
アンドレイ・チカチーロ (ロシア)
【1936 ~ 1994】
怪物が再び活動したのは1983年7月で、犠牲者の名前をラウラ・サーキシャン (15歳♀) といい、アメリカ人であった。
サーキシャンは結局、死体が発見される事はなかった。
同年7月8日、チカチーロはイリーナ・ドゥネンコヴァ (♀) を殺害する。
ドゥネンコヴァはダウン症であり、姉共々精神遅滞者であった。
ドゥネンコヴァ殺害後、すぐにシャフトゥイ駅近くで売春婦リューダ・クツゥバ (24歳♀) を誘うと、強姦した後、殺害する。
そして、チカチーロはクツゥバの死体を5時間かけて解体した。
クツゥバの死体は2ヶ月後に発見されたのだが、骨には肉がほとんど付いていなかった。
同年8月末、バルヤ・チュチュリナ (22歳♀) を殺害する。
チカチーロがチュチュリナを殺害した理由は、思ったより仕事が早く終わり、帰る際にたまたま目についたからだった。
チュチュリナの遺体は発見時、あまりの損傷に誰とも区別できず、後のチカチーロの供述で判明したのだった。
この頃、チカチーロは殺人を最も精力的に行っていたが、同年9月末、ユーリー・カレニク (19歳♂) という床張り職人が逮捕される。
カレニクが自らこれまでの殺人を自分がやったと自供したからだった。
しかし、警察に対する事情聴取に対してカレニクはしどろもどろであり、カレニクが連続殺人の犯人でないのは明白であった。
だが、ロシア警察は一応、カレニクを逮捕し、裁判で懲役刑に処して刑務所に収容した。
その後もチカチーロの殺人は続き、同年10月27日、ベラ・シェフキン (19歳♀) を殺害。
同年12月、セルゲイ・マルコフ (14歳♂) が殺害される。
マルコフは全身70ヶ所以上滅多刺しされており、陰茎や睾丸が噛み砕かれていた。
1984年1月10日、ナターリャ・シャロピナ (17歳♀) が死体で発見される。
シャロピナは上唇と鼻、指をそれぞれ切り取られており、全身30ヶ所以上切り刻まれていた。
同年2月22日、チカチーロはマルタ・リャベンコ (44歳♀) を殺害するのだが、このリャベンコはチカチーロが殺害した中で最も最年長の犠牲者であった。
この時、すでにチカチーロによる犠牲者は20人を優に越えており、警察は必死の捜査を進めていた。
そして、ディーマ・プタシニコフ (10歳♂) が殺害された現場で足跡を見つけ、それはシャロピナ殺害現場にあったものと同じであった。
プタシニコフは全身54ヶ所刺されており、舌と性器が噛み千切られていた。
同年6月、チカチーロはタチアナ・ポリャコヴァ (17歳♀) を殺害。
同年7月にはアンナ・レメシェバ (19歳♀) 、イレーナ・パクリナ (22歳♀) 、ディーマ・イラリニョフ (13歳♂) を殺害する。
同年9月6日、サーシャ・チュペル (13歳♀) を殺害する。
同年9月13日、チカチーロは駅で拾った少女に口淫させるが、職務質問を受ける。
この時、チカチーロの鞄には包丁、ワセリン、ロープ等が入っており、チカチーロは緊急逮捕された。
警察は一連の殺人事件の犯人逮捕に沸き立つが、チカチーロはA型であった。
しかし、これまでの被害者から採取された精液から検出された血液型はAB型であった。
結局、これが決め手となり、チカチーロは釈放されてしまう。
だが、実は当時のソ連は血液鑑定が血中抗原の認定という方法であった。
この方法の精度は100%ではなく、100万人に1人の割合で、血中抗原体と本人の血液型が微妙にずれてしまう人間が存在した。
それがチカチーロであった。
この100万分の1という天文学的数字により偶然チカチーロは見過ごされてしまったのである。
1985年8月27日、イリーナ・グリャーエバ (18歳♀) を殺害。
この頃、チカチーロは殺人に対して少し興ざめしていた。
毎回、森に少年少女を連れて行き、殺害して解体するという作業にスリルが薄れ、慣れてきてしまったのだ。
その為、1985年は1年間で2人しか殺さず、また、翌年の1986年はリュボフィ・ゴロヴァハ (33歳♀) を殺害しただけだった。
その後、新聞やラジオ等のメディアがこぞってこのチカチーロの連続未解決殺人事件を発表し始める。
その影響により、ロストフの駅やバス停は人が寄りつかなくなり、少年少女が外を出歩かなくなってしまう。
