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華城連続殺人事件 (韓国)
【1986 ~ 1991】



1986年9月15日朝6時20分頃、イ・ワニ (71歳♀) が、華城市台安邑安寧里の道端で、下半身だけ裸の死体姿で発見される。

ワニは前日、家の畑で栽培した大根数束と唐辛子を水原市にある市場に売りに出掛けていた。

その後、家から1時間ほど離れた娘の家に行った。

娘の家に泊まったワニは、朝早く娘の家を出て、自宅に向かった。

その後、ワニは行方不明となり、4日後に死体となって発見されたのだった。

ワニは娘の家のすぐ近くの路地で死体が発見されたのだが、犯人が歩いていたワニを襲い、草むらに引き摺り込み、犯行に及んだ事がわかった。

ワニの死因は絞殺で、所持品を漁られた形跡が見られた。

ワニは脚をX字のように交差させられ、その脚を腹部に密着させられていた。

検死の結果、ワニの体から精液は発見されなかったが、死体の様子から強姦されたのは間違いなかった。

また、ワニが吐いた吐瀉物が周囲の草に付着していた。


同年10月20日、家事手伝いのパク・ヒョンジャ (25歳♀) は、養母の紹介で知り合った青年と養母の自宅で会っていた。

その後、午後9時頃、ヒョンジャは青年と別れ老母の家を後にした。

そして、ヒョンジャは行方不明となる。

3日後の23日、畑の農水路でヒョンジャの死体が発見される。

ヒョンジャの死体は裸で仰向けにされ、体を折り曲げられていた。

胸にはドライバーのようなもので刺された痕が4ヶ所あった。

検死の結果、膣内から精液が見つかり、強姦されていた事が判明した。

精液からは血液型はわからなかったが、現場に残された空の牛乳パックに残された唾液と、現場で発見された毛髪からB型という事がわかった (だからといって犯人が100%B型とは限らない) 。


