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ショーン・ベリー (アメリカ)
【 1975 ~      】



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ローレンス・ブリューワー (アメリカ)
【 1967 ~ 2011 】



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ジョン・キング (アメリカ)
【 1974 ~ 2019 】



1998年6月7日、テキサス州ジャスパーで、ショーン・アレン・ベリー (1975年2月12日生まれ) 、ローレンス・ラッセル・ブリューワー (1967年3月13日生まれ) 、ジョン・ウィリアム・キング (1974年11月3日生まれ) の3人が、黒人男性ジェームズ・バード (1949年5月2日、テキサス州バーモント生まれ) を車に誘った。

車を運転していたのはベリーで、ベリーらはバードに家に送ると話しかけ、その誘いに乗りバードは車に乗った。

しかし、バードを車に乗せると、ベリーは車を町から遠く離れた郡道へ連れて行く。

そして、人気のない場所に車を止めると、バードを車から引きずり降ろし、ベリーら3人はバードに殴る蹴るの暴行を加えた。

激しい暴行の末、バードはぐったりして動かなくなり虫の息となったが、そんなバードに向かって3人は笑いながら排尿した。

その後、バードの足首を鎖で結び、車に繋いだ。

ベリーら3人は車に乗ると、そのままバードを1.5マイル (約2.4km) 引きずり走らせた。

バードは引きずられる中、必死に頭をかばった。

ベリーは車を止めると、バードが頭が無事だった事に気付き、ベリーらはバードの腕と頭を切断し、バードは絶命した (後に検死の結果、バードは引きずられるている時はまだ生きており、生きたまま首を切られた事が判明している) 。

ベリーら3人はバードの死体を車に乗せると、ハフ・クリーク通りに面したアフリカ系アメリカ人が集う教会の前に向かった。

そして、教会の前にハードの死体の残骸を捨てると、死体を丸焼きにしてその場を去った。


警察はすぐに捜査を進めると、バードが引きずられた場所で「ベリー」と刻まれたレンチを発見する。

また、警察はキングが刑務所にいた際、刑務所で言われていたニックネーム『Possum』と刻まれたライターも発見した。

更にバードの手足の残骸が道路のあちこちに散在していた。

バードの遺体の残骸が見つかった場所は実に81ヶ所に及んだ。

州の法執行当局は、ブリューワーとキングが、アメリカで最も有名で過激な白人至上主義組織『KKK (クー・クラックス・クラン) 』と関係している事を掴み、バード殺人はその残酷さからヘイトクライム (憎悪犯罪) だとし、すぐに連邦捜査局に連絡した。

そして、すぐにベリー、ブリューワー、キングの3人をバード殺害容疑で逮捕した。

キングは体のあちこちに人種差別の入れ墨を彫っていた (「木から吊るされた黒人」「ナチスのシンボル」等) 。


裁判が行われると、ブリューワーとキングが犯行はベリー主体で行われたと主張した。

そして、ブリューワーはバードを引きずる前にベリーがバードの喉をナイフで切り裂いたと供述した。

しかし、このブリューワーの主張は、陪審によって証拠がないとして支持されなかった。

そんなブリューワーは、バード殺害前に麻薬所持と窃盗で逮捕され懲役刑が言い渡されていた事がわかった。

ブリューワーは1991年に刑が言い渡されており、1994年に仮釈放違反を犯して刑務所に戻っていた。

そして、自身の身を守る為、キングと刑務所内の白人至上主義のギャングに加わった。

キングは子供の頃に躁鬱病と診断され、以前、刑務所に入っていた時に黒人の囚人によって強姦された経験があり、それが原因で黒人嫌いになったと証言した。

ベリー、ブリューワー、キングの3人は裁判で有罪判決が下された。


1999年9月23日、ブリューワーとキングには死刑が言い渡され、ベリーには終身刑が言い渡された。

前述したブリューワーの発言に証拠がないとされた為、ベリーだけが終身刑となったのだった。

ベリーが仮釈放の資格を得るのは2038年6月7日 (この時ベリーは63歳になっている) である。


2011年9月21日、ブリューワーに致死量の注射による死刑が執行された。

享年44歳。

ブリューワーへの死刑執行は、2011年にアメリカで執行された死刑囚全体の中で34番目であり、テキサス州では11番目であった。

また、アメリカで1976年に死刑が復活して以降、全体で1268人目であり、テキサス州では475人目であった。

ブリューワーのスペシャル・ミール (最後の特別な食事) は、トリプルベーコンのチーズバーガー、玉ねぎとグレービーソースがのったフライドチキンステーキ、チーズとビーフのオムレツ、トマト、ミートラバーズのピザ、ピーマン、ハラペーニョ、ボウルいっぱいのオクラ、450gのバーベキュー肉、半ローフのパン、3つのファヒーター、3本のルートピア、500mlの容器に入ったアイスクリーム、ピーナッツバターファッジというものだった。

この余りの無茶な注文に厨房は混乱をきたしたが、シェフたちの努力による何とか用意する事が出来た。

しかし、そんな苦労して作った料理をブリューワーは一切手をつけなかった。

これは問題となり、刑務所職員はスペシャル・ミールの廃止を止めるよう訴えた。

これを受けてテキサス州上院議員ジョン・ホイットマイアーが激怒し、テキサス州刑事司法局に書簡を送った。

書簡には
「死刑執行前の死刑囚の食事を他の受刑者と同じ食事を与えるべきだ」
と記されていた。


書簡を受け取った局長ブラッド・アームストロングは、同年9月23日に、
「直ちに中止する。今後は刑務所内の他の受刑者と同じ食事を摂る事となる」
と発表した。

これによりテキサス州では87年続いたスペシャル・ミールが廃止された。


2019年4月24日、キングの死刑が執行された。

享年44歳。


最後にキングが刑務所で書いた手紙の一文を紹介して終わりたいと思います。

「彼ら (黒人) は死ななければならない。私の死と共に私は歴史を作る。私が死ぬ前に彼らに死を」



《殺人数》
1人


《犯行期間》
1998年6月7日




∽ 総評 ∽

差別により何の罪もない黒人男性を面白半分に殺害したベリーたち3人。

その犯行は身勝手な極まりなく救いようがない。

正直、黒人差別が顕著であった100年以上前に起きた事件ではないかと思える程の鬼畜な犯行である。

複数で犯行に及ぶ場合、いざ裁判となると責任や罪を他の共犯者に擦り付けるのはもはや恒例で、愚かな醜態を晒す。

ただ、ベリーが最も悪いと言ったブリューワーとキングが死刑となり、ベリーだけが終身刑というのは皮肉と言うしかない。

恐らくベリーは何も言わず、他人に罪を擦り付けるブリューワーとキングの発言が陪審員達の心象を悪くした為だと思われる。

テキサス州は全米の約3分の1の死刑を執行している州の為、負担は他の州に比べて格段に重い。

ブリューワーは無茶なスペシャル・ミールを注文し、しかもそれに一切手をつけなかった。

おそらく死ぬ前に少しでも困らせてやろうというひねくれた意図があったのだろう。

迷惑極まりない話しだが、ブリューワーのこの身勝手な行為によりテキサス州でスペシャル・ミールがなくなったが、その点においてだけはブリューワーの功績は大きい。