリーが警察の尋問を受けた。

この時、ハントリーは警察にDNAサンプルを快く提供した。

カーはハントリーのアリバイを主張し、ハントリーが強姦などするはずがないと話した。


2001年9月、ケンブリッジシャーのエリー近くの小さな町ソハムにあるソハム・ビレッジ・カレッジ (中学校) で、ハントリーは管理人として働く為の申請を出し、同年11月26日から働く事となった。

ハントリーは逮捕された時、学校で働いていたが、過去の犯罪で有罪判決を受けていない為、学校で働く事が出来た。


2002年8月4日、ホリー・マリー・ウェルズ (1991年10月4日生。10歳♀) とジェシカ・エイミー・チャップマン (1991年9月1日生。10歳♀) は、ソハムにあるウェルズの家でバーベキューをしていた。

午後6時15分頃、ウェルズとチャップマンは、お菓子を買いに出掛けた。

帰る途中、2人はハントリーの家の前を通った。

ハントリーはウェルズとチャップマンを誘惑し、自身の家の中に招き入れようと話し掛けた。

ウェルズとチャップマンは警戒するが、家には小学校で助手を務める女性 (カー) がいる事を告げ、安心させた。

ウェルズとチャップマンは家の中に入った直後、ハントリーは2人を殺害した。

午後9時45分、戻らない2人を心配し、両親は警察に通報する。

少女2人失踪事件は大々的に報道され、2人の特徴や服装も公開された。

ハントリーは近隣住民としていくつかのテレビインタビューに答え、ショックを受けたと語った。

カーもインタビューに答え、ウェルズから感謝を述べたカードをもらったとカードをレポーターに示した。

そして、カーはウェルズが行方不明となる直前に会ったと述べ、

「彼女はただ素敵だった。私は彼女に家に帰るよう促した。非常に残念です」

と警察に話した。

これを聞いた警察は、カーに疑問を抱く。

なぜならこの時点ではウェルズとチャップマンの死体は発見されておらず、すでに死んでいるかのような発言をしたからだった。


その後、警察が目撃情報等から同年8月16日にハントリーとカーを初めて尋問した。


7時間の尋問と家宅捜索の末、翌日の17日にハントリーとカーは逮捕された。

警察は2人を逮捕後、少女たちがすでに死んでいる事を発表した。

発表後、ウェルズとチャップマンの死体は同日中にサハムから約12マイル (約20km) 離れたサフォークのラケーンヒース周辺の柵の傍の溝で発見された。

警察は
「2人の死体は分解され、部分的に白骨化していた」
と述べ、死体が両者だと判明するのは4日後の21日であった。

ハントリーは逮捕後、狂人の振りを装った。

その為、精神科医によって診察を受けた。

精神科医はハントリーは肉体的にも精神的にも裁判には十分耐えうると診断した。

ハントリーは裁判が開かれる前に、ミルトンキーンズあるウッドヒル刑務所に移送された。


2003年6月9日、ハントリーは抗鬱薬を大量に隠し持ち、それを過剰に摂取する事による自殺を試みるが、未遂に終わった。


同年11月5日、裁判が開かれた。

ハントリーはウェルズとチャップマンを自室に招き入れた後、殺害した事を認めた。

ハントリーはまずウェルズを風呂場に連れて行くとナイフで突き刺した後、湯船に顔を沈め溺死させた。

チャップマンはその様子を見ており、叫ぼうとした為、口を強引に押さえつけた事で窒息死したと述べた。

また、ハントリーはウェルズとチャップマンの死体を捨てた後、後日、死体を確認しに行ったと述べた。


2005年9月14日、ハントリーはマーク・ホブソン (後日掲載) ら4人の囚人に暴行を受けた。


同年9月29日、ハントリーは有罪判決が下され、その後、最低40年は仮釈放の可能性がない終身刑が言い渡された。

この仮釈放期間を設定するにあたり、モーゼス判事は
「被告に最終的な釈放の希望を全く与えない」
と述べ、現時点でもっとも長期の仮釈放までの期間を設定した。

カーは当初、ハントリーのアリバイについて警察に2度虚偽を述べたとして起訴された。

しかし、2度目の虚偽については訴えを取り下げられた。


カーには懲役3年半が言い渡された。


2006年9月5日、刑務所でハントリーは意識不明となる。

薬の過剰摂取によるもので、自殺を試みたとされるが意識は回復した。


2008年1月23日、ハントリーはダラム近くのフランクランド刑務所に移された。


2010年3月21日、ハントリーは囚人のダミアン・フォークスに喉を刺され重傷を負う。

ハントリーは命に別状はなかったが、この負傷の為、ハントリーに2万ポンド (約300万円) 支払われた。

フォークスは子供を標的とした犯罪者を日頃から嫌悪しており、他に同じ囚人のコリン・ハッチ (後日掲載) を殺害している。


カーは21ヶ月刑期を務めた後、2004年5月14日、釈放された。

カーは釈放後、すぐに警察の保護を受けた。


2005年2月24日、カーは人生を危険にさらされる可能性があるとして、匿名性の付与が許され、名前を変更した。

この特別処置はカーで4人目であり、他にはかのメアリー・ベル、『バルガー事件』のジョン・ブエナブルズ&ロバート・トンプソンの3人であり、大人では初めての事であった。


2011年、カーは新しい夫との間に子供が産まれている。



《殺人数》
2人


《犯行期間》
2002年8月4日




∽ 総評 ∽

わずか10歳の少女を2人殺害したハントリー。

ハントリーは少女ばかりを強姦しており、生粋のペドフィリアといえる。

ハントリーは立て続けに強姦したが、何故か起訴されなかったり全て訴えを取り下げられたりした。

これだけ短期間に強姦を働いて、訴えを全て却下されるというのは、何か別の力が働いていたとしか考えられない。

ハントリーは刑務所で囚人に襲われ、負傷しているが、何故か慰謝料のようなお金をもらっている。

こんな事が納得出来るだろうか。

また、カーは何故か身分を隠され、国から特別に保護されるような待遇を受けた。

イギリス司法の相変わらずな愚かぶりに呆れて物も言えない。

ハントリーは2度、薬を大量に飲み自殺を図った。

未遂に終わってしまったが、この時、死んでいればと残念でならない。

また、刑務所で他の囚人に襲撃されているが、その時も死なずにかろうじて生きていた。

生命力だけはゴキブリ並みの高さといえる。