同年11月30日午後9時頃、キム (45歳) という女性が、自宅からわずか40mの所にある教会へ向かうと、背後から襲われた。

犯人はキムの首に片腕を回し、腰に刃物のような凶器を当てて、田んぼへ引き摺り込んだ。

犯人はキムの靴下を脱がせ、両手を後ろ手に縛った。

そして、キムのガードルと下着を脱がせ、ガードルでキムの顔を覆い、下着を口の中に押し込んだ。

その後、ゆっくりと強姦した。

キムは顔を覆っているガードルごしに犯人の顔を見ようとしたが、暗くてはっきりとはわからなかった。

強姦した後、犯人はキムの口の中から下着を取り出し、凶器を腰にあて、

「少しでも叫んだら殺すからな」

と脅して金品を要求した。

キムは
「ここに連れてこられる時に道端にバッグを落としてしまった」
と告げた。

それを聞いた犯人はキムに悪態をつき、バッグを探しに行った。

その隙にキムは走って必死に逃げ、助けを求めた。

キムはこの未解決事件で狙われ、生き残った唯一の人物となった。


同年12月12日、主婦グォン・ジョンスン (24歳) は、水原市で夕食を夫と摂った後、午後10時半頃、夫は仕事があったので、1人でバスで帰った。

しかし、それ以来、ジョンスンは行方不明となってしまう。

ジョンスンの死体が発見されたのは行方不明となってから131日後の事で、田んぼの中に埋められており、発見者は田んぼの所有者であった。

131日も経っているという事もあり、ジョンスンの死体は酷く腐敗していた。

ジョンスンの口の中にはガードルとストッキングが詰め込められ、ストッキングの片方が首に巻き付けられていた。

また、ジョンスンは自身の下着を頭から被せられており、目立った外傷は確認出来なかった。

腐敗があまりに酷かった為、検死を行う事は出来なかった。


同年12月14日、イ・ゲソン (21歳♀) は仕事を終え、水原市にある喫茶店でお見合いをしていた。

ゲソンは男性と午後8時40頃に別れ、1人でバスに乗った (バスに乗ったゲソンの姿は確認されている) 。

そして、バスを降り、家に帰る途中の田園地帯を歩いていると行方不明となる。

ゲソンの捜索は7日間も続き、田畑の中で死体で発見された。

ゲソンは両手を後ろに回され着ていたブラウスで縛られていた。

首にはゲソンのストッキングが巻き付けられており、ガードルが頭と顔に被せられていた。

ゲソン失踪当時、雨が降っていた為、ゲソンは傘を所持しており、傘の柄には血がついていた。

犯人はゲソンの膣内に傘の柄を何度も突き刺していた事が判明した (ゲソンは処女であったがその為、処女膜がズタズタに破られていた) 。

現場から採取された毛髪や陰毛、血痕を調べるとB型だという事が判明した (この事件以降、犯人が「雨の日の赤い服」に興奮して標的とするというデマが流れた) 。

このゲソン殺害により、ハ・スンギョン刑事が主体となった捜査チーム (13人) が組織された。

唯一の生存者であったキムの証言により、犯人の人相を推測した。

それは単独犯で顔はやや細長、髪は短く軍人の可能性を示唆した。

年齢は25歳から27歳くらい、身長は160から170cmくらいとした。

捜査チームは正南邑一帯を捜索し、人相と年齢が近い容疑者を捜し回った。

また、軍人の可能性があった為、韓国空軍部隊から兵士の名簿と写真を手に入れ、犯人確保に力を注ぐが、犯人逮捕に至らなかった。


1987年1月10日、高校2年のホン・ジンヒ (18歳♀) が、午後8時15分頃、水原市長安門近くで、自宅がある台安村黄鶏里に向かう為、1人バスに乗った。

8時35分頃、ジンヒはバスを降りた後、行方不明となる。

翌日、畑の中でジンヒの死体が発見された。

検死の結果、死因はマフラーで首を絞められた事による絞殺で、強姦され膣内からB型の精液が発見された。

また、口の中にジンヒが履いていた靴下が詰められていた。

このジンヒ殺害の頃には、華城連続殺人事件がテレビや新聞で大々的に報道され始めており、捜査員も48人から63人に増やされていた。

しかし、それでも尚犯人逮捕に至らない事へ警察の無能を非難する記事や報道が連日行われた (これを受けて華城警察署の所長が責任を取って交替させられる事態にまで発展している) 。

連続殺人は4ヶ月の間に5件発生しており、しかも、最初の犠牲者ワニの死体が発見された場所から全て半径7km以内で発見されており、犯行が行われた範囲もかなり限定的であった。

