
リチャード・コッティンガム (アメリカ)
【1946~ 】
リチャード・フランシス・コッティンガムは、1946年11月25日、ニューヨークのブロンクスで生まれた。
コッティンガムが12歳の時、一家はニュージャージーのリバー・バレーに移り住んだ。
友達を作るのが苦手で、その頃のコッティンガムは伝書鳩の世話をしたり、母親と家の庭いじりをしているところを近所の人によく見かけられている。
しかし1960年、パスカック・バレー高校に入学する頃には周囲に大分馴染み、友達も沢山できていた。
高校在学の間、コッティンガムはクロスカントリーや陸上の長距離選手をしていた。
1964年、パスカック・バレー高校を卒業する。
高校を卒業したコッティンガムは、1964年から1966年の20歳まで、父親の働く保険会社メトロポリタン・ライフにてコンピュータ・オペレータとして働いた。
1969年10月3日、酒酔い運転で逮捕され、懲役10日と罰金50ドルを科されている。
1970年5月3日、ジャネットと結婚し、1970年から1974年まで、リトル・フェリーのアパートに住む。
1972年8月21日、コッティンガムはデパートで万引きして逮捕され、有罪判決を受けて50ドルの罰金を支払った。
1973年9月4日、ニューヨーク市で強盗、性的暴行の嫌疑で訴えられるが、その後、却下されている。
1974年2月12日、ニューヨーク市で強盗事件の容疑者として逮捕されるが、不当逮捕として釈放される。
1975年2月、2人目の子供が翌月に生まれる為、ニュージャージーの新築のアパートに引っ越す。
1976年10月13日、コッティンガムに3人目の子供が生まれている。
1977年12月16日、コッティンガム31歳の時、マリアン・カーの死体が発見された。
マリアンは手足、それと首を縛られ窒息していた。
この1977年から1980年まで、コッティンガムはバルバラ・リュッケと愛人関係となり、ニューヨーク市内に部屋を借り、住まわせた。
1978年9月23日、ニューヨーク市においてカレン・シュルトを誘拐し、薬で麻痺させて性的暴行を加えた。
そして、ニュージャージーのリトル・フェリーのカレンのアパートの下水道にカレンを投げ捨てた。
同年10月12日から翌日にかけて、スーザン・ガイガーという妊娠した売春婦を狙い、薬で麻痺させて性的拷問の末レイプし、南ハッケンサックのモーテルの部屋にスーザンを置き去りにした。
1979年、コッティンガムはニューヨークのミッドタウンのホテルに、ロングアイランド出身の高級売春婦を2人連れ込み、全裸にしてレイプし、殺害する。
どちらの女性も頭部と両手首を切断した。
そして、ホテルを放火し、逃走した。
炎上するホテルに急行した消防隊が、焼けた首なし死体を発見し、事件は
「ミッドタウンの首なし事件」
名付けられた。
この事件の数ヶ月後、ニュージャージーのモーテルで、コッティンガムは売春婦を全裸にして殺害する。
死体は両手を手錠で拘束され、全身には鞭で打たれた痕が残っていた。
また、乳房にはナイフによる切り傷が多数残されていた。
1週間後、コッティンガムはニューヨークのホテルで、高級売春婦を殺害し、両方の乳房を切り取った。
コッティンガムは切り取った乳房をテーブルの上に乗せ、部屋に火を放ち逃走した。
更に1週間後、ニュージャージーのモーテルの一室で、女性の悲鳴が轟いた。
モーテルの従業員が異変に気付き、警察に通報する。
駆け付けた警察官が部屋に踏み込むと、コッティンガムが全裸の売春婦少女 (18歳) を手錠で拘束し、ナイフで切り刻みながら、傷口から溢れる血を舐めている最中であった。
逮捕されたコッティンガムは、
「自分は連続殺人とは無関係」
と主張したが、コッティンガムの家族も出入り禁止だった謎の部屋から、犠牲者たちの服の切れ端や、アクセサリーが発見される。
大量の猟奇的なアダルトビデオも押収された。
逮捕された後、1976年にニュージャージーのモーテルで起きた看護婦 (27歳) がレイプされた上、全身に切り傷を負って殺された事件が、コッティンガムの犯行だと判明する。
コッティンガムには終身刑が言い渡された、刑務所内で数回、自殺未遂を図ったが生きながらえている。
∽ 総評 ∽
家庭を持っていたにも関わらず、他に愛人を囲い殺人も繰り返したコッティンガム。
10代から軽犯罪に手を染め、それが大人になり殺人に発展する。
コッティンガムのように、少年時代に軽犯罪を繰り返すのは、シリアルキラーの典型と言える。
ただ、コッティンガムが通常のシリアルキラー達と異なる所は、殺人を終えた後、放火している所だ。
放火を行う人物の心理は、コッティンガムのように殺人や強盗を働いた場合、証拠隠滅という要素と、放火により聴衆が集まり、燃えている様を見て興奮を覚える事だ。
よく言われる「放火魔は現場に現れる」というのはその為で、自分が燃やした物に対して沢山の人が集まっている様子を確認したいのだ。
コッティンガムの場合、元々放火癖があったわけではないので、多分、証拠隠滅の要素が強いと思われる。
【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★☆☆☆
・残虐度 ★★★★★★☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★☆☆☆
・特異性 ★★★★★★★☆☆☆
・殺人数 6人
《犯行期間:1977年12月16日~1979年》
コメント
コメント一覧 (8)
手と頭部を切り離したと読んだ時にも思ったのですが、放火は証拠隠滅でしょうね。
遺体の破壊行為は猟奇的と見なされますが、歯型と指紋は遺体の身元特定に使われる重要な証拠でしたから。
とはいえ被害者の装飾品等トロフィーは追体験用にでしょうが保持していたので殺人と言う行為は快楽を得る為に必要だったのでしょう。
ではでは。
私もそう思います。
それにてしも七つの真さんは、知的で博識ですね。
説明も丁寧で分かり易いし、素晴らしいですね。
お褒めに預かり光栄です。…と、素直に申し上げる事が出来れば良いのですが嬉しい反面、お恥ずかしい限りです。
だって半分はうろ覚え、残りは英語圏のサイトを読んで忘れないうちに書き込む…これまたうろ覚えですから。
定期的に連続・猟奇・快楽殺人について調べては、辛くなって逃げ出す。深く潜水しては、息切れを起こし浮かび上がる。
管理人様のサイトは東南アジアの情報もあるのでとても勉強になります。
これからも古今東西、色々な歪さを掘り下げて行って下さいませね。
ではでは。
その気持ち凄いわかりますね。
私もこのブログを立ち上げて1年半くらい経ちますが、途中止めようと思った事ありました。
七つの真さんのように読んでくれる方がいるので、続けこられています。
そう言って頂けると嬉しいです。
必ずしも虚言とはいえないでしょうね。