
ミッチェル・ジョンソン (アメリカ)
【 1984 ~ 】

アンドリュー・ゴールデン (アメリカ)
【 1986 ~ 2019 】
ミッチェル・スコット・ジョンソンは、1986年8月11日、アメリカ・ミネソタ州グランド・メドーで生まれた。
ジョンソン6歳の時、一時託児所に預けられるが、そこで性的虐待を受けた。
母親はグレッチェンといい、ジョンソンが7歳の時、両親は離婚した。
母親は離婚後、ジョンソンと兄弟達を連れ、アーカンソー州ジョーズボロに引っ越した。
グレッチェンは刑務所の警備員の職に就いていたが、その刑務所に収容されていた囚人テリー・ウッドワードと再婚した。
ウッドワードは元犯罪者であったが、物静かな性格で、ジョンソンに対して丁寧に接した。
ジョンソンは12歳の時、家族で南ミネソタに出掛けたが、3歳の女の子に対し猥褻行為を働き、女の子の親に訴えられる。
しかし、ジョンソンはあまりに幼かった為、訴えは退けられた。
アンドリュー・ダグラス・ゴールデンは、1986年5月25日、アメリカ・アーカンソー州ジョーズボロで、父デニス、母ジャクリーンの子として生まれた。
父方の祖父ダグラス・ゴールデンは、ジョーズボロの野生生物保護の役員であり、両親は仲が良く、家庭環境は安定していた。
ゴールデンは幼い頃から銃に興味を示し、6歳の時にダグラスに銃を買ってもらった。
そんなジョンソンとゴールデンは、ウェストサイド中学校 (小中一貫学校) に通うようになる。
出会った2人は年の差があったがすぐに意気投合する。
2人はスクールバスに乗って来る他の学生にちょっかいを出すいじめっ子として有名で、学校の問題児であった。
ゴールデンは祖父に買ってもらった銃をジョンソンに見せ、銃の魅力をジョンソンに語った。
そして、
「できるだけ多くの人間を殺害したい」
と発言する。
ゴールデンは少し前に別れた元ガールフレンドのキャンディス・ポーターを殺すと脅していた。
ゴールデンは同級生から粗暴な振る舞いにより厄介者扱いされていた。
また、この頃には猫をBB弾で殺すようにもなっていた。
1998年3月23日、ゴールデンは祖父の家から多くの銃と弾薬を盗んだ。
翌日3月24日朝、ついに2人は凶行に出る。
ジョンソンとゴールデンは銃で武装し、ウェストサイド中学校にバンに乗って向かった。
学校に到着すると、ジョンソンは武器を持って学校のすぐ外にあれ森へ向かった。
ゴールデンは校内に侵入し、火災報知器を鳴らした。
そして、ゴールデンも武器を取り、ジョンソンのいる森へ向かった。
火災報知器が鳴った為、学校の先生は列をなした生徒を連れ外に出て来た。
校外に出て来た先生や生徒に向かって、ジョンソンとゴールデンは銃を乱射。
現場は阿鼻叫喚の地獄絵図となった。
結局、この銃撃でナタリー・ブルックス (11歳) 、ページ・アン・ヘリング (12歳) 、ステファニー・ジョンソン (12歳) 、ブリトニー・バーナー (11歳) の女の生徒4人、シャノン・ライト (32歳) 教師1人の計5人が死亡。
9人の生徒と1人の教師が負傷した。
ジョンソンとゴールデンは銃撃後、逃走を図るが駆け付けた警察に捕らえられた。
警察は2人の乗って来たバンを調べると、坂の中には食べ物や寝袋等があった為、2人は銃撃後、逃走する予定なのがわかった。
事件が発生すると、銃乱射事件はそれほど珍しくないアメリカだったが、犯人の年齢のあまりの低さに全米が騒然となった。
2人はアメリカの裁判の歴史上、殺人で起訴された最も若い犯人の1人であった。
裁判が開かれ、ジョンソンは法廷では終始頭を垂れていた。
そして、犠牲者の家族の為に書いた謝罪の手紙を読んだ。
ジョンソンはこれといった対象はいないと語り、
「我々は特に誰かを撃つつもりではありませんでした」
と話した。
裁判でジョンソンとゴールデンは、青少年として裁判にかけられ、5件の殺人で起訴された。
検察官は、犯人たちが年齢が若くなければ、ただちに死刑に処すべきだと述べた。
1998年8月、2人は21歳になるまで、施設に監禁されるよう宣告される。
それは、アーカンソー州の法律で最大の監禁期間であった。
しかし、判決を下したラルフ・ウィルソン判事は、
「これは、犯罪に対して罰が合わない納得のいかないケースです」
と、法律上2人にその程度の罰しか与えられない事に対して異例の遺憾の気持ちを告げた。
だが、後にこの事件以降、アーカンソー州の法律は変わった。
2005年8月11日、7年経過して21歳の誕生日にジョンソンは解放された。
2007年1月1日、ジョンソンはマリファナと武器の不法所持で逮捕される。
