デニー・テイラー (アメリカ)
【 1945 ~ 2006 】
2006年2月10日早朝、アメリカ・フロリダ州ナッソー郡で、デニー・オデル・テイラーは家庭内暴力と規制薬物所持の罪で逮捕された。
デニーは妻フランシス・スティーブンス・テイラーの処方薬の一部を娯楽目的で使用した事でフランシスに詰め寄られ、2度殴ったのだった。
同年2月22日、ナッソー郡の裁判官はデニがフランシスに連絡したり近づいたりする事を禁じる接近禁止保護命令を出した。
また、フランシスが引っ越したジャクソンビルの家に近づく事や銃器や弾薬を所持する事も禁止した。
同年4月24日、サラ・ロジャース (同居するフランシスの義理の姉) が何者かに車のタイヤ3本をパンクさせられたとジャクソンビル保安官事務所に通報した。
そして、この頃、デニーとフランシスは正式に離婚し、38年に及ぶ結婚生活に終止符が打たれた。
同年5月3日午前10時26分、フランシス (55歳) 、ロイ (66歳) とサラのロジャース夫妻は、バプティスト医療センターの駐車場でデニーと口論となった。
すると、デニーは3人に向かって銃撃を行った。
この発砲でフランシスとロイが死亡 (フランシスは病院に運ばれた後に死亡した) 、サラが負傷した。
デニーは車で逃走するが、赤信号を強引に通過する際に他の車と衝突する。
デニーは時速約70マイル (約110km) で走行し、運転席のドアを開けたままトヨタ車の後部座席にぶつかった。
その後、デニーは娘の勤務先の小学校の前に車を止め、そこで自らの頭を撃って自殺した。
自殺したデニーだったが、糖尿病を患っており、最近脳卒中となった。
ビジネスマンとして働いていたがすでに引退しており、一時はダンプカー会社などを経営していた。
犯行前、デニーは孤独に見えたが、誰かを傷つけるような様子はなく、また、孫を非常に可愛がっていたという。
《殺人数》
2人 (他1人負傷)
《犯行期間》
2006年5月3日
∽ 総評 ∽
人間、特に男性は年齢と共に柔軟性が欠落し、頑固で意地っ張りになり易い。
デニーは家族に暴力を振るい、その事で38年という結婚生活が終わったが、それを受け入れる事が出来なかったのだろう。
自業自得であるのだが、すでに病に冒されていたデニーは何も失うものも怖いものもなく、最終手段に出てしまった。
最後、娘の勤務先の学校にわざわざ向かい、デニーはそこで自殺した。
どういう意図があったのだろうか、何にせよ最後自殺してくれたのは良かった事であるが。
コメント
コメント一覧 (8)
それが理由で離婚されるのは自業自得。
同情の余地は全くなし。
自殺したのはよかったけど、せめてもうちょっときれいな、迷惑かけない方法で死んでくれよと思いました。(無益な殺生はするなという意味)
そうですね。
子供もたまったものではないですね。
その可能性はありますね。
仰る通り病気や障害なんて犯罪とは関係ないんですけどね。
糖尿病のストレス、脳卒中による高次脳機能障害が重なり、感情の制御が難しかったのでしょう。
また、高齢離婚の場合、女性は亭主から解放されて第二の人生を謳歌出来るけど、
特に昔の男性は家事が出来ない人が多い為、一気に老けますからね。
これまで積み重ねてきた努力が、水泡に戻る時ほど、辛い状況はありませんよ。
以前、熟年離婚が話題となりましたが、定年を迎えて離婚されたりすると男はもうダメですね。
それまでちゃんとしてなかった自業自得とはいえ、家族の為に仕事をして給料をもらってきたのだから急に離婚されたりするのはちょっと辛いですね。
岸田首相は全然ダメですね。
菅元首相も酷かったですが、もっと酷いですね。
3年もったらむしろ凄いかもしれません。