
ジョージ・オチョア (アメリカ)
【1964 ~ 2012】
1964年8月6日、オチョアはアメリカで生まれた。
オチョアにはオスバルド・トレスという犯罪仲間がいた。
1993年7月12日、オチョアはトレスと共にフランシスコ・モラレス (38歳) と、その妻マリア・ヤニェス (35歳) の家に侵入する。
そして、オチョアはベッドルームで寝ていたモラレスには12発、ヤニェスには11発それぞれ発砲し射殺する。
夫婦の3人の子供達は発砲の音で起き、14歳の娘クリスティーナはすぐに911に連絡する。
当初、クリスティーナは継父 (モラレスとヤニェスの名字が違うのはこの為) が銃を発砲したかもしれないと、オペレーターに話した。
電話を切ったクリスティーナは、ベッドルームから出るとリビングルームを見た。
すると、リビングルームは明かりが点いており、2人の男がそこにいた。
1人の男は白いTシャツを着ており、もう1人の男は黒いTシャツを着ていた。
クリスティーナは黒いTシャツを着ていた男が、手に何かを持っていたが、それが何かわからなかった。
クリスティーナはその時はもちろん男が誰だかわからなかったが、後に黒いTシャツの男がオチョアで、白いTシャツの男がトレスだとわかった。
オチョアの発砲はクリスティーナの他にも継兄弟 (モラレスの連れ子) フランシスコ (11歳) を起こし、フランシスコは黒いTシャツの男が父モラレスを撃つのを見た。
警察は通報にすぐに対応し、犯行現場に急行。
通報により現場に駆け付けようとする途中、犯行現場の家の近くで怪しい2人組の男を見つけ、呼び止めた。
男は汗まみれで挙動不審だった為、尋問するとこれから向かおうとしていた夫婦殺害の犯人オチョアとトレスだとわかる。
警察は2人をその場で逮捕した。
裁判でトレスはモラレス邸に強盗目的で侵入した事を認め、
「私は誰も殺害しませんでした。そして、オチョアが平気で人を殺すとは思いませんでした」
と述べた。
1995年10月、オチョアは第一級謀殺と強盗の2つの罪で起訴された。
1996年3月21日、オチョアには死刑が言い渡され、トレスには仮釈放無しの終身刑が言い渡された。
トレスが死刑ではなく終身刑の理由は、直接手を下したのがオチョアだったからだった。
オチョアが死刑が執行される前に食べた最後の晩餐は、肉とピザ、そして、コーラであった。
2012年12月4日、致死量の注射による死刑が執行された。
享年48歳。
最後に死刑が執行される直前に
「最後に言い残す事はないか?」
と問われた際のオチョアが言った言葉で終わりたいと思います。
「私は罪の無い人間です」
∽ 総評 ∽
相棒と共に強盗目的で家に侵入し、夫婦を殺害したオチョア。
強盗目的で侵入し殺害する事自体は珍しい事でもない。
オチョアとトレスがどのような経緯で知り合ったのかはわからないが、異常者同士、意気投合したのだろう。
オチョアは最後に自分は罪の無い人間だと述べたが、何をどう考えてそんな発言に至ったのだろうか?
どんな理由にせよ、2人の人間を手にかけているのは事実で、誰がどう見てもただの殺人犯だ。
何にせよ、子供3人が無事だった事が唯一の救いである。
【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★☆☆☆☆☆
・残虐度 ★★★★☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★☆☆☆☆☆
・特異性 ★★★★☆☆☆☆☆☆
・殺人数 2人
《犯行期間:1993年7月12日》
コメント
コメント一覧 (17)
米国に多い清教徒の基本的な考えに、人の一生涯は、産まれる前に、神が意図して与えてある。というのがあります。
人生は全て神の設計図通りに進む。成功も失敗も、最期の審判の時に救われるかどうかさえもあらかじめ決められている。
だから人生に疑問を持つことは、神を疑うのに等しい。
苛烈な教義は、免罪符売買の横行する中世には必要で、階級や格差を説明するのに都合のよいものでした。
「だから免罪符なんて買わなくて良い。勤勉に生活するだけで良い」と続くのですから。
現代でも一部、これを利用している宗派もあります。
「貴方の現在は総て神が意図したもの。貴方は神の設計図に動かされただけで、貴方が悪いからこうなったわけではない。貴方は悪くない」
病気や経済的困窮に苦しむ人、家族を失った人にはには効きます。非常に救われる考え方です。
困るのは稀に、悪行の免罪符として使う人が出ることです。
神様の前にルッター先生に捕まって、盛大に凹られれば良いと思います。
(ルッター先生は、超武闘派の宗教家)
かなり恐ろしい考え方ですね。
「神の意志だから」と言って殺人を行うのと一緒で、神の意のままだから何やってもいいということになる。
私は神を否定する気も肯定する気もないです。
