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ブレンダ・スペンサー (アメリカ)
【1963~ 】



ブレンダ・アン・スペンサーは、1963年4月3日、アメリカ・カリフォルニア州サンディエゴで生まれた。

ブレンダの祖父は、カリフォルニア州チュラ・ビスタ市の市長を努めた程の人物で、父親もサンディエゴ州立大学の学長という文句のつけどころのない名門の家庭に生まれたブレンダは、何不自由なく育てられた。


しかし、そんな良家に生まれたブレンダだったが、幼少の頃から何故か銃器や軍、戦争に異常な興味を示し、中でも特殊部隊の活躍を描くTVドラマ『SWAT』の大ファンであった。

愛娘が非常に可愛い父親は、ブレンダにねだられクリスマス・プレゼントに22口径ライフルを買い与えた。

そして、このライフルを与えた事がブレンダの精神を更に狂気に導いていく事となる。

ブレンダはそのライフルで射撃場に足しげく通い、射撃の練習に精を出した。

ブレンダの射撃の腕前はどんどん上がり、ブレンダ自身もますます銃器に愛情を抱いていく。


15歳になったブレンダは、ライフルを撃つと快感を覚えるようになっていた。


1979年1月21日、月曜日の朝、ブレンダは愛するライフルに弾丸を込め、予備の弾丸も用意して、地元サンディエゴのクリーブランド小学校に向かった。

ブレンダは小学校の向かいの家の庭に身を潜め、スクールバスなどで登校してくる小学生に向かってライフルを発射した。

銃撃は20分間続き、小学校の校門前は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。

この銃撃で校長と守衛の2人が死亡し、8人の小学生が重傷を負った。

語弊があるかもしれないが、それなりの銃の腕前があったブレンダにしては少々犠牲者が少ないように感じるが、対象が小学生ということで比較的まとが小さかった事と、室内というような閉鎖された空間ではなかったことが犠牲者が少なかった理由だと思われる。

通報が入り警官が到着すると、警官とブレンダとの間で銃撃戦となる。

この段階では警官達もこの惨劇を起こしたライフル魔が『15歳の少女』だとは夢にも思っていなかった。

激しい銃撃戦の末、更に警官1名が負傷するもブレンダの逮捕に成功する。

捕まえた犯人が15歳の少女だと知った警官隊全員が驚愕し、関係者一同を唖然とさせた。


逮捕されたブレンダに、警察は色々と尋問した。
「一体誰を狙ったんだ?」
と聞くと、ブレンダは

「赤や青のジャケットを着ている子」

と答えた。
「なんでこんなことをしたんだ?」
と問い詰めると、ブレンダは

「理由なんてないわ。ただ退屈だっただけ。月曜日が嫌いだから」

と答え、また、

「理由なんかなかったわ。ただ面白かっただけ」

「池でカモ猟をしているみたい」

「子供たちは牛の群れみたいで、簡単に狙えたわ」

などと笑って答え、世間を騒然とさせた。


裁判でブレンダは2件の殺人とその他の罪で有罪となり、懲役25年以上の終身刑が言い渡された。


その後、ブレンダは4度の仮釈放の申請資格を得たが、いずれも却下された。

最も最近の仮釈放申請資格を得たのが2009年で、次回の仮釈放申請の資格を得るのは2019年になる見通しである。


2005年、ブレンダは事件当時は酒に酔い、PCPを飲んでいて正気でなかったと主張し、また、州と検事が共謀して薬物検査の結果を隠蔽したとも主張した。



∽ 総評 ∽

「月曜日が嫌いだから」という理由で学校の校門前で銃を乱射したブレンダ。

銃乱射事件自体、アメリカでは日常茶飯事であり珍しくはないが、女性のしかも15歳の少女というのは特に珍しい。

ブレンダは子供の頃から特殊部隊のドラマに興味を持ち、銃器に異様に固執した。

男の子であれば多少理解できる話しではあるが、女の子でそれらに興味を持つのは非常に珍しい。

ただ、いくら可愛いと言えど、ねだられたからと言って銃を買い与える親もどうかと思う。

銃社会アメリカならではと言えばそれまでだが、日本人からすれば到底理解できない。

ブレンダは当初、射撃場で的を撃っていたが、人間というのは欲深い生き物であり、止まっている標的では物足りず、動いている物を撃ちたいと思うのは、銃に心酔しているブレンダならずとも当然の心理であろう (だからといって小動物ではなく、すぐに人間を撃ちたいというのはかなり異常だ) 。

ブレンダのような衝動的に殺人を犯す者をスプリー・キラー (スプリーとは「お祭り騒ぎ」という意味で、短時間に大量殺人を犯す人物を指す) と言うが、そのほとんどが男性であり、ブレンダのような女性がこういう凶行に走るのは極めて珍しい。

また、連続殺人犯にみられる幼少時の家庭環境崩壊ということはないので、何でも与えられ、何不自由なく育った故の『退屈』からきた凶行と考えるのが妥当であろう (ただし、後のブレンダは、子供の頃父親に性的虐待を受けていたと主張しているが、捕まった当初は主張していない) 。

また、ブレンダが射撃場によく行っていたが、ただで入れるわけはないので、入場料はもちろん父親が払っていたのだろう。

いくら可愛い娘だからといってここまでくると、さすがに父親の責任問題になってもおかしくない。

『アメリカン・バイオレンス』という映画があるのだが、その映画は犯罪大国アメリカの実情を描いたドキュメンタリー映画で、数々の理不尽な事件が取り上げられている。

その中で紹介されている数々の名だたる殺人鬼の中にブレンダも入っており、それほどブレンダの事件はアメリカにとっても衝撃だったといえる。

余談ではあるが、1979年7月に、ニューウェイヴバンドのブームタウン・ラッツがこの事件をもとに『I Don't Like Mondays』という曲を書き、世間の顰蹙を買いながらも世界中でヒットさせている。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★★☆
・残虐度 ★★☆☆☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★★☆☆
・特異性 ★★★★★★★★★☆
・殺人数 2人
(重傷者9人)
《犯行期間:1979年1月21日》