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ウェイン・ウィリアムズ (アメリカ)
【 1958 ~      】



ウェイン・バートラム・ウィリアムズは、1958年5月27日、アメリカ・ジョージア州で生まれた。

両親は教職員であり、ウィリアムズは比較的裕福な家で成長した。

また、ウィリアムズ両親は、ウィリアムズを生んだ時にはすでに40代だったという事もあり、待望の子供という事でウィリアムズは幼少の頃から甘やかされて育った。

ウィリアムズは幼少の頃から成績も良く、知能も高かった為、望遠鏡で天体観測をしたり、アマチュア無線などをしていた。

高校を卒業したウィリアムズは、警察に興味を持つようになり、それはパトカーを買ったりするほどであった。

ここまで何も問題もないように思えたウィリアムズだが、この頃からウィリアムズは周囲の人間が自分よりも劣っているように見え、自分の才能をもってすれば大成功するという誇大妄想を抱いていた。

そして、TVカメラマンになろうとしたり、ソウルバンドを結成したりするが、当然、成功する事はなかった。

また、ウィリアムズは自分意外の黒人を差別し、徹底的に嫌っていた。

黒人というのは、最近でこそそれほど差別がなくなってきたが、歴史的にはかなりの差別を受けていた時代があり、その為、黒人同士というのはかなりの結束力がある。

ウィリアムズのように黒人が黒人を嫌うというのは非常に珍しい。

周囲には

「愚かで汚いニガー」

と黒人を罵り、自分の足を引っ張っていると口にしていた。

しかし、ウィリアムズは同性愛者であり、その思考は完全に矛盾していた。

そんな中、ウィリアムズはついに凶行にでる。


1979年6月下旬、2人の黒人少年をさらい射殺。


同年9月4日、黒人少年を殺害。


同年10月21日、黒人少年を絞殺。


1980年3月4日、黒人少女を絞殺。


その後、3月5日から7月6日までの4ヶ月の間に、6人が殺害された。

これまで被害者が全て黒人だったことから、白人の人種差別主義者による犯行の可能性が噂された。

ただ、警察はその可能性は低いと考えていた。

何故なら、子供たちはみな黒人居住地区で連れ去られているからで、白人が立ち入れば目立ってしまう場所だったからである。

また、この手の連続殺人は同じ人種間で起こる傾向にある (もちろん以前掲載したヘイドニックのような事はあるが) 。

故に白人の犯行とは考えにくかったのだ。


そんな中、7月30日から11月10日の約3ヶ月の間に、更に6人が殺害される。


そして、翌年の1981年1月3日から3月12日の間に、再び6人が殺害された。

この頃には捜査費用は月額25万ドルにも膨れ上がっていた。

この総ざらい費用により、アトランタの財政は破産寸前になっていた。

そこで、当時の大統領である、ロナルド・レーガン大統領はこの事態を憂慮し、150万ドルの連邦助成金の拠出を決定。

しかし、捜査費用を増やしても、手掛かりは全く掴めず、そもそも単独犯なのか複数犯なのかさえ判らない状況であった。


1981年5月の時点で死者は26人にも達していた。


同年5月22日、チャタフーチー川に架かる橋を見張ってた警官が、川の水しぶきの音を聞き、その近くの車に乗るウィリアムズを確認する。

ただし、川に何かを遺棄しただけではウィリアムズを捕まえる事はできず、ウィリアムズは解放されるのだが、警官はウィリアムズをマークする。


それから2日後、川の下流で遺体が引き上げられた。

鑑識の結果、その遺体の衣服に付着していた犬の毛が、ウィリアムズの車や自宅から見つかったものと一致。

同じ毛は他の10人以上の被害者にも付着していた。

ウィリアムズの周辺を洗った警察は、数々の目撃証言を引き出した。

これによりウィリアムズは逮捕され、2件の殺人のみ問われ、裁判の結果、有罪判決を受け、終身刑2回を言い渡された。

このウィリアムズの連続殺人は、実は現在も冤罪の可能性が指摘されている。

本人が無罪を主張している事と、証拠が全て状況証拠だった為である。

しかし、ウィリアムズの逮捕後、誘拐事件、殺人事件が、ぱったりと途絶えたのは事実であった。

もちろん、ウィリアムズの逮捕により、真犯人が「しめた」と思い、犯行を止めたのかもしれない。

ただ、シリアルキラーにとって殺人は、喫煙者のタバコと一緒でそう簡単に止められるものではない。

なので、ウィリアムズが犯人というのが、妥当な線であろう。



∽ 総評 ∽

ウィリアムズは当時の黒人の中では、比較的裕福な家庭に生まれ、甘えられて育った。

しかし、その程度の事でシリアルキラーになるとは到底考えられない。

ただ、ウィリアムズは黒人嫌いにも関わらず、黒人の同性愛者という屈折した性癖が、その素質を十分感じさせる。

本人は無実を主張しているようだが、確かに状況証拠しかなく、決定的な証拠に乏しい。

ただ、ウィリアムズの性癖や言動、行動諸々は怪しさしかない。

「火のないところに煙はたたぬ」

という言葉がある通り、ウィリアムズがもし、仮に冤罪だったとするならば、日頃の行いをもっとまともにするべきだったのである。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★☆☆
・残虐度 ★★★★★★☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★★☆☆
・特異性 ★★★★★★★☆☆☆
・殺人数 26人

《犯行期間:1979年6月~1981年5月22日》