
セオドア・カジンスキー (アメリカ)
【 1942 ~ 】
セオドア・ジョン・カジンスキーは、1942年5月22日、シカゴ郊外のイリノイ州エバーグリーンパークで生まれる。
父親はソーセージ工場の労働者であった。
カジンスキーは幼少時は、テッドあるいはテディという愛称で呼ばれていた。
内向的な性格ではあるが、カジンスキーは両親には似ず、勉強好きで、幼少時から高い知能を誇っていた。
小学校5年ですでにIQが167もある異常なまでの天才で、周りから「神童」と呼ばれるほどであった。
幼少の頃、蕁麻疹性疾患で隔離入院を経験する。
しかし、頭脳は相変わらずで、学業はやはり天才的な優秀さで、地元でカジンスキーを知らぬ者はいないほどであった。
その為、わずか16歳という若さで飛び級でハーバード大学に進学する。
学生時代、学寮で生活していたカジンスキーだったが、寮生のほとんどが、カジンスキーと何の会話をしたか思い起こせないほど、影の薄い存在だった。
大学時代、カジンスキーはCIAの前身機関でスパイ養成を行っていた心理学者ヘンリー・マリー教授による行動心理実験の被験者となる。
この実験はかなり過酷だったようで、この時受けた心理的拷問体験や、隔離入院の経験が、後の犯行に影響した可能性は極めて高い。
20歳でハーバード大学を卒業すると、ミシガン大学大学院に進学し、数学の修士号と博士号を取得。
カジンスキーは数学者としての道を歩むようになる。
その後、25歳でカリフォルニア大学バークレー校の助教授に就任した。
カジンスキーに対する評価は高く、大学の教員であり続けることのみならず、教授以上への昇進も期待されたほどだったという。
しかし、1969年に大学を辞職して実家に戻り、2年後にはモンタナ州の郊外に自らの手で山小屋を作り、電気も水道も通っていない環境で自給自足の生活を始める。
カジンスキーは突如、原始的な生活を始めたのだが、その理由はよくわからない。
頭が良すぎる人間の考える事は理解できないということだろうか。
1978年5月下旬頃、ノースウェスタン大学の材料工学科教授に、小包爆弾を送りつけた。
これが最初の犯行であった。
1979年11月、カジンスキーはシカゴからワシントンDCへ向かうアメリカン航空444便の爆破テロを企図した。
これは未遂に終わったものの、12人の乗客が爆弾から噴き出た煙を吸い込んで病院に搬送される事態となった。
この事件がFBIが連邦犯罪として捜査を行う最初の事件となった。
そして、FBIはこの連続爆弾魔を『Una Bomber (ユナボマー) 』または『廃品置き場の爆弾魔』と呼んだ。
1985年10月、カリフォルニアのパソコン店経営者を爆殺し、ついに爆弾による初めての死者が出る。
1987年ソルトレークシティーで初めて目撃され、似顔絵が全米に周知されたが、1988年から1992年の4年の間、全く犯行を行わず、カジンスキーその間、爆弾製造技術を磨いていた。
1993年6月、カリフォルニア大学の遺伝学者とイェール大学の教授に爆弾を送りつけ、重傷は負ったものの、命に別状はなかった。
1994年10月、バーソン・マーステラ社の重役に爆弾を送り付け殺害。
1995年4月、木材業界のロビイスト団体代表に爆弾を送り付け殺害。
同年、犯行声明文 (産業社会とその未来) を全国紙に載せることを条件に犯行を中止する (この犯行声明文は後に「ユナボマー・マニフェスト」と呼ばれた)。
ニューヨークタイムズとワシントンポストが掲載し、全米の反響を呼んだ。
しかし、この行為が仇となり、論調や使用語句が自分の兄に似ていると感じたカジンスキーの実弟が、FBIに通報する。
カジンスキーは2000人を越える容疑者リストの1人となった。
そして、ハーバード卒業時の論文の論調と、犯行声明文が酷似していることで捜査が進められ、翌年、100人の捜査員、米軍兵士に包囲され、カジンスキーは逮捕された。
ちなみに、このカジンスキーの事件は、FBIによる捜査では史上最長となった。
裁判が開かれると、カジンスキーは精神鑑定も行われ妄想型統合失調症と診断された。
また弁護団を自ら解任し、自己弁護を行おうとしたこと (この点はIQ160を誇るロドニー・アルカラや、テッド・バンディと同じである) などで審理が進まないと判断した検察官は、仮釈放なしの終身刑とする司法取引を提案した。
そしてこの司法取引にカジンスキーが同意したためそのまま刑は確定となり、公判は1度も開かれなかった。
その為、カジンスキーの犯行動機は現在も本人が語らず不明である。