同年1月26日、ジョンソンは裁判所に出廷する。
同年5月25日、21歳になったゴールデンは解放された。
解放されたゴールデンであったが、銃の不法所持容疑で嫌疑をかけられる。
同年10月24日、ジョンソンは法廷で無罪を主張する。
2008年1月28日、ジョンソンは武器の不法所持で有罪判決を受けた。
同年9月、ジョンソンには武器の不法所持と、薬物使用により懲役4年が言い渡された。
同年10月7日、ジョンソンは重罪窃盗とマリファナ所持を認めた。
ジョンソンは地元のガソリンスタンドで障害を持った男性のカードを盗んだと告白した。
同年11月14日、ジョンソンには懲役12年が追加された。
2019年7月27日、ゴールデンはアーカンソー州で車の事故で死亡した。
享年33歳。
最後に、裁判を待つ間の拘留中、ジョンソンが書いた手紙を掲載して終わりたいと思います。
「やあ、僕の名前はミッチェル。僕は殺害した相手や家族に対して毎日祈りを捧げています。こないだの事は本当に悲しいです。いつか本当のミッチェルを知って欲しいです」
∽ 総評 ∽
13歳と11歳の年齢で銃乱射事件を起こしたジョンソンとゴールデン。
銃乱射事件自体、過去に何度も掲載している通り、アメリカではさして珍しい事でもない。
先日、アメリカで11歳の子供が6歳の子供に腹を立て、射殺した事件が起きているが、子供による発砲事件自体は、それほど珍しくはない (もっと幼い子供が誤射で射殺したりする事件は山ほどある) 。
だが、この事件のように大勢に向かって銃を乱射するという事件はこの年齢でそうあることではない。
このような銃乱射事件を起こす人物は、そもそも10代が比較的多いのだが、中でもこの2人は抜群に年齢が若かった。
例えば、本事件から約2ヶ月後の1998年5月21日に起きた、以前掲載したキップランド・キンケルは事件当時15歳で、本事件から約1年後の1999年4月20日に、コロンバイン高校でそれぞれ銃乱射事件が起きた、エリック・ハリスとディラン・クレボルトがそれぞれ18歳と17歳であった。
その3人でも若い方だが、ジョンソンとゴールデンは13歳と11歳という更に群を抜く若さで、こんな少年が銃乱射事件を起こすというのは他に例がない。
殺害数こそ『コロンバイン高校銃乱射事件』の2人には及ばないものの、年齢においては無差別による銃乱射事件の犯人としては、おそらく最年少の記録であろう。
2人は釈放後、再び犯罪を犯し逮捕されている。
治療が役に立たないのはよくあることだが、何とかならないものかと思う。
【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★★☆
・残虐度 ★★★☆☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★★★★
・特異性 ★★★★★★★★★☆
・殺人数 5人 (他負傷者10人)
《犯行期間:1998年3月24日》
最後に、裁判を待つ間の拘留中、ジョンソンが書いた手紙を掲載して終わりたいと思います。
「やあ、僕の名前はミッチェル。僕は殺害した相手や家族に対して毎日祈りを捧げています。こないだの事は本当に悲しいです。いつか本当のミッチェルを知って欲しいです」
∽ 総評 ∽
13歳と11歳の年齢で銃乱射事件を起こしたジョンソンとゴールデン。
銃乱射事件自体、過去に何度も掲載している通り、アメリカではさして珍しい事でもない。
先日、アメリカで11歳の子供が6歳の子供に腹を立て、射殺した事件が起きているが、子供による発砲事件自体は、それほど珍しくはない (もっと幼い子供が誤射で射殺したりする事件は山ほどある) 。
だが、この事件のように大勢に向かって銃を乱射するという事件はこの年齢でそうあることではない。
このような銃乱射事件を起こす人物は、そもそも10代が比較的多いのだが、中でもこの2人は抜群に年齢が若かった。
例えば、本事件から約2ヶ月後の1998年5月21日に起きた、以前掲載したキップランド・キンケルは事件当時15歳で、本事件から約1年後の1999年4月20日に、コロンバイン高校でそれぞれ銃乱射事件が起きた、エリック・ハリスとディラン・クレボルトがそれぞれ18歳と17歳であった。
その3人でも若い方だが、ジョンソンとゴールデンは13歳と11歳という更に群を抜く若さで、こんな少年が銃乱射事件を起こすというのは他に例がない。
殺害数こそ『コロンバイン高校銃乱射事件』の2人には及ばないものの、年齢においては無差別による銃乱射事件の犯人としては、おそらく最年少の記録であろう。
