
ユハ・バリャッカ (スウェーデン)
※出身はフィンランド
【1965 ~ 】
ユハ・ヴェイッコ・バリャッカは、1965年6月13日、フィンランド・ポリで生まれた。
1988年5月1日、服役していた22歳のバリャッカは、フィンランド・トゥルクの刑務所から解放される。
そして、バリャッカのガールフレンド、マリータ・ラウタラミー (21歳) と、フィンランドとスウェーデンをあてもなくさまよった。
同年7月3日、スウェーデン・アミュセールに到着すると、バリャッカは自転車を盗んで逃走する。
自転車の持ち主であるステン・ニルソンとその息子フレデリック (15歳) がバリャッカを追跡する。
すると、バリャッカは追い掛けてくるステンとフレデリックに向かってショットガンを発砲し、射殺する。
2人の遺体は墓地の側に遺棄された。
その後、ステンの妻でフレデリックの母であるエヴァが、夫と息子を探しに出掛けるが、2人の死体が遺棄されている墓地の外で、バリャッカに襲われる。
エヴァはバリャッカに喉を裂かれ、刺し殺された。
バリャッカとラウタラミーは逃亡するが、1週間後の同年7月10日、デンマーク・オーデンセで2人は逮捕された。
フィンランドに移送された2人は、裁判でニルソン親子殺害について、互いに罪を擦り付けた。
裁判官はラウタラミーの発言を指示する。
精神鑑定も行われたが、両者とも責任能力があると判断された。
裁判でバリャッカには3つの殺人で終身刑が言い渡され、ラウタラミーには暴行殴打の罪で懲役2年がそれぞれ言い渡された。
その後、ラウタラミーは1年で釈放された。
1991年、バリャッカは刑務所を脱獄しようとするが、未遂に終わった。
1994年4月、バリャッカは再び刑務所から逃亡を図り、人質を取って脱獄した。
しかし、バリャッカはすぐ近くで逮捕された。
人質は無傷であった。
2002年、バリャッカはピハセルカ刑務所から2度目の脱獄を図り、スウェーデンに逃亡する。
地元で大規模な捜索が行われ、バリャッカは逮捕された。
2004年、バリャッカはスケバ刑務所から3度目の脱獄を図ったが、わずか19分後、刑務所から1キロメートルもない近くで逮捕された。
2006年11月28日、バリャッカはハミナの労働刑務所から4度目の脱獄を図る。
しかし、2日後の30日、警察はバリャッカの隠れ家であると思われたアパートを捜索し、バリャッカは無抵抗で逮捕された。
2008年7月1日、バリャッカは刑務所で19年生活を送った為、仮釈放の申請が通れば、釈放される事となる。
∽ 総評 ∽
カップルだけではなく、複数で犯罪を犯した場合、逮捕されると互いに罪を擦り付けるという醜態をよく晒す。
確かに役割の大小は多少あるものの、犯罪に加担したという時点で罪の重さに違いはない。
何度も脱獄を試みているにもかかわらず、19年の刑務所生活を送った為、仮釈放の申請が出来るというのは、全く理解出来ない。
確かに19年刑務所で過ごしているだろうが、バリャッカの場合は1度ではなく4度も脱獄しているのだ。
こんな人間を野に放つというのは、虎を野に放つようなもので危険極まりなく、とても容認出来ない。
【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★☆☆☆
・残虐度 ★★★★☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★☆☆☆☆
・特異性 ★★★★★★★☆☆☆
・殺人数 3人
《犯行期間:1988年7月3日》
コメント
コメント一覧 (2)
確かにそういうイメージありますね。
実際、色々な北欧の人物を掲載していますが、仮釈放等で出て来ている人物多いですよね。
けど、遺族もそうですが、住民からしてみればたまったものではないですね。
また、犯罪に走る可能性も高いですし。