1987年、チカチーロはロストフでの殺人を止め、工業都市エカテリンブルクで殺人を始め、イワン・ビィロベツスキー (13歳♂) を含む3人を殺害する。
1988年は4月に20歳の女性、同年5月にはアレクセイ・ヴォロン (9歳♂) 、同年7月にはゼーニャ・ムラトフ (15歳♂) をそれぞれ殺害する。
1989年、チカチーロの犯行は過激さを増し、犠牲者の死体を人目に晒すようになる。
それは、腸や子宮を森の木にぶら下げたりするといったものだった。
同年4月10日、エヴゲニー・ムラトフ (16歳♂) の腐乱死体が発見される。
ムラトフは40ヶ所刺されており、陰茎や睾丸は全て切り取られていた。
同年5月11日、サシャ・デャコノフ (8歳♀) が行方不明となり、55日後に発見される。
同年8月19日、イレーネ・ヴァルガ (19歳♀) が腹部を切り開かれた死体で発見される。
その後もチカチーロは殺人の手を緩めず、1990年に入っても殺人を繰り返した。
しかし、警察の手は確実にチカチーロに迫っていたのである。
④に続く
1985年8月27日、イリーナ・グリャーエバ (18歳♀) を殺害。
この頃、チカチーロは殺人に対して少し興ざめしていた。
毎回、森に少年少女を連れて行き、殺害して解体するという作業にスリルが薄れ、慣れてきてしまったのだ。
その為、1985年は1年間で2人しか殺さず、また、翌年の1986年はリュボフィ・ゴロヴァハ (33歳♀) を殺害しただけだった。
その後、新聞やラジオ等のメディアがこぞってこのチカチーロの連続未解決殺人事件を発表し始める。
その影響により、ロストフの駅やバス停は人が寄りつかなくなり、少年少女が外を出歩かなくなってしまう。
1987年、チカチーロはロストフでの殺人を止め、工業都市エカテリンブルクで殺人を始め、イワン・ビィロベツスキー (13歳♂) を含む3人を殺害する。
1988年は4月に20歳の女性、同年5月にはアレクセイ・ヴォロン (9歳♂) 、同年7月にはゼーニャ・ムラトフ (15歳♂) をそれぞれ殺害する。
1989年、チカチーロの犯行は過激さを増し、犠牲者の死体を人目に晒すようになる。
それは、腸や子宮を森の木にぶら下げたりするといったものだった。
同年4月10日、エヴゲニー・ムラトフ (16歳♂) の腐乱死体が発見される。
ムラトフは40ヶ所刺されており、陰茎や睾丸は全て切り取られていた。
同年5月11日、サシャ・デャコノフ (8歳♀) が行方不明となり、55日後に発見される。
同年8月19日、イレーネ・ヴァルガ (19歳♀) が腹部を切り開かれた死体で発見される。
その後もチカチーロは殺人の手を緩めず、1990年に入っても殺人を繰り返した。
しかし、警察の手は確実にチカチーロに迫っていたのである。
④に続く
コメント
コメント一覧 (6)
そう言って頂けると嬉しいですね。
超有名シリアルキラーなので、皆さんもお詳しいと思いますので。
もう少しお付き合い頂けると嬉しいです。
1995年-麻原彰晃,土谷正美(13名)、ティモシー・マクベイ(168名)
1996年-マーティン・ブライアント(35名)
1999年-エリック・ハリス,ディラン・クレボルド(13名+2名)
2001年-アルカイダ(3000名+)、宅間守(8名)
2002年-ロベルト・シュタインハウザー(17名+1名)
2003年-ジョージ・ブッシュ(10,000名+)
2007年-チョ・スンヒ(32名+1名)
2008年-加藤智大(7名)
2009年-ドイツの少年(15名+1名)
引用
死刑確定したら1年以内に処するべき。
そうですね。
私もすぐ死刑執行でいいと思います。
しかし子供を50人も殺して食べており、残酷で衝撃的なやり方で殺していることがかなり多いことから東側でもっとも有名なシリアルキラーになってしまった。
このような人間が処刑されたのはうれしいことである。もう少し発覚が遅れたら彼は死刑廃止の空気のせいで処刑されなかったかもしれない。とにかく彼が処刑されてなかったら気分が悪くて見ることもできなかった。
話は変わりますが、最近チカチーロのように30人以上人を殺害し食べ、ニュースになったドミトリー・バクシェフとナタリー・バクシェフ夫婦の掲載をお願いいたします。
先日、別の方にその夫妻の情報を聞き、驚いて調べたのですがその時は名前がわからなかったです。
今度調べてみます。