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ジョニー・ギャレット (アメリカ)
【1963 ~ 1992】



1963年12月24日生まれのジョニー・フランク・ギャレットの父親は、母親に日常的に暴力を振るった。

そんな母親は夫の暴力に耐えきれず離婚する。


ギャレットは母親に引き取られるが、ギャレットが3歳の時に別の男性と再婚する。

ギャレットはこの再婚で少しはまともな生活を送れるかと思いきや、再婚相手も暴力を振るう男性であり、その暴力はギャレットの母親だけではなく、ギャレットにも及んだ。

継父はギャレットの尻をストーブに長時間押し付けた為、ギャレットには一生残る火傷を負ってしまう。

この頃、ギャレットの母親は精神疾患を患い、継父と一緒になってギャレットを日常的に殴る蹴るの虐待を繰り返し、後にギャレットの育児を放棄した。

その後、母親の病気の悪化とともにギャレットは祖父母に預けられる。

だが、ギャレットはその祖父母にも虐待を受ける。

祖母はギャレットを「私生児」と罵って頭部を殴り、祖父はギャレットに女の子の格好をさせて強姦し、性奴隷とした。


数年後、母親が3度目の結婚をし、ギャレットは再び母親と新しい継父と生活する事となるのだが、この継父が今までの異常者達に輪をかけて鬼畜であった。

継父は日常的にギャレットを犯し、チャイルドポルノを製作している友人のもとに連れていき、男優や犬と獣姦させ、その様子をフィルムに収めて販売した。

この時、ギャレットは13、4歳であったが、継父は強姦だけでなく、食事を与えないという虐待も行った。

その為、ギャレットは栄養失調で痩せこけ、そんなギャレットに継父は売春までさせた。


そんな異常な継父と母親は再び離婚。

しかし、母親はすぐに4度目の結婚をし、すぐに離婚。

この頃にはギャレットの精神は完全に破綻しており、錯乱状態で他人に暴力を振るい、少年院に送られた。


1981年10月31日、テキサス州の少年院を退院した直後、自身の住むアパートの向かいにある修道院へ向かった。

そこで、修道院の尼僧タデア・ベンツ (76歳♀) に襲い掛かる。

ギャレットはベンツを強姦したの後、首を絞めて窒息死させた。


同年11月9日、ギャレットは家に居た所、逮捕された。

ギャレットは診察で多重人格と精神分裂病と診断された。


裁判でギャレットの弁護側は、長年の虐待とそれによる精神疾患、そして、犯行時の17歳という年齢を考慮し、情状酌量を求めた。

だが、ギャレットには有罪判決が下され、死刑が言い渡された。


ギャレットの死刑執行日が1992年1月6日に決まると、当時の法王ヨハネ・パウロ2世が、テキサス州知事アン・リチャーズにギャレットに対する温情処置を求めた。

これを受けてリチャーズは一時的にギャレットへの死刑執行を猶予した。

その後、ギャレットへの死刑宣告を終身刑に変更するかどうかの審査が行われたが、結局覆る事はなかった。


同年2月11日、致死量の注射による死刑が執行された。

享年28歳。


最後に死刑執行直前のギャレットの言葉で終わりたいと思います。

「俺をどうにかして救ってくれようとした友人たちに感謝する。色々と手助けしてくれた精神科の先生にも俺を愛してくれた家族もだ。残りの奴らは俺の尻でも舐めやがれ」



∽ 総評 ∽

長年の虐待により精神が崩壊し、殺人に至ったギャレット。

ギャレットが殺人を犯した時、まだ17歳であった (2ヶ月後には18歳になるが) 。

正直、ギャレットにも同情の余地はある。

このギャレットに対する虐待は読んでいても不快感極まりなく、まるで現実ではないかのような凄惨なものだった。

このギャレットに行われた虐待は、今までに紹介してきた殺人鬼たちが受けた虐待の中でも5本の指に入るだろう。

次から次へと異常者達に虐待される日々を送り、ギャレットにまともに育てという方が無理な話だ。

こういった運のない人間は負の連鎖で異常者を次々と呼び寄せるのだろうか。

実母や祖父母、継父らに虐待されるという地獄な少年時代を送り、完全に精神が崩壊し、精神分裂病となってしまった。

ベンツ殺害は、母親や祖母のような高齢の女性を恨んでの犯行だったのかもしれない。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★☆☆☆
・残虐度 ★★★★★☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★☆☆☆
・特異性 ★★★★★★☆☆☆☆
・殺人数 1人

《犯行期間:1981年10月31日》