個人的には目に見えないものなので、信じたくても信じらないんですよね。
強盗殺人の心理はわかりません。
そんなに家の中にお金があるとは思えないし。
はした金を盗む為に人を殺す これが解らない。
一生食べられる位のお金ならまだしも…
ってかバーガーキングでもバスキンロビンスでも 働けばいいのに。
イケナイ事だけど、怨恨殺人ならまだしも。。
最後の言葉が嘘であろうと執行人の耳には 後々残りそうですね、
執行人の仕事は精神的にキツそうですね。
宗教の思考をナナシさんが書いていたので また横それで(笑)わたしの経験を…
母は熱心なカトリック信者です。父は違います、私達姉妹4人も赤ちゃんの時に洗礼を受けていますが…四人共なんちゃって クリスチャンで信仰はしておりません。
主には以前わたしは疾患持ちと書きましたが。 交通事故で 脳脊髄液減少症、線維筋痛症という疾患を8年患っております。
四年程前に体全ての症状が悪化し オムツで寝たきり状態を1年半してた際に、 母親に辛くて死にたいと 言った所
彼女は「神様がお許しになりません」 と一言いい。その後、教会の神父を連れて来ました すごくびっくりし傷付きました。
身の回りの事、通院、食事、全て 高校の同級生がやってくれてました。
多分母は神様が身の回りの事もしてくれると思ってたんだと(笑)
宗教家は現実を見ない(良くも悪くも神の思し召し)で わたしは好きではありませんし、神は昔から全く信じていません。
友達の創価のお母さんも。
やたらお祈り?が足りないんじゃないかしら だから病気が 良くならないんだと言われ婦人会の座談会に誘われました。笑
その時は 池田○作大先生の次男は病死してるらしいですね と言った事があります
信仰は個人の自由ですが 現実を間の当たりにしない 信仰心の強い方々の思考は ある意味 怖いです。
そんな大変な人生を送られていたのですね。
Jさんからしてみれば、私の書いている総評等も甘く感じるかもしれませんね。
仰る通り全く同じ意見ですね。
何十億というお金が手に入るならまだしも、当面の微銭で簡単に人殺すのって異常ですよね。
私も全く信じませんね。
宗教の信仰や崇拝も否定はしませんが、神に祈ったからって今の状況が変わるわけではない。
結局は「自分自身」で変えるしかないんですよ。
就職活動中に、神様に祈ったからって仕事決まりますか?
履歴書書いて面接いくのは神様ではなく、自分なんです。
就職活動~の 下りで思いだしました
わたしは今は1人で住んでいますが…
母が神様にお祈りしとくからね と 言われて同じような意味合いの事を言った覚えがあります。
「お腹がすいて何か食べたい時 祈れば神様が食べ物くれるの?」って
思考→行動って大事ですね
思考が変われば 行動も変わる。
で…宗教家の心理は 今でも理解できません (笑)
でも…
自然の癒やしや草木の生命力、景色は 神がかった゛もの゛を感じる時はあります。(神様じゃありません 言葉が見当たらないだけです(笑))
私も神様信じないとか言っておきながら、Jさんのように「神がかった」とか「神プレイ」とか色々言葉としては使ってしまいます。
思考→行動、その通りだと思います。
「思考が変われば行動が変わる。行動が変われば周囲が変わる。周囲が変われば人生が変わる」人間、神頼りよりまずは自分が変わる事ですね。
ルッターの言葉自体は当時、正しかったのですよ。
カトリックのでは、司祭が神と人の間に立ち双方のコミュニケーションを取り持つ。としています。聖ペテロが初代教皇となり、基督の教えを広めた名残です。
中世になると教皇と教会の権力が増していきます。
人々は天国に近づくために、競って教会に寄進をしました。
そのうちに一部の聖職者が、“免罪符”を発明します。買えば天国に近づくお札です。持っていなければ天国に行けない.といわれるようになります。
領地内に1人でも(免罪符を買えなかったことで)天国に行けないものが出れば、領主も地獄に落ちる。といわれた札です。人々は買い求め、領主は購入して貧窮者に配りました。……坊主丸儲け。
それに起こったのがルッターで、“神はそんな狭量じゃない“”免罪符など役に立たない””神に与えられた環境で、神を信じ真面目に勤勉に日々を送る事が天国に近づく方法だ”と主張します(時に大立ち回りをしながら)
その文脈で言われたのが、「(神を信じ真面目に勤勉に生きたのに死後地獄に墜ちるとも、それは最初から神が定めた事なので)あなたに罪はない」です。
非常に曲解されやすい主張なので、カルト宗教も好んで引用しますし、
犯罪者が居直りに使ったりもするのですが、
基本はあくまでも”神に与えられた環境で、神を信じ真面目に勤勉に日々を送る”
事。(中世世界では必要悪だった、屠殺業者、傭兵、死刑執行人、堕胎専門医、金貸し等を全面肯定する内容でもあるので、それらの職種の人々はルッターを支持しました)
