
クロード・ダラス (アメリカ)
【1950 ~ 】
クロード・ラファイエット・ダラス・ジュニアは、1950年3月11日、アメリカ・ヴァージニア州ウィンチェスターで生まれた。
ダラスの家は酪農家であり、後にオハイオ州モロー郡に引っ越した。
その後、一家はミシガン州リュース郡へ移動し、ダラスはそこで幼少時代を過ごした。
この地でダラスは罠で獲物を捕まえたりする等の狩りを覚えた。
1967年、ダラスはマウント・ギリアド高校を卒業し、牧場労働者として生計を立てるが、この時代、丁度ベトナム戦争が行われており、ダラスにはアメリカ軍隊に上申するようダラスの両親の家に通知が送られていた。
しかし、両親はこの上申書に気付かず、その為、ダラスはFBIに逮捕される事となった。
徴兵委員会はダラスが上申書の通知に気付いていたにもかかわらず、見て見ぬふりをしていたという事を証明出来なかった為、ダラスの告訴は取り下げられ、後に釈放された。
その後、ダラスはアイダホ州に移り、狩猟等による野生の生活を送るようになる。
1981年1月5日、ダラスはいつもどおりアイダホの森の中で動物を捕獲して食べる生活を送っていた。
しかし、その情報を耳にしたコンリー・エルムズとビル・ポーグ (共にアイダホ州猟区監視官) が、ダラスの行為は密猟にあたるとして、事情を聞く為にダラスに接触を図った。
エルムズとポーグはダラスと会うと話を聞いた。
そして、エルムズがダラスがアカオオヤマネコを密猟しているいうテントの中に入った。
その間、ダラスが持っていた銃をポーグは渡すよう問い詰める。
しかし、その直後、ダラスがポーグに向かって銃を発砲する。
銃声により驚いたエルムズはテントから外に出ると、出て来たエルムズに対してダラスは同様に発砲した。
その後、ダラスは更に2人の頭に向けて発砲し射殺した。
ダラスの友人ジム・スティーヴンズは、この時近くにおり、エルムズを撃つのは確認しなかったが、ポーグを撃つのを目撃していた。
ダラスは2人を射殺後、その場を後にした。
警察はすぐに捜査を始めるが、逃走したダラスを見つける事が出来なかった。
1982年4月18日、ダラスはエルムズら殺害後から約1年3ヶ月後に逮捕された。
同年、ダラスには懲役30年が宣告されたが、服役から約4年後の1986年3月30日、ダラスは刑務所を脱獄する。
脱獄後から約1年後の1987年3月、南カリフォルニアのリヴァーサイドのコンビニの外で、ダラスは再び逮捕された。
ダラスは再逮捕後、全米のメディアで注目の的となった。
ダラスはオレゴン州とネバタ州北部の原住民から民族的英雄と称えられた。
ダラスの現代社会において土地の物だけを食べて生活するという生活を尊重し、ダラスの権利を擁護するよう政府に抗議したのだった。
結局、ダラスの罪は軽減される事はなかったが、脱獄による刑の上乗せはなく、2005年2月、22年の刑務所生活を務めた後、ダラスは出所している。
∽ 総評 ∽
自然と共に生きていた所を邪魔された事で殺害したダラス。
まさにネイチャー生活を送っていたわけだが、急に現れた人間に拒絶反応を示し射殺してしまったのだろう。
先住民ならまだしも、法律により整備された現代社会を考えれば、ダラスの行為は完全に違法であり、それを取り締まりに来る事は当然の行為だ。
日本では考えられないが、インディアンなどの先住民族がいるアメリカでは、ダラスのような人間を尊重し、擁護しようとする傾向にある。
もちろん、だからといって人殺しはダメだが、こういった生活を送る人間をなんとなく否定出来ない。
【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★☆☆☆
・残虐度 ★★★☆☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★☆☆☆☆☆☆
・特異性 ★★★★★★★☆☆☆
・殺人数 2人
《犯行期間:1981年1月5日》
コメント
コメント一覧 (4)
孤立して生活する部族等に生まれていたら、そもそも罪に問われなかったのに…たらればになってしまいますが。
確かにそうですね。
ただ、ジャングルの奥地とかならまだしもアメリカで生まれてそうなるというのは、元々そういう性質の人間だったのでしょう。
1つだけ言えるのは、彼は快楽殺人者ではないという事ですね。
そうですね。
ただ今のところ大丈夫なようです。