それなのに犯人を逮捕出来ない華城市民の怒りが警察に向けられたのだった。

だが、そんな中、殺人は続く。


同年5月2日、主婦のパク・ウンスク (30歳♀) の夫が、午後10時頃、雨の降る中、バス停でウンスクを待っていた。

普段、バス停に着くと、ウンスクが必ず迎えに来ていたが、この日は待てど暮らせどウンスクは現れなかった。

不思議に思い家に帰ったが、家にはウンスクは居らず、結局、翌日の朝になってもウンスクは戻る事はなかった。

数日経ってもウンスクからの音沙汰はなく、5月7日、夫は警察に失踪届けを出し、捜査にあたった警察がウンスクの死体を発見した。

現場にはスニーカーの跡があり、サイズは24.5cmであった。

犯行が行われた周辺地域には約2万人が住んでいたが、警察は威信をかけて2万人を片っ端から調べた。

すると、1人暮らしの工員の男性 (40歳) が怪しいという情報を入手し、警察は執拗に尋問を行うと、その男性は一連の殺人の犯人だと自供した。

しかし、後に自白は嘘だという事が判明した (犯人を逮捕出来ない焦りから、おそらく警察が激しい尋問を行ったと思われる) 。

その後も必死の捜査を進めるが、犯人逮捕には至らなかった。


同年12月24日、クリスマスイブのこの日、キム・イスン (19歳♀) が兄が買ってきたクリスマスケーキを1人で食べてしまい、母親に叱られてしまう。

これに腹を立てたイスンは
「もうこの家には帰って来ない」
と言って家を飛び出した。

しかし、それが現実となり、イスンは行方不明となってしまう。

1988年1月4日、水原市華西駅付近の畑でイスンの死体が発見された。

イスンは強姦されており、ストッキングで首を絞められていた。

この事件は初めて水原市民が犠牲となった為、警察は犯人は華城市の人間ではなく水原市の人間ではないかと考え始めた。

そして、イスン殺害後間もなく、ミョン・ハンヨン (21歳♂) という無職の男性が容疑者として名前が上がった。

警察はハンヨンを取り調べし、執拗にイスン殺害の犯人ではないかと迫った。

ハンヨンはいくつかの窃盗は認めたものの、イスン殺人は認めなかった。

しかし、警察の執拗な尋問の末、ハンヨンはイスン殺害を認めた。

その後、スンギョン刑事を含む4人の刑事が、連続殺人を自白させる為、ハンヨンを殴る蹴るの暴行を加えた。

すると、その暴行によりハンヨンは昏睡状態となってしまい、病院に運ばれるも間もなく死亡してしまう。

これによりスンギョン刑事は職位剥奪の処分を受け (後に復職) 、尋問を行った3人の刑事は逮捕され実刑を受けた。

そして、イスン殺害を認めたハンヨンだったが、結局、殺人事件には何の関係もない事が後に判明した。


同年9月7日、アン・ヒスン (54歳♀) が午後8時40分頃、水原市のバスに乗ったのを最後に行方不明となる。

この事件は台安邑から29kmも離れた發安で行われた為、模倣犯による犯行だと思われたが、死体の両手が縛られていた結び目や、膣内に9つの桃の欠片が詰め込まれていた事等から同一犯で間違いないとされた。

この時、ヒスンが乗ったバスの運転手が、不審な男性を目撃していた。

その男性は一番前に座り、ボンネットに濡れた足を置いたので運転手が注意した。

そして、その男性は運転手に煙草の火を借りた。

同乗したバスガイドの女性もその不審な男性をはっきりと覚えており、年齢は25歳から27歳くらい、身長は170cmにみたないスポーツ苅りで猫背であったという。

この情報により捜査チームは犯人の似顔絵 (写真の顔) を50万部作成し配布した (警察は占い師を頼った事もありその必死さが窺える) 。


1990年11月15日、華城の中学校に通うキム・ミヨン (14歳♀) が、午後6時半頃、学校帰りにクラスメイトと別れた後、行方不明となった。

ミヨンの死体は松林の中の細道で見つかったのだが、手足が後ろ手に縛られ、体が大きく反り返っていた。

ブラジャーが口に詰め込まれ、ストッキングとブラウスで首を絞められていた。

また、両胸に20ヶ所もの切り傷があり、膣内にはボールペンやフォーク、スプーン等が挿入されていた。

挿入された物はミヨンの所持していた筆箱と弁当箱に入っていた物だった。

弁当箱から犯人の指紋が見つかり、また、制服からB型の精液が検出された。

また、白髪が1本見つかった。

この白髪と指紋の発見は警察が今後の捜査が大いに進展すると、喜んでいたが、そもそも死体が発見された場所は、警察が配置されていた場所であった。

しかし、犯人は警察が配置されている時間を把握し、その前に松林の中に入り、帰宅途中のミヨンを誘拐し、殺害に及んでいた。

これはマスコミがテレビや新聞で捜査状況を細かく報じた為の弊害だとされた。

また、警察は犯人が出没しそうな場所に婦警を配置し、犯人を誘ったが、犯人が現れる事はなかった。

この時、工員のユン・ドンス (23歳) という男性が容疑者として取り調べを受けた。

ドンスは女性の部屋を覗き見しており、しかもB型だった為、警察はついに犯人逮捕だと喜んだが、ドンスは丸顔で太っていてとても容疑者と思われる人物の人相とはかけ離れており、結局、連続殺人とは関係ない事が判明した。