悪事を働いて地獄の墜ちたとしても、それは当然の神の摂理と見做されます。
なるほどですね。
免罪符があれば天国に行けるか~
死んだ後の事を考えるのってもちろん人間だけですけど、私個人としての意見は死んだら何もないと思います。
生まれる前の事は何も覚えていないので、死んだ後の事も何も覚えてないと思います。
宗教家と一口に言っても、信じる宗教や宗派によってアプローチも違います。
カソリックでは、心の平安を重要視します。神が救うのは肉体ではなく精神で、精神の安定こそが、神がともにある証。 という考え方です。
キリスト教では自殺は厳禁なので、熱心な教徒の方ほど、自死に否定的になります
だからといって、苦しんでいる方の肉体を疎かにしてよいはずがありません。
人は精神と肉体と両方でできていて、双方で経験したことのバランスを取り、思考を作りながら生きてます。
日本の原始的な宗教観(土着神道・神道)は、自然に対する畏怖と感謝の集積です。日本で日本の自然と暮らすためのマニュアルみたいなモノです
Jさんが書かれた“神がかった”ことを汲み取る受容体を、神道では“神様が各人の心の中にいる(から感応できる)”=“信仰心”と表現しています。
受容体の働き方は、各人の精神と肉体、経験で違うので、当然のように何に畏怖と感謝を感じるかは違ってきます。只、大きな括りとして神道。と呼んでます
土着信仰、民俗信仰、なので、居住地域、職業で信仰する神が違うのは当たり前。布教活動はほぼ不可能。習俗と結びつきすぎて、日本人自身が神道の影響度合いに気づくのも難しい。
(一神教を真似、天皇家の最高祖霊神を中心に布教用に再構築したのが国家神道)
各人信仰する神様が違うので『信仰心と宗教心が別のモノ』と無意識下でなっとくしているので、一神教信徒からは信仰心はあるのに、宗教心はないと評価されます
(一神教は総てを神が統べるので、信仰心と宗教心が同一視される。極端な行動を起こしやすいのは、教義に引きずられやすいから)
信仰は、よりよく生きる為に蓄えられた先人の知恵の結晶でもあるので、自分自身の折り合いをつけて、他人には押しつけないことが大切だと思います
名無しさん 沢山知識の箱を開けて下さって
ありがとうございます
(´ー`)ノ
母は母の実弟(勿論信者)に ねぇさんは宗教をはき違えてる!!と 昔。どなられているのを見た事があります。何の話題からかは分かりませんが。
教えは1つでも 個々の主観(見る側によって)誤差はありますね。
あと 主と一緒で 死の向こう側は 無だと、わたしも思います。
殺人鬼の項目ですが…
様々な事に流れ、様々な意見があるのは、主が嫌じゃなかったら わたしは いいと思います。
私も同じ意見です。
色々な考えがあって当たり前、答えが皆一緒というのはあり得ないと思います。
このようなブログなので批判も多いですが、当然だと思っています。
「死とは生まれる前の世界に戻ることなのだから・・・ただそれだけなのだから・・・」
という言葉が繰り返し、出てくるのですが
>生まれる前のことは覚えていないので、死んだ後のことも覚えていない
たしかにそうですよね 笑
生まれてくる前の世界に戻るって言ったって
生まれる前の世界を覚えていないのだから、そもそも【生まれてくる前の世界】が、存在するのかどうかすら、わかりませんよね
母親の胎内で生命として発生したのが、一番
最初なんじゃ・・・と思ったりします
でも
【生まれる前の世界】があると考えた方が
ロマンとしてはいいですけどね(*´∀`)
「魂のルフラン」にも
「生まれる前にあなたが過ごした大地へと〜」
ってありますし 笑
私のような考え方は冷めていてロマンがないですよね。
天国とか生まれる前とか考えた方がよりよい豊かな人生を送れるような気はします。
>生まれる前の世界なんて、覚えてないから
>死んだ後の世界も覚えてない
↑これを拝見した時
おお!たしかにそうだ!!
と、手を打ちましたから
実際、生まれる前の世界なんて、覚えてないのが
現実ですしね(^_^;)
昔から考え方が現実的なんですよね。
解りづらい例えになってしまいますが、三國志に諸葛亮と龐統という有名な軍師がいますが、諸葛亮は天下3分の計にみられるように、これからどのように戦略を立てていくかという理想論を得意としましたが、龐統は今こうした方が良いという現実論を得意としました。
世間の人気は諸葛亮の方が断然上ですが、私は昔から龐統が好きですね。
「おれは罪のない人間」
人を殺してよく言えるなと思いました。
きっと殺したことは悪いとは思っていなかったのでしょう。
「ぼくはとても悪いことをした罪深い人間です」
と泣いて自分の責任を回避されるよりすっきりした結果になってよかったと思いました。
よく言えたと思えますね。
仰る通り素晴らしい結果になったと思えますね。