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チャールズ・マンソン (アメリカ)
【1934 ~ 2017】



1960年代後半、アメリカではヒッピームーヴメントが起こっていた。

ヒッピーは現代社会や文明を否定し、原始時代に回帰するという思想の人達の事であり、これに目をつけたマンソンは髪を伸ばして髭を剃らず、街角や公園で歌を歌って注目を集めた。

マンソンはドラッグとフリー・セックスを掲げ、そんなマンソンの下にはパトリシア・クレンウィンケル (♀) とスーザン・アトキンス (♀) 等の家出少女やすでに社会を脱落した若者等の18人程の信奉者が集まった。


そして、1968年頃にはアパートに「ファミリー」というグループが形成された。

マンソンはビーチ・ボーイズのメンバーであるデニス・ウィルソンと親交があり、ウィルソンの好意によりウィルソンの邸宅にファミリー共々住む事となる。

このウィルソンとのコネクションにより、マンソンは業界人と知り合う事となった。

ウィルソンはファミリーの少女をツアーに同行させたりマンソンに資金援助したり、曲を合作で作るという事までした。

その後、マンソン率いるファミリーは、サンタスサナ山脈にあるジョージ・スパーン (80歳♂) が所有するスパーン牧場に定住する事となる。

マンソンはスパーンに自分達はミュージシャンを目指していると話していた。

定住の条件というのがスパーンがファミリーの少女何人かを好きな時に抱けるというものであり、マンソンはそれを容認した。

その後、マンソン・ファミリーはデスバレーのベイカー牧場に移動する。

そして、ブラナーとアトキンスはマンソンの子供を生んだ。

しかし、ファミリーは常に貧困で、スーパーの賞味期限切れの食べ物等で食料を補い、お金が必要な時は窃盗して盗んだ物を売ってしのいでいた。

この頃、マンソンはビートルズの曲に強い感心を示し、中でも『ホワイト・アルバム』の中の「ヘルター・スケルター」を聴き、神の啓示を受ける。

そして、マンソンは近い将来、黒人が白人を駆逐する為に蜂起し、最終的には核戦争が起こって黒人が勝利するという妄想と曲とを結び付ける。

マンソンは自身をイエス・キリストの生まれ代わりだと自称し、その後、世界が混沌とした末に「マンソン・ファミリー」が支配すると説いた。

マンソンはアメリカの裕福な成功者は敵であり、殺してその財産を奪わなければならないとファミリーに説いた。


1969年3月25日、マンソンはファミリーを連れ、音楽プロデューサーのテリー・メルチャー (♂) の邸宅に向かった。

マンソンは以前、メルチャーがマンソンのレコードを出すと約束していたにも関わらず、それを反古した事を根にもっていた。

その怨みを晴らす為に家に向かったのだが、メルチャーはすでに引っ越しており、代わりに映画監督のロマン・ポランスキーとその妻で女優のシャロン・テートが住んでいた。

テートはこの時、妊娠中であったが、マンソンらはとりあえずその場を去った。


同年7月25日、音楽教師ゲイリー・アレン・ヒンマンの元をファミリーのボビー・ボーソレイユ、アトキン、ブラナーを連れマンソンが訪れる。

このヒンマンは元々マンソン・ファミリーとは知り合いであり、ドラッグの密売人であった。

ヒンマンは2万ドル (約700万円) の遺産を相続し、隠し持っていた。

マンソンはそこに目をつけ、その遺産を奪おうと考える。

だが、ヒンマンの家の中を調べたが2万ドルは見つからなかった。

マンソンは剣でヒンマンの耳を削ぎ落とし、遺産の在りかを問いただした。

しかし、ヒンマンは
「地獄に落ちろ」
とマンソンに吐き捨て、遺産の在りかを自白せず、最後はボーソレイユが刺して殺害した。

そして、壁にヒンマンの血で「Political Piggy」書き殴った。


同年8月1日、ヒンマンから盗んだフィアットを運転していたボーソレイユが逮捕される。


2日後の3日、盗んだクレジットカードを所持していたブラナーが逮捕される。

そして、この頃にはロサンゼルス警察はマンソン・ファミリーをカルト集団としてマークするようになる。

この事に怒りを露にしたマンソンは、

「ヘルター・スケルターの時が来た!」

と叫び、ボーソレイユの容疑を晴らすべく、行動を起こす事となる。

また、この頃、マンソンはレコーディングするが評価は芳しくなく、マンソンはその事に不満を募らせていたのも暴走に拍車を掛けたのだった。

そこで、マンソンが目をつけたのが、以前、メルチャーの住んでいた邸宅に向かった際、現住人のロマン・ポランスキーとシャロン・テート夫妻であった。


③に続く