2人は釈放後、再び犯罪を犯し逮捕されている。
治療が役に立たないのはよくあることだが、何とかならないものかと思う。
【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★★☆
・残虐度 ★★★☆☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★★★★
・特異性 ★★★★★★★★★☆
・殺人数 5人 (他負傷者10人)
《犯行期間:1998年3月24日》
コメント
コメント一覧 (14)
そうですね。
アンドリューの目付き怖いですね。
やっぱり異常者は目付きがやばいんですよね。
そうですね。シャロン・キンの娘は2歳半だったそうですが、当時夫は事故死と判定されたとのことですからね。2歳半の子供でも人を殺しうる、と当時認められたということですよね。
以前、外国の少年犯罪の本を持っていて、それに沢山子供による発砲事件が記載されていました。
ななしさんの仰る事件もそうですが、本当に山ほどありました。
凄いですね。
日本だったら冗談でも言えないですよ。
「目には目で」のハンムラビ法典さながらの「銃には銃で」ですね。
あの事件の犠牲者の一人は、銃規制派の政治家だったのですが
「銃を規制したからこんなことになった
彼が銃を持っていたら助かったのに」って
コメントを出した銃賛同派の南部の政治家がいましたよ
その政治家の発言凄いですよね。
銃を持ってたら助かったって、いくら銃を持ってたってそもそも銃で相手を的確に撃てないとダメですよね。
銃自体を無くせばいい、簡単な理屈ですよ。
日本を見倣って欲しい。
日本の銃撃事件なんて年間数える程度ですよ。
まあ、アメリカの場合、銃会社との利害関係があるので、廃止は絶対不可能ですけどね。
アメリカでは難しいんじゃないでしょうか。
平安・戦国と、法皇を困らせ戦国武将を震え上がらせたのが、有力寺院教団と僧兵たちです。
和歌山の根来衆は火縄銃の製造と扱いを専門としてましたし、一向宗はいざとなれば教徒に動員をかけ、教祖の武将も君主に了解を取って招集に応じました。
それを押さえたのが、織田信長。清洲会議を開き、二度の話し合いで僧門に武器を捨てさせて武力行為を止めさせました(唯一応じなかった偏狭な教主は、結果的に攻め滅ぼされた。教団内穏健派は、信長につくことを選んで教団を後世に残した)
これ以降、僧門は武力に訴えなくなりました(島原の乱は、大阪方の浪士が多数参加していたので別格)
そして、秀吉が太閤検地と刀狩りで農民層・郷士層から武器を取り上げた。
後に郷士の帯刀は許されましたが、刀は武家とならないと駄目だった。
徳川の世が350年も続いたのは、信長と秀吉の成果も高かった。という研究もあります。
アメリカがそうなるには・・・意識の大改革が必要でしょうね
刀狩りの影響というのは、以前、ナナシンさんも指摘されてましたね。
アメリカは歴史も浅い新興国家の為、そう言った歴史の影響というのはないのでしょう。
…銃犯罪の増加どころか、低年齢化まで起きているこの現状で、まだ銃規制しようとしないのはある意味すごいですね。
絶対に感心はしませんけど。
そうです。
銃が殺すんじゃなくて、撃っている本人が殺すんですよ。
ただ、銃がなければ被害は少ないのは間違いないです。
日本では通り魔事件はありますが、どんなに多くても数人が限界で、10人以上の被害になることはまずありません。
日本も銃があったらもっと被害者は出てますね。
規制したくない派は物凄く簡単に分類すれば共和党でライフル協会が関係してきます。ライフル協会が共和党の支持母体に大きく関わっているため、票を取りやすくするために、したくない派になります。逆にしたい派は民主党で、クリントンやオバマがそうです。クリントンは規制を掛けよう(ライフル協会の力を削ぐ様)としましたが失敗しました。最近の生テレビでの射殺等でまた物議は出ていますが、どうなることやら。オーストラリアでは銃規制によって、下がってきている様です。ただアメリカは国境が内陸部にも在るので簡単ではありません。
マクロ単位の国家間ではむしろこの姿勢が正しいのですが、ミクロ単位になる1市民・1国民にとっては無い方が安全なんですよね。
これだけ銃乱射事件が起きているのに、銃規制が遅々として進まないのってある意味凄い事ですよね。
けど、仮に銃を規制してしまうと、以前アメリカで酒の販売を禁止して密造や密売で権力を握ったアル・カポネのような人間が出てきそうですね。