また、攻撃の標的をどのように定め狙ったかも多くは語られず不明のままである。
現在、カジンスキーはコロラド州にあるフローレンス刑務所で服役している。
∽ 総評 ∽
そもそもカジンスキーが爆弾にとり憑かれた理由がよくわからない。
爆弾に魅了されるきっかけもあったのたろうが、いつどこでそうなったのかもわからない。
しかし、山奥で原始的な生活を始めた時には、すでに爆弾製作は頭の中にあったと思われる。
ただ、頭が良い為、爆弾を製作することなど、カジンスキーにとっては容易かっただろう。
以前掲載した『オクラホマシティビル爆破事件』の犯人であるティモシー・マクベイが、処刑される前に刑務所内で、このカジンスキーに会った時のことを
「共通点を感じた」
と語っていた。
同じ爆弾魔として合通ずる部分があったのだろう。
確かに、殺人の中でも「毒殺」と「爆破」に関しては、同じ思考で犯している人物が多く、共通点を感じるのは無理もないかもしれない。
【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★☆☆
・残虐度 ★☆☆☆☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★☆☆☆☆☆☆☆☆
・特異性 ★★★★★★★★☆☆
・殺人数 3人 (負傷者29人)
《犯行期間:1978年5月~1995年4月》
セオドア・ジョン・カジンスキーは、1942年5月22日、シカゴ郊外のイリノイ州エバーグリーンパークで生まれる。
父親はソーセージ工場の労働者であった。
カジンスキーは幼少時は、テッドあるいはテディという愛称で呼ばれていた。
内向的な性格ではあるが、カジンスキーは両親には似ず、勉強好きで、幼少時から高い知能を誇っていた。
小学校5年ですでにIQが167もある異常なまでの天才で、周りから「神童」と呼ばれるほどであった。
幼少の頃、蕁麻疹性疾患で隔離入院を経験する。
しかし、頭脳は相変わらずで、学業はやはり天才的な優秀さで、地元でカジンスキーを知らぬ者はいないほどであった。
その為、わずか16歳という若さで飛び級でハーバード大学に進学する。
学生時代、学寮で生活していたカジンスキーだったが、寮生のほとんどが、カジンスキーと何の会話をしたか思い起こせないほど、影の薄い存在だった。
大学時代、カジンスキーはCIAの前身機関でスパイ養成を行っていた心理学者ヘンリー・マリー教授による行動心理実験の被験者となる。
この実験はかなり過酷だったようで、この時受けた心理的拷問体験や、隔離入院の経験が、後の犯行に影響した可能性は極めて高い。
20歳でハーバード大学を卒業すると、ミシガン大学大学院に進学し、数学の修士号と博士号を取得。
カジンスキーは数学者としての道を歩むようになる。
その後、25歳でカリフォルニア大学バークレー校の助教授に就任した。
カジンスキーに対する評価は高く、大学の教員であり続けることのみならず、教授以上への昇進も期待されたほどだったという。
しかし、1969年に大学を辞職して実家に戻り、2年後にはモンタナ州の郊外に自らの手で山小屋を作り、電気も水道も通っていない環境で自給自足の生活を始める。
カジンスキーは突如、原始的な生活を始めたのだが、その理由はよくわからない。
頭が良すぎる人間の考える事は理解できないということだろうか。
1978年5月下旬頃、ノースウェスタン大学の材料工学科教授に、小包爆弾を送りつけた。
これが最初の犯行であった。
1979年11月、カジンスキーはシカゴからワシントンDCへ向かうアメリカン航空444便の爆破テロを企図した。
これは未遂に終わったものの、12人の乗客が爆弾から噴き出た煙を吸い込んで病院に搬送される事態となった。
この事件がFBIが連邦犯罪として捜査を行う最初の事件となった。
そして、FBIはこの連続爆弾魔を『Una Bomber (ユナボマー) 』または『廃品置き場の爆弾魔』と呼んだ。
1985年10月、カリフォルニアのパソコン店経営者を爆殺し、ついに爆弾による初めての死者が出る。
1987年ソルトレークシティーで初めて目撃され、似顔絵が全米に周知されたが、1988年から1992年の4年の間、全く犯行を行わず、カジンスキーその間、爆弾製造技術を磨いていた。
1993年6月、カリフォルニア大学の遺伝学者とイェール大学の教授に爆弾を送りつけ、重傷は負ったものの、命に別状はなかった。
1994年10月、バーソン・マーステラ社の重役に爆弾を送り付け殺害。
1995年4月、木材業界のロビイスト団体代表に爆弾を送り付け殺害。
