_20220821_214426
スティーブン・マクホーン (アメリカ)
【 1970 ~ 2005 】



アメリカ空軍大尉のウェスリー・アダムスとその妻ウェンディは、アメリカ・ノースカロライナ州サリー郡にあるウェスリーの両親ウェスリー・ダルトン・アダムス (51歳) とミルドレッド・ジョンソン・アダムス (53歳) の家を訪れた。

家にはミルドレッドの息子スティーブン・ヴァン・マクホーン (1970年3月23日生) もいたが (ダルトンは継父) 、窃盗の前科で保護観察中であった。


1990年6月3日深夜、ウェスリーが妻ウェンディと2歳の子供と寝る準備をしていると、マクホーンがダルトンとミルドレッドとお金について激しく言い争っているのを聞く。

すると、ミルドレッドがウェスリー夫妻の部屋に入り、家にある拳銃を動かしたかどうか尋ねた。

夫妻が動かしていないと答えると、ミルドレッドは部屋を出て行った。

しばらくしてウェスリーが服を着る前に3発の銃声を聞いた。

ウェスリーが911に連絡しようとした時、振り返るとダルトンとマクホーンが揉み合っているのを目撃する。

マクホーンの手には銃が握られていた。

ウェスリーは慌てて電話を切り、マクホーンから銃を奪い2人の間に入ると落ち着かせた。

ウェスリーは電話をかけ直すが、再びダルトンとマクホーンが争い始め、2人は廊下を進みウェスリーの視界から離れた。

約1分後、ダルトンがキッチンに現れ、
「お前の母さん (ミルドレッド) が倒れている。母さんの為に助けを呼んでくれ!彼女がどれほど傷ついているかわからない」
と言った。

すると、マクホーンが散弾銃を持って現れ、マクホーンが銃を構えた。

すぐにウェスリーも銃に手を伸ばすが、マクホーンがダルトンに向かって発砲した。

銃弾はダルトンの胸に命中し、その勢いでウェスリーも体を投げ出され床に倒れ、この時の衝撃で足を怪我した。

その後、マクホーンはウェスリーに銃口を向けた。

ウェスリーは起き上がりマクホーンから銃を奪うと、動かないよう銃口を向けた。

するとマクホーンは

「ああ神様。何て事をしてしまったんだ」

と言って泣き始めた。

そして、数分後にはウェスリーに

「俺を撃てよ。早く終わらせてくれ。俺を殺さないと刑務所から出たらお前を殺して家族も殺してやる」

と言った。

警察が現場に到着すると、ダルトンはすでに死亡しており、ミルドレッドは頭に銃弾を浴びたもののまだかろうじて生きていたが、後に死亡した。

マクホーンは呼気からアルコールの臭いがしたが、自分の行動が認識出来ない程ではなかった。


1991年3月7日、マクホーンには死刑が言い渡された。

マクホーンは判決を不服として控訴するが、弁護士は犯行時、マクホーンがアルコールや薬物の影響下にあり、正常な精神状態でなかったと主張した。


2005年11月9日、マクホーンの死刑執行が2日後に迫る中、サリー郡判事が事件時の救急隊員の証言を聞くことに同意し、死刑執行が停止される。


しかし、翌日の10日、ノースカロライナ州最高裁判所がサリー郡判事の判決を理由なく覆した。

同日、マイク・イーズリー知事がマクホーンの恩赦を拒否し、連邦最高裁判所への上告も却下された。


同年11月11日午前2時頃、マクホーンの死刑が執行された。

享年35歳。

マクホーンの最後の食事は、ミディアムレアのポーターハウスステーキ、ステーキフライ、チョコレートチーズケーキ、20オンス (約6㍑) のマウンテンデューであった。

また、最後の言葉は残さなかったが、事件の際に争った異母兄ウェスリーに

「本当にすまなかった」

と述べている。

マクホーンの死刑執行は、2005年、アメリカ全体の50番目であり、1976年に死刑が復活して以降では994番目であった。

また、ノースカロライナ州としては2005年の3番目であり、死刑が復活以降では37番目であった。


     _20220821_214708
                                 アダムス夫妻


《殺人数》
2人

《犯行期間》
1990年6月3日



∽ 総評 ∽

マクホーンの犯行動機は、お金について口論となった事とされているが、お金の何について両親と口論となったのかわからない。

ただ、窃盗の前科で保護観察中であった為、おそらくお金の無心をして断られたといったくだらない理由であろう。

マクホーンは異母兄のウェスリーに「殺さないと刑務所から出たら殺しに行く」とイキっていたが、死刑になり処刑されそんな事も出来なくなってしまった。

そして、最後は謝罪するという難とも情けない結末であり、憐れとしか言い様がない。