
マルク・ルピン (カナダ)
【1964~1989】
1964年10月26日、カナダ・ケベック州モントリオールで、アルジェリア人の父親とカナダ人の母親との間に生まれた。
父親は家族に暴力を振るう人物で、ルピンを含む家族全員に暴力を振るった。
特に、妻とルピンの姉には厳しかったのだが、父親は「女は奴隷だ」という男尊女卑の思考の持ち主であった。
幼いルピンにはその思想が頭に根強く残った。
その後、両親は離婚し、ルピンは母親に引き取られるが、父親の恐怖は続いていおり、性格は暗く、友達など1人もいなかった。
もちろん彼女も出来なかったが、そんなルピンは軍隊や戦争に関心を示し、強く惹かれていった。
また、ルピンは隣室の女性の着替えを覗き、自慰行為に耽る毎日であった。
その後、ルピンはエンジニアになる夢を抱く。
その為に勉学に勤しんだが、22歳の時、カナダの名門モントリオール工科大学の受験に失敗してしまう。
ルピンはこの受験失敗に激しく落胆し、ショックを受ける。
そして、ルピンは何故自分が受験に落ちたのか考えない始め、ある考えに辿り着く。
それは、
「男の世界だったエンジニアの世界に女が進出したおかけで、定員数が埋まってしまい、自分が受験に失敗したのだ」
という危険な発想であった。
ルピンは女の権利を主張するフェミニズムを嫌悪し、この世界の諸悪の根元はフェミニストにあるという考えに行き着く。
ルピンは警察や企業に女性を採用するなという抗議の手紙を出した。
そんな中、1989年12月6日、ルピンは銃やライフルで武装すると、自分が入るのが叶わなかったモントリオール工科大学に向かった。
ルピンは校内に侵入すると、授業中の教室に乱入する。
ライフルで脅し、教室内にいた男子生徒と女子生徒を部屋の両側で分けた。
しかし、この時点では学生たちに緊張感はなく、学期末によくある、お調子者学生によるブラック・ジョークだと思っていた。
そして、男子生徒を教室から出すと、残った9人の女子生徒に、
「俺はフェミニストと戦う為にやってきた!」
と叫び、発砲。
この乱射で6人が死亡する。
ようやく大変な事が起きたと理解した学生たちは、パニックに陥り、逃げ惑った。
ルピンは
「俺は女に用がある!」
とわめき散らしながら、生協や学食へ行き、目についた女子生徒を銃撃して回った。
結局、この銃撃で女子生徒14人が死亡、同じく14人が負傷した。
そして、ルピンは一通り銃撃して回ると、自分の頭に向かって発砲し、自殺した。
享年25歳であった。
最後にルピンが所持していた遺書の一部を紹介したいと思います。
「俺の人生を破滅させたフェミニストの息の根を止めてやる」
∽ 総評 ∽
ルピンは社会進出している女性を嫌悪し、抗議の手紙を送ったりしていたが、これは以前掲載したジョージ・ヘナードと非常に似ている。
ヘナードも女性を嫌悪し、同様の事件を起こすに至った (ただし、ヘナードの場合は母親の影響であるが) 。
しかし、ヘナードとこのルピンの違う所は、ヘナードは女性を嫌っていたが、凶行の際は手当たり次第に狙い、特に女性だけということはなかった。
だが、ルピンはわざわざ男子生徒を教室の外に逃がし、女子生徒だけを撃った。
その後、食堂などに行った時も男子生徒は狙わず、女子生徒だけを殺害した。
ルピンは純粋に女性を嫌い、その信念に迷いがなかった。
ルピンは本当に女性が嫌いだったのだ。
ルピンが異常になったのは、父親の虐待のせいだが、女性蔑視になったのも、間違いなく父親の影響によるものだ。
ルピンは性格が暗く、友達もいない、また軍隊や武器に憧れるといったシリアルキラーの典型的な少年時代を送った。
虐待は同情に値するが、大学に落ちたのは自分のせいであり、女性よりも良い点を取ればいいだけの話だ。
自分の失敗を人のせいにする、典型的なダメ人間の発想には同情の余地はない。
【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★☆☆☆
・残虐度 ★★☆☆☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★☆☆☆
・殺人数 14人 (他負傷者14人)
《犯行期間:1989年12月6日》
コメント
コメント一覧 (9)
事実おれもその考えに行きつき、戦争や軍隊に異常に惚れ込んでいた時期はあったし、直すのにはものすごく時間がかかった。
でも、そのわがままで自分勝手な考えのせいで、この事件や魔女狩りといった凶悪な鬼畜どもが凄惨な事件を起こしているから、この考えはすごく悪くて危険な考えだ。
当然ながらこのような考えは根絶されなばならないし、ロリコンポルノのような女性蔑視を誘発させるような危険な書物は焼却されねばならない。
なかなか凄まじい経験をされてますね。
同じような苦しみや思いを抱いている人は沢山いるとは思います。
ただ、ほとんどの人が同じように乗り越えたり異常な行動は起こしません。
所詮、この異常者は精神的に未熟なだけですね。
ジャミラは無実を主張していましたが、テロ事件の容疑者として拷問され、数日は意識不明の重症に陥りました。
その後1962年まで拘留されました。
知らない人物ですね。
今度調べてみたいと思います。
確かに育った世界が荒んで性格がねじ曲がり憎悪に駆られた事には同情する。
しかしそれを自らのエゴと共に発散する弱い者いじめは一番卑怯な行為の1つでしかなく、頂けないだろう。
細やかな願いではあるが、来世は是非とも真人間に生まれ変わっていて欲しい。
私も同情だけはします。
ただ、それと酌量は別です。
あくまでも刑は刑。
やった事の重さは変わるわけではないです。
人のせいにするというのは楽ですからね。