同年、犯行声明文 (産業社会とその未来) を全国紙に載せることを条件に犯行を中止する (この犯行声明文は後に「ユナボマー・マニフェスト」と呼ばれた)。
ニューヨークタイムズとワシントンポストが掲載し、全米の反響を呼んだ。
しかし、この行為が仇となり、論調や使用語句が自分の兄に似ていると感じたカジンスキーの実弟が、FBIに通報する。
カジンスキーは2000人を越える容疑者リストの1人となった。
そして、ハーバード卒業時の論文の論調と、犯行声明文が酷似していることで捜査が進められ、翌年、100人の捜査員、米軍兵士に包囲され、カジンスキーは逮捕された。
ちなみに、このカジンスキーの事件は、FBIによる捜査では史上最長となった。
裁判が開かれると、カジンスキーは精神鑑定も行われ妄想型統合失調症と診断された。
また弁護団を自ら解任し、自己弁護を行おうとしたこと (この点はIQ160を誇るロドニー・アルカラや、テッド・バンディと同じである) などで審理が進まないと判断した検察官は、仮釈放なしの終身刑とする司法取引を提案した。
そしてこの司法取引にカジンスキーが同意したためそのまま刑は確定となり、公判は1度も開かれなかった。
その為、カジンスキーの犯行動機は現在も本人が語らず不明である。
また、攻撃の標的をどのように定め狙ったかも多くは語られず不明のままである。
現在、カジンスキーはコロラド州にあるフローレンス刑務所で服役している。
∽ 総評 ∽
そもそもカジンスキーが爆弾にとり憑かれた理由がよくわからない。
爆弾に魅了されるきっかけもあったのたろうが、いつどこでそうなったのかもわからない。
しかし、山奥で原始的な生活を始めた時には、すでに爆弾製作は頭の中にあったと思われる。
ただ、頭が良い為、爆弾を製作することなど、カジンスキーにとっては容易かっただろう。
以前掲載した『オクラホマシティビル爆破事件』の犯人であるティモシー・マクベイが、処刑される前に刑務所内で、このカジンスキーに会った時のことを
「共通点を感じた」
と語っていた。
同じ爆弾魔として合通ずる部分があったのだろう。
確かに、殺人の中でも「毒殺」と「爆破」に関しては、同じ思考で犯している人物が多く、共通点を感じるのは無理もないかもしれない。
【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★☆☆
・残虐度 ★☆☆☆☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★☆☆☆☆☆☆☆☆
・特異性 ★★★★★★★★☆☆
・殺人数 3人 (負傷者29人)
《犯行期間:1978年5月~1995年4月》
コメント
コメント一覧 (9)
本件とは関係ありませんが、ネイザンゲールに射殺されたギタリスト、ダイムバックダレル氏が生前、ギターの音を変化させる新製品の商品のインタビューで「ユナボマーは、この商品のようなすごいものを作ろうと夢見ていたんだぜ!」という冗談を語ってました。
ユナボマーという人物の事は、中学生の時に雑誌でその記事を見て知りました。
そんなダレル氏も射殺されて、なんだか遠い因縁のようなものを感じます。
そんな発言をしていたのですね。
それだけで凄い興味が湧きます。
私は以前も言いましたが、殺人鬼が殺人鬼の事を語ったり発言する事にたいへん興味があるので (ギタリストであって殺人鬼ではないですが) 。
面白っかったよ管理人さん
なるほど、頭が良過ぎてそこまでも合理的に考えたということですね。
ありがとうございます。
爆弾に惹かれていた(執着)のは幼少の頃からで、好きな女の子に爆発物を送りつけるなど、自分の興味と他者の興味が異なることを理解していない行動があり、アスペルガー症候群様である。
また、研究者としてはともかく、教育者としては不評で学生から分かりにくい講義だと評されている。これも学生の立場に立って考えることが出来ないことから起こったことである。
知能は高かったらしいが、人間関係の構築に難があるため社会不信に陥り、爆発物への好奇心がテロという行為で発現しただけだと考えられる。
アスペルガー症候群ですか。
私は詳しく知りませんがその可能性があるのですね。
スポーツでもそうですが、天才的な才能の人って教えるの下手な人が多いように思えます。
相手を傷つける、怒らせることが天才的にうまいことがこの記事を見てると余計に掻き立てられて早く死ねと思っていました。
こいつの賢さは喧嘩を売ること、自己保身に全振りされているのがよくわかりました。
なんで長生きさせたんだ?