
カール・デンケ (ドイツ)
【1870~1924】
1870年8月12日、北ドイツ連邦・シュレジエン地方でデンケは生まれた。
ミュンスターベルクの地主であったデンケは、大きな屋敷を構え、広大な農地を持ち、毎週日曜には近所の教会でオルガンを弾いた。
そんなデンケは人々から『パパ・デンケ』の愛称で尊敬されていた。
街を流浪するホームレスたちを、自ら経営する下宿屋に無料で宿泊させ、慈善業もまた人々から称賛されていた。
だが、裏の顔のデンケは、大変に欲深い性格で、更に富を欲していた。
しかも、デンケは同性愛者であり、その性癖を満足させたかった。
1921年、この頃からデンケは、第一次世界大戦後のドイツ (旧西ドイツ) に増加したホームレスの若い男を誘拐する。
そして、自宅に連れ込んでは殺害するようになる。
この時代、ドイツは食糧難で飢え死にする人間が多くいた。
そこに目をつけたデンケは、無料で食料を確保し、高額で売るにはどうしたらいいかと考えた。
そこでデンケは、街に溢れるホームレスに的を絞り、ホームレスを拉致して殺害し、その人肉を売って儲けようと考えた。
デンケはホームレスを自宅に連れ込むと、斧で滅多打ちにして殺害し、肛門を犯し死姦した。
その後、斧を使って死体を適当なサイズに切断し、更に肉切り包丁で細かく切り分けた。
そして、その肉を塩漬けにして肉屋に売りさばいた。
脂身の部分も別に分けて瓶詰めにして売った。
余った肉は自宅用として保存した。
1924年12月21日、デンケの家から悲鳴が上がり、別室の住人が駆けつけると、デンケが下宿人の頭を斧で叩き割ろうとしている最中であった。
駆け付けた警官はデンケの部屋から塩漬けにされた人肉の桶2つ、人間の骨や脂肪の入った瓶詰めを発見する。
また、衣類も多数発見され、あらゆる証拠から30人以上は犠牲になったと推測された。
更に、デンケは殺人の帳簿をつけており、押収された殺人ノートには、犠牲者の名前、体重、殺害した月日、肉を売った日時、売った金額など、克明に記されていた。
逮捕されたデンケは罪を認め、それは1921年から3年間も行われていたと判明する。
逮捕の翌日の12月22日、デンケは裁判前に拘置所内で首を吊って自殺した。
享年54歳であった。
本人が自殺した為、殺人の真意は不明である。
∽ 総評 ∽
食糧難に目をつけ、ホームレスを宿泊させる目的で誘い、殺して人肉として売り捌いたデンケ。
これは以前掲載した同じドイツのシリアルキラー、フリッツ・ハールマンと同じやり方であった。
当時、ハールマンの事件はドイツで大々的に報道され、ハールマンの裁判が行われている最中であった為、デンケはそのハールマンに影響されたのは間違いない。
ハールマンの項でも述べたが、デンケやハールマンが暗躍した旧ドイツ時代は、他にも多くのシリアルキラーが暗躍した。
本件のデンケ、ゲオルグ・カール・グロスマン、フリッツ・ハールマンは、まさに『旧ドイツ三大食人鬼』と言えるだろう。
それはまるで互いが競い合うかのようであった。
時代背景と異常犯罪は因果関係が指摘されており、混沌とした時代には猟奇的な犯罪が多発する傾向にある。
それは日本でも同じで、古今東西変わることはない。
【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★☆☆
・残虐度 ★★★★★★★☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★★☆☆
・特異性 ★★★★★★☆☆☆☆
・殺人数 30人以上
《犯行期間:1921年~1924年12月21日》
コメント
コメント一覧 (5)
自分の性欲も満たせる…と、言う状況下で見たホームレスの男性は、
デンケから見たら極めて魅力的な獲物だったのでしょうね…。
素晴らしいネーミングですね。
バイブル・ジョンさんのおっしゃる通りだったでしょうね。
これ以上のない物色方法に、歓喜のあまり心から震えたでしょうね。
それは言えますね。
往生際が悪いのも不快感を抱きますが、あまりにあっさりしているのも問題ですね。