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ナヴィード・ハク (アメリカ)
【1975 ~ 】



ナヴィード・アフザル・ハクは、1975年9月23日、アメリカのイスラム教徒リーダーの息子として生まれた。

ハクはパキスタン系アメリカ人であった。


ハクの父ミアン・ハクは、アメリカ・ワシントン州東南部にあるハンフォード・サイト核施設で働いており、地元のイスラム・センター設立に大いに貢献した。


1994年、ハクはワシントン州にあるリッチランド高校を卒業する。

ハクを知る同級生によるとハクは「かなり穏やかな人物」であったという。

また、
「宗教に関しては決して素直ではなかった」
とも語っている。

ハクはレンセラー・ポリテクニック研究所に通った事もあった。


その後、ワシントン州の大学で電気工学の学位を取得したが、大学卒業後、仕事に就く事が出来なかった。

ハクは長年学校に通っていたが親友と呼べる人物は1人もいなかった。


2001年、ハクは故郷のパキスタンに行き、現地でお見合い結婚する。

しかし、結婚生活は長続きする事なく、すぐに離婚するとアメリカに戻った。


2005年12月、ハクはイスラム教徒として育ったが、キリスト教の洗礼を受け、それから数ヶ月間、聖書研究会に出席した。

しかし、このキリスト教への改宗を快く思わなかった父ミアンは、ハクにイスラム教への改宗を促す。

その為、父親との関係が悪くなり、この頃からハクは双極性障害 (躁鬱病) を患うようになり、苦しむようになる。


2006年3月、ワシントン州ケニウィックにあるメイシー百貨店近くの噴水に立ち、噴水を通る女性に自身の陰茎を晒し、逮捕された。

ハクはすぐ釈放されたが、双極性障害の症状が悪化し、薬を飲んでいた。

また、ハクは日頃から人生の不満を口にしており、反ユダヤ的な発言をするようになる。

そんなハクは仕事を求め、ワシントン州のシアトルに引っ越す。


同年7月28日、ハクはユダヤ人連邦事務所に侵入し、銃を乱射する。

この銃撃により、パメラ・ベシュテルが死亡。

ライラ・ブッシュ、デイナ・クライン、シェリル・スタンボ、キャロル・ゴールドマン、クリスティーナ・レクスロードの5人が負傷した。

事件の時、ハクは911に

「狙ったのはユダヤ人だ。私は命令される事と、中東の状況により命令されている我々の身内に嫌気がさしている」

と話した。

ハクは駆け付けた警官に素直に逮捕された。


翌日7月29日、ハクの保釈金は5000万ドル (約55億円) となり、事実上、保釈は不可能となった。

ハクは第一級謀殺、5件の殺人未遂、誘拐と強盗の9つの罪で起訴された。


同年7月30日、ハクの両親はインタビューに応じ、
「私たちは息子がこのような行為をすると想像も出来なかった。これは我々イスラムの信条とは全く関係ありません」
と話した。


2009年12月15日、紆余曲折を経て、ハクには仮釈放なしの終身刑が言い渡された。


最後に銃撃中、ハクが叫んだ言葉で終わりたいと思います。

「私はイスラム系アメリカ人だ。そして、イスラエルに怒っている」



∽ 総評 ∽

ユダヤ人を憎み襲撃したハク。

ハクがそこまでユダヤ人を目の敵にした理由はよくわからないが、人種差別によるこういった犯行というのはよくあることで、それほど不思議な事ではない。

ただ、ハクが複雑なのは、元々イスラム教であり、キリスト教に改宗している事だ。

本人はそんな状況から色々な困難に出会い躁鬱病を患うに至ってしまった。

ハク自身も言い分があるだろうが、劣悪な環境で育てられた悲惨なシリアルキラー達と比べればかなりましな方であり、正直ハクに同情の余地はない。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★☆☆☆
・残虐度 ★★☆☆☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★☆☆☆☆☆
・特異性 ★★★★★☆☆☆☆☆
・殺人数 1人
(他負傷者5人)
《犯行期間:2006年7月28日》