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パトリック・マッケイ (イギリス)
【1952 ~     】



パトリック・デイヴィッド・マッケイは、1952年9月25日、イギリス・ミドルセックスで生まれた。

マッケイの父親は酒乱で、常に家庭内暴力を振るった。

その暴力はマッケイの母親がマッケイを身籠っている時から始まっており、マッケイが生まれた後も変わらず母親とマッケイを虐待した。


マッケイが10歳の時、暴力を振るい続けた父親が死亡し、家庭環境が落ち着くと思いきや、今度はマッケイが凶暴さを発揮する。

手始めに学校での弱い者いじめと動物虐待を始めた。

兎や猫を蹴り殺し、亀を火炙りにしたり、小鳥を殺して死骸を持ち歩いたりしていた。


マッケイは13歳になると窃盗の常習犯となり、母親や妹にも暴力を振るうようになる。

そして、教会に放火するなど、その凶暴さが日に日に増していき、次第にマッケイは手のつけられない状態になっていく。

そして教会の放火により、逮捕されたマッケイは施設送りとなった。

そして、この施設内でヒトラーに心酔し、自作の軍服を着て自身を『フランクリン・ボルヴォルト1世』と称し、自分をヒトラーに匹敵する世界を変革する英雄だと豪語し始める。


マッケイ15歳の時、母親や近所の少年の首を絞めようとして、精神病院に入れられる。

この時、マッケイに下された診断は『冷血な精神異常の殺人者』だった。

担当医達は、マッケイの退院に反対したが、その願いは受け入れられず、退院してしまう。

以来、マッケイは父親同様酒とドラッグに溺れ、フランケンシュタインのプラモデルを作っては手足を切断して壊すという事を繰り返した。

また、心酔するナチスに憧れ、ナチスの軍服に似た制服を着たり、ナルシストであったマッケイは、自分の写真を家の壁中に貼った。


そして、1973年7月からついにマッケイは殺人を始める。


マッケイは手始めに何の理由もなくホームレスを橋から突き落として溺死させた。


次にマッケイはハイジ・ニルク (17歳) という名の少女を走行している列車から突き落として殺害する。


また、マッケイはイザベラ・グリフィス (84歳♀) を絞め殺した後、ナイフで死体を滅多刺しに切り裂いた。


マッケイはステファニー・ブリットン (74歳♀) をナイフで刺殺すると、一緒にその場にいた孫のクリストファー・マーティン (♂) も刺し殺した。


その後、タバコ屋を襲ったマッケイは、フランク・グッドマン (♂) をこん棒で殴り叩き、撲殺した。


マッケイはカフェを経営する女社長アイビー・デイヴィス (54歳) を襲撃し、斧で襲いバラバラに斬殺した。


また、マッケイは小銭を奪う為だけにセアラ・ロッドウェル (92歳♀) を襲い、こん棒で殴り叩き、撲殺した。


その後、マッケイの事を心配したアンソニー・クイン (61歳) という神父が、マッケイを更生させる為に尽力した。

だが、その好意を鬱陶しく感じたマッケイは、クイン神父の家に侵入すると、斧で殴りかかり湯水の張ったバスタブに神父を沈めた。

そして、ナイフで喉を切り裂き、抵抗する神父に最後は斧で神父の頭を叩き割って殺害した。


だが、クイン神父殺害から2日後、マッケイは逮捕される。

神父とマッケイを知る人物に通報されたのだった。

結局、マッケイによる被害者はわかっている者で11人に及んだ。


5件の殺人で起訴されたマッケイは、3件で有罪となり、終身刑を宣告され、現在も服役中である (イギリスには死刑制度がない。死刑制度があるとEUに加盟できない) 。



《殺人数》
11人

《犯行期間》
1973年7月~1975年5月



∽ 総評 ∽

老婆を中心に無惨に11人殺害したマッケイ。

マッケイは主に抵抗されない子供や老人といった弱者を狙うという陰湿さであった。

また、マッケイは撲殺・絞殺・刺殺・斬殺と、殺害方法にこだわりをみせず、これほど多種に渡るというのは非常に珍しい。

また、子供・老人というのはほぼ共通しているものの、性別にはこだわりがなく、これほど殺人にこだわりがないシリアルキラーも珍しい。

マッケイの家庭は完全に破綻しており、まともに育てという方が無理がある。

また、マッケイは胎児の時に外部から衝撃を受けていた可能性が高く、もしそうであったならマッケイにも同情の余地は少しはあるだろう。

マッケイは男性の連続殺人犯には珍しく、殺害に性的な動機が一切見られず、強姦事件を1つも犯していない。

これだけの殺人を行って1つもないというのは、シリアルキラーとしては極めて珍しい。

純粋に殺人だけを楽しんでいる節があり、『ナチュラル・ボーン・キラー』という言葉がぴったりの人物であると言える。