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アンソニー・フランソワ (アメリカ)
【1968 ~ 】



アンソニー・クイン・フランソワは、1968年2月22日、アメリカで生まれた。


フランソワは16歳の時、10代の少年を撃って逮捕された。


成人してからは窃盗や強盗、薬物や武器等の犯罪で逮捕されては刑務所に収監された。


2001年、フランソワはシェメカ・パターソン (14歳♀) という名の少女と交際を始めた。

この時、フランソワは33歳であり、約20歳も歳が離れていた。


しかし、交際して約1年後にフランソワとシェメカは別れる事となる。

だが、別れる事に納得がいかないフランソワは、シェメカに執拗に電話をし、関係の修復を迫った。

シェメカは相手にしなかったが、電話でダメだとわかると、今度は直接シェメカの家に行った。

余りのしつこさにシェメカは新しいボーイフレンド (17歳) が出来た事を話し、もう家には来ないでくれとフランソワに告げる。

この事にフランソワは激怒する。


2003年9月11日午前5時頃、フランソワはアメリカ・テキサス州ヒューストンのシェメカの家に向かう。

そして、部屋に侵入すると、2段ベッドで寝ていたシェメカの妹アシュレイ (11歳) とブリトニー (10歳) を至近距離から撃って射殺した。

続いてフランソワは別の姉妹ナイケシャ (シェメカの姉なのか妹なのか不詳) を射殺した。

銃声に驚いたシェメカと母シーラ (34歳) が銃声があった部屋に向かうと、そこにはフランソワがいた。

フランソワはシェメカとシーラを見るなり発砲する。

銃撃はシェメカとシーラに命中するが致命傷には至らず、その後、フランソワは逃走した。

逃走したフランソワだが、シェメカにより警察に通報され、すぐに逮捕される。

殺害動機だが、シェメカがフランソワと別れた後、ほぼ同い年の少年と付き合った事に対する嫉妬だとフランソワは述べた。


裁判が開かれると、シェメカ達の従姉妹トレイシー・ジャクソン (♀) が法廷の外でインタビューに答え、
「死刑を言い渡すだけでいい。3人の子供たちは命を奪われ、私は彼女たちの成長する姿を見る事も出来なくなり、彼女たちは結婚する事も出来なくなった」
と述べた。

フランソワは撃ったのは事実だが、殺意はなかったと主張した。


2004年7月、裁判で有罪判決が下されたフランソワには死刑が言い渡された。


最後にシェメカを撃った際、新しいボーイフレンドについて発したフランソワの言葉で終わりたいと思います。

「ぴったりだ」



《殺人数》
3人


《犯行期間》
2003年9月11日




∽ 総評 ∽

若い少女と別れ、その後、若い少年と交際した事に怒り、少女の姉妹を殺害したフランソワ。

こういった嫉妬に狂った犯行の場合、女性によるものが多く、男性が行うというのは比較的珍しい。

フランソワは殺害動機を自分と別れた後に同世代の若い男性と交際した事による嫉妬だと述べた。

しかし、20も離れた相手に振られ、その後、交際した同世代の若い少年に嫉妬するというのは情けなく、言葉もでない。

動機を見る限り、恐らく別れた原因もフランソワとの年齢差にあると思われる。

ただ、互いに本当に愛しているのであれば、20くらいの年齢差などたいした問題ではない。

フランソワは若い女の子と交際出来た事に喜び、ゆくゆくは結婚でもと考えていたのかもしれないが、若いシェメカにとってはフランソワは交際相手の1人程度に過ぎなかったのであろう。

10代半ばのシェメカにとっては当たり前のことだし、実際30過ぎのおじさんと交際してみてやはり合わないと思ったのだと思う。

ただ、いくらシェメカにとって遊び程度だとしても、フランソワが魅力的であれば交際は続けていたはずであり、所詮、フランソワは自身の魅力のなさを棚に上げて嫉妬に狂ったに過ぎない。