1991年4月4日、グォン・スンジャ (69歳♀) は、水原市に住む娘の家に寄り、その後、午後8時20分頃、帰宅する為にバスに乗った。

バスを降り、家まですぐという所で殺害された。

スンジャは強姦され、ストッキングが首に2、3回と巻き付けられていた。

膣内には靴下が挿入されており、採取された精液はB型であった。

警察は華城周辺に機動隊一個中退を増員し、山道などに180ヶ所の哨所を立てて捜査にあたるが、捜査は進展しなかった。


1993年7月、キム・ジョンギル (42歳) という男性が、逮捕された後、尋問の末、ゲソンとジンヒ殺害の犯人であると自供する。

そして、翌月の8月に自殺を図った。

病院に運ばれて一命を取り留めたが、警察に監視下に置かれる事となった。

警察の執拗な尋問が招いた事により起こした行動であり、ジョンギルはもちろん連続殺人とは何の関係もなかった。

その後、犯人による殺人は止み、結局この事件は約167万人が容疑者及び捜査対象者とされ、2万人以上がDNA鑑定を受け、570人の毛髪鑑定、180人の指紋鑑定が行われるという過去に類を見ない大規模なものとなった。

ちなみに2件の模倣犯による犯行が行われたが、どちらも解決に至っている。


2006年4月14日、最後の犠牲者スンジャの事件も時効を迎え (韓国では殺人の時効は15年) 、仮に犯人が捕まったとしても逮捕される事はない。


余談だが、2003年にこの連続殺人事件を題材にした映画『殺人の追憶』が公開されている。

この『華城連続殺人事件』は、韓国三大未解決事件の1つとされ、韓国史上最も凶悪な未解決事件とされている。


最後に唯一生き残ったキムが、強姦された後に犯人に言われた言葉で終わりたいと思います。

「このクソアマ、殺される前にさっさと金を出しやがれ」



《殺人数》
10人


《犯行期間》
1986年9月15日~1991年4月4日




∽ 総評 ∽

韓国で最も有名かつ陰惨な未解決事件。

事件の残虐的な内容に知っている方も多くいるだろう。

これまでいくつか紹介してきた通り、未解決事件は世界各国どこでも起こっているが、この『華城連続殺人事件』は中でもかなり残虐な部類といえる。

韓国は犯人逮捕に躍起となり、この事件は韓国史上最も大規模な捜査が行われた事件と言われている。

肝心の犯人ついては、容疑者はことごとく外れ、全くわからないままであった。

犯人は犠牲者を強姦しているが、金品も奪っていた。

若い女性も襲っているので、中年の女性を襲ったのは金品を多く持っているからだろう。

この事件は韓国全土を震撼させ、警察が何とか犯人逮捕に必死になったが、捕まらなかった。

しかも、目撃証言や警察が警備を強化したにも関わらず犯行が行われ、警察の面子は完全に丸潰れであった。

その為、無実の人間を容疑者と決めつけ、何人もの関係ない人を尋問し、暴行を加えたり追い詰めたりした。

国民の怒りの為、警察も焦っていたのだろうが、(連続殺人に関して) 無実の人間に対して過激な尋問を行うというのはさすがにやり過ぎだ。

現にそれで窃盗犯が死亡しているのだ。

ただ、他の未解決事件にも言える事だが、犯行を止める理由がわからない。

逮捕されていないので続けられるはずである。

「捕まりたくないからここらへんで止めよう」という心理かもしれないが、こういった快楽殺人鬼はそういった理由で犯行を止める事はまずない。

個人的には何らかの理由が必ずあると思う (本人が死んだり他の罪で服役等) 。

もし、目撃者の証言が合っているとしたら、犯人は1986年当時で25歳くらいなので、現在、60歳手前である。

病気で死んでいる可能性もあるが、年齢的に当然生きていてもおかしくなく、普通に日常生活を送っているとしたら恐ろしい話である。