
ウェイン・バトラー (オーストラリア)
【1943 ~ 】
セリア・ターシャ・ドウティ (1943年2月11日生まれ♀) は、ブランプトン島でウェイトレスとして働いていた。
1983年8月31日、セリアはオーストラリア・マッカイの近くの町までフェリーに乗り、夜をそこで過ごした。
翌日9月1日、セリアはブランプトン島へ旅行に向かった。
だが、セリアは翌日になっても島に現れる事はなく、行方不明となってしまう。
セリアは息子の18歳の誕生日プレゼントを持っており、フェリーに乗った姿を最後に姿を消したのだった。
その後、セリアの死体がブランプトン島のビーチで見つかる。
セリアのハンドバッグの中に入っていた財布がなくなっており、セリアの服には血と精液が付着していた。
また、セリアは石で頭を打たれて死亡した事がわかった。
警察は捜査を進めるが、目撃者を見つける事が出来なかった。
警察は容疑者300人以上を尋問したが、決定的な犯人逮捕には繋がらなかった。
更に警察は有力な目撃情報提供者には3万ドル (約700万円) の報奨金を提示したが、結局、犯人逮捕には至らなかった。
しかし、事件から5年後の1988年、セリアがフェリーの時に1人の男性と口論になっていたという事実を突き止める。
その男性はウェイン・エドワード・バトラーという名のシドニー在住の男性で、バトラーは殺害されたセリアの元夫であった。
警察はバトラーを逮捕し、すぐに事情聴取した。
しかし、バトラーの犯行という決定的な証拠がなく、警察はバトラーを解放するしかなかった。
それから9年後の1997年10月、バトラーは再び逮捕された。
セリアの赤いタオルに付着した精液のDNA鑑定の結果、そのDNAがバトラーと一致した為だった。
セリア殺害から実に14年も経過して容疑者が確定したのだが、これはDNA鑑定の技術の進歩による逮捕となったのだった。
バトラーは
「私はクイーズランドのビーチでセリアを殺しました。私は彼女と結婚している間、何も言う事が出来ませんでした。そして、私は彼女と離婚しました。私はあなたに真実を知って欲しいです」
と語った。
2001年2月13日、裁判でバトラーには終身刑が言い渡された。
同年7月31日、バトラーは判決に不服として上訴する。
しかし、バトラーの上訴は棄却された。
2005年、再びバトラーは上訴する機会が訪れる。
バトラーは鑑定結果に不満があったのだ。
しかし、その訴えも棄却される。
余談だが、このバトラーの事件は、オーストラリア史上初めてDNA鑑定によって解決した事件であった。
∽ 総評 ∽
元妻を殺害したバトラー。
バトラーは前述した通り、オーストラリアにおける初のDNA鑑定によって犯人が導き出された犯人となった。
DNA鑑定導入当初は、誤認逮捕も多かったが、現在はほぼ間違う事はなくなった。
DNA鑑定が導入される前は、本来逮捕されるべき容疑者も証拠不十分として逮捕されない事もあったと思うので、DNA鑑定自体は間違いさえなければ非常に良い事だと思う。
ただ、元妻を殺しておいて、逮捕されるまで14年間のうのうと生活している神経が非常に恐ろしさを感じる。
【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★☆☆☆☆
・残虐度 ★★★★☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★☆☆☆☆☆
・特異性 ★★★★★☆☆☆☆☆
・殺人数 1人
《犯行期間:1983年9月1日》
コメント
コメント一覧 (2)
奥さんが怖いタイプだったのでしょうか。にしてもレイプまでしてるのも、その後自首もせずにいたのもタチ悪いですね。お子さんもいるのによく平気で嘘を付いていたなぁと。
妻でもありますが、母なんですよね。それを奪っておいて自分が被害者面とは相当悪人ですね。DNA検査も当初は精度が低かったそうですね。DNA採取に使う綿棒が汚染されていて犯人捜査に支障が出たってありましたよね。
なんか色んな意味で恐ろしいです、その綿棒作ってた工場が…。
教えて頂きありがとうございます。
早速訂正させて頂きました。
間違ったままなのは恥ずかしいので指摘して頂くと嬉しいです。
そうですね。
純粋な悪だと思います。
現在は99.9%間違いないですが、仰る通り当時は精度は悪かったですね。
その為、誤認逮捕もよくあったようです。