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マルギット・フィーロー (ハンガリー)
【 1915 ~ ? 】



マルギット・フィーローは、1915年、ハンガリー (当時はオーストリア=ハンガリー帝国) ・マコーのマッティラ通りで生まれた。

フィーローの家は貧しく、その為、幼い頃から働かなければならなかった。


1938年、フィーローは統合失調症の為に閉鎖された精神病院に収容され、退院後はマコーにあるフェレンツ・ナギーの養鶏場で働く事となった。


1949年、養鶏場の労働条件を巡って雇い主と争い、最終的に1万4000シンガポールドル (約100万円) の支払いを求めて訴えを起こした。

訴えにより手にしたお金でフィーローはセゲド・ロクス地区にあるヘトヴェゼール通り38番地に集合住宅を購入し、自身は階下に住み入居者には上階に住まわせた。

フィーローは若い頃は主に女性と交際したが、1950年、元退役軍人で煙突掃除人のミハーイ・バルナと結婚した。


1952年、フィーローは一時的に精神病院に収容されるが、退院後、夫と共にデブレツェンに家を購入した。

フィーローは比較的裕福な生活を送っていたが、自身は汚れた服を着ていた。

その後、8年間は安定した結婚生活を送っていたが、次第にバルナが介護が必要な程体調が悪化していった。

結果、バルナの母親が夫婦の家に引っ越し、フィーローはラヨシュネ・ビッツォ (73歳♀) を家事手伝いとして雇い夫の介護をさせた。

しかし、1950年代後半、バルナと母親が相次いで死亡する (殺害された事を証明する決定的な証拠は見つからなかった) 。

夫が亡くなった翌年、フィーローは市場で裕福な農夫サンドル・ヴァルガ (62歳♂) と出会い交際を始める。

ヴァルガはキッソンボルに良質な家と土地を持っており、フィーローとビッツォはすぐにそこに住み始めた。


1958年10月、フィーローはコップに入れた水に溶かした薬をビッツォに飲ませ、意識を失わせる。

そして、意識を失ったビッツォの口と鼻に手を当て窒息させた。

解剖の結果、ビッツォの死因は殺人であると判明し、フィーローは逮捕されるが、決定的な証拠がなかった為、釈放された。

その後、遺言によりビッツォの財産はフィーローに譲渡された。


1959年秋、フィーローはヴァルガと正式に結婚し、ヴァルガはフィーローを唯一の相続人に指名した。

結婚から2ヶ月後のクリスマス、フィーローは町外れで採取したトゲのあるリンゴの葉から毒を抽出し、夫の為に用意したキャベツに入れた。

ヴァルガと他の家族2人がこの毒により激しく体調を悪化させるが死ななかった為、2日後にスープに毒を入れてヴァルガに飲ませた。

ヴァルガは倒れ死亡し、フィーローは遺言通りヴァルガの財産を譲り受けると全ての財産を売却してロークスに戻った。


1963年、フィーローは病弱な隣人、イロナ・シーゲル (75歳♀) に金銭的な契約を持ち掛けシーゲルはそれに同意する。

2週間後、フィーローはシーゲルに薬を飲ませ、意識を失っている間に枕や掛け布団で首を絞めて殺害した。

ただ、シーゲルの遺体を検死するが不審な点がないと判断された為、フィーローは契約通りシーゲルの財産である2万フォリントを手にした。


1968年、フィーローは何人かの住人をアパートから追い出したが、その内の1人、ミハーイ・トトパル (77歳♂) は退去を拒否する。


同年7月9日、フィーローはトトパルに毒を飲ませ殴り、首を絞めて殺害した。

しかし、この殺人はこれまでと違い強引なものであり、警察は直ちにフィーローを殺人事件の容疑者としてその日の内に逮捕した。

フィーローの家を捜索すると、警察はいくつかの人間の頭蓋骨と数キログラムの毒物を発見した。

それらについてフィーローは質問されると、頭蓋骨は地元の墓場から盗んだもので、毒物は知人の恋を成就させる為の呪文やポーションだと主張した。

 しかし、フィーローが過去に殺人を犯していると感じた警察はシーゲル、ヴァルガ、バルナの遺体を掘り起こし遺体を検死すると、シーゲルとヴァルガが毒殺である事が判明する。

また、1958年に作成されたビッツォの遺書が偽造されたものである事がわかった。

殺人について問われると、フィーローは彼らの死によりハンガリー政府が彼らの年金を支払う必要がなくなり国にとって利益になると述べた。

裁判所は過去に2度、フィーローが精神病院に収容されていた事を考慮し、精神科の再検査を受けるよう命じた。

フィーローは責任を否定し「全部で9人の夫がいた」や「医者がパンとトマトをくれれば告白する」等と主張し始めた。

これによりフィーローは統合失調症と解離性同一性障害と診断され、裁判を受ける事ができなくなった。

フィーローは何年に死亡したが不明だが、リポトメゼイ精神病院で亡くなっている。



《殺人数》
6人

《犯行期間》
1957年?~1968年7月9日



∽ 総評 ∽

『The Rokus Black Widow (ロークスの黒い未亡人) 』と呼ばれ、金銭目的に次々と殺害していったフィーロー。

女性の殺人のほとんどが「お金」か「怨恨」であり、この2つが動機の大部分を占める。

フィーローは典型的な金銭を目的としたものであり、しかも、狡猾で残忍、陰湿で執拗であった。

また、殺人に至るハードルも低く、最も恐ろしい女性殺人鬼といえる。

フィーローは次々と高齢の男性をたらし込み、相続人にさせて殺害した。

フィーロー自身も40を超えており決して若くなく、どこに男性を虜にする魅力があったのだろうか。

ただ、木嶋佳苗や上田美由紀がそうだったように決して見た目が魅力的ではなくても男性は惹き付けられる事があり、フィーローもそうだったのかもしれない。

フィーローは最後病院で死亡したのはわかっているが何歳で死んだのかわかっていない。

精神異常で裁判で裁かれず、結局は天寿を全うしているこの現実に被害者は一体何を思うのだろうか。