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ピーター・コヴァーチ (ハンガリー)
【 1934 ~ 1968 】



ピーター・コヴァーチは、1934年1月11日、ハンガリー (当時はハンガリー王国) ・ソルノクで生まれた。

コヴァーチはマルトゥフ周辺でトラック運転手として働くごく普通の男性であった。

仕事柄、地域の地形に精通しており、雇用主からもその仕事振りを評価されていた。


1957年7月22日、コヴァーチは地元の映画館でアルゼンチン映画を見に行った。

すると、男性が女性に対して暴力を振るうシーンを目撃する。

それを見たコヴァーチは非常に興奮し、現実の女性に対して暴力を振るいたいと思うようになり行動に移すようになる。

コヴァーチは「Tisza Cipo (靴工場) 」に行くと、仕事を終え家に向かっている女性を目撃する。

コヴァーチは女性を追いかけ、暗闇の中で鉄片で女性の頭を殴り、強姦し首を絞めて窒息させた。

殺害後、遺体を排水溝に捨て、体を隠して家に帰った。

翌日、女性の遺体が労働者によって発見され、警察は迅速に捜査を始めた (殺人現場に大勢いた群衆の中にコヴァーチはいた) 。

警察は職場の人間関係に注目し、同僚のヤーノシュ・キルヤクと女性が不仲であった事を知る。

捜査官はキルヤクに尋問を行うが、キルヤクの発言は矛盾していた。

キルヤクが母親が述べたアリバイと違う事を述べた。

捜査官はキルヤクが女性が帰るのを待ち伏せし、デートするよう頼んだが女性が拒否した為、殺害したと考えた。

捜査官はキルヤクに自白するよう圧力をかけるが、それを知ったマルトゥフの住民は怒りを露にした。

捜査官の厳しい尋問に耐えられなくなったキルヤクは殺人を認め署名した。

キルヤクはソルノク郡裁判所で死刑判決を受けた。

しかし、ハンガリー最高裁判所によって終身刑に変更された。

キルヤクが逮捕された事でコヴァーチは容疑にかかる事もなく、後に結婚し家族の為に家を建てた。


1963年11月13日夜、コヴァーチはホモク村の女性を襲い、ハンマーで殴り服を引きちぎった。

しかし、コヴァーチは女性を殺さず (理由は不明) 、女性は発見され懸命の治療の末一命を取り留めた。


1964年3月21日、コヴァーチは1人の通行人を襲うが、通行人は何とか逃げる事が出来た。


同年5月4日、ナジレブ近くで女性の死体が発見される。

死体は状態が非常に悪く、約1ヶ月は水中にいたと推測された。

ただ、暴行された形跡はなく、死因は溺死であった。


1965年4月、ティサ川で10代の少女の死体が発見される。

死体には犯罪の兆候が見られなかった為、自殺と結論付けられたが、警察はナジレブで見つかった女性といくつか同様のパターンが見つかった為、地域を徘徊する連続殺人犯がいる可能性がある事に気付いた。

警察は同年4月から5月の間にコヴァーチを含む地域周辺40人の男性を徹底的に調査した。

しかし、コヴァーチは家族と仕事のバックグラウンドが確立されていた為、加害者リストラから外されてしまう。

そして、何の結果もなく調査は終了してしまう。


1967年6月20日、クールーシュ川付近で女性の死体が発見される。

女性は死ぬ前に拷問を受け、近くのクールーシュ橋で血液と組織の一部が見つかった。

これは死体を橋から川に投げ捨てた事を示唆していた。

捜査官は近くの川で見つかった若い女性の死体と地元の女性の殺害との関係を再検討した。

すると、被害者の頭蓋骨の損傷により女性を殺害した犯人と、川の橋の近くで死体を処分した犯人の身元が一致する。

警察は犠牲者の爪の隙間から小さなガラス片を見つけた。

そして、コヴァーチが遺体が発見される前日の1日間、行方がわからない事が判明する。

捜査官はコヴァーチが個人的な理由で作業用トラックを使用していた事がわかった。

捜査官はコヴァーチの妻から夫のアリバイを聞くが全く信用せず、更に調査を進める。


同年6月19日、コヴァーチが運転する会社のトラックを調べると、運転席にガラスの破片が見つかり、靴工場の閉鎖チェーンに接触すると誤って近くのオートバイを絡め、トラックのフランスガラスを壊していた事がわかった。

同じ破片がコヴァーチの衣服からも検出された。

その後、より多くの目撃者がパブでコヴァーチと犠牲者を見たと証言した。


同年8月11日、コヴァーチは逮捕された。

コヴァーチは女性と性行為に及んだ事は認めたものの、殺人は否定した。

また、行為は同意のもとであると主張した。

しかし、2日後の13日、コヴァーチは殺人を認め、8月末までにティサ川周辺で数人の女性を殺害した事を告白した。

ただ、警察はコヴァーチによる犠牲者は期間の長さを考え10人以上に及ぶと考えていた。

コヴァーチは4件の殺人と2件の殺人未遂で有罪判決となり、死刑が言い渡された。

その後、恩赦について大統領評議会にかけられるが拒否される。


同年12月1日、絞首刑による死刑が執行された。

享年34歳。

尚、キルヤクは冤罪である事がわかった後、11年の刑務所生活の末、釈放されている。



《殺人数》
4人 (他2人被害)

《犯行期間》
1957年7月22日~1967年6月20日



∽ 総評 ∽

『The Martfu Monster (マルトゥフの怪物) 』と呼ばれ、少なくとも4人の女性を強姦して殺害したコヴァーチ。

コヴァーチは当初は仕事も家庭もあるしっかりとした人間であったが、映画に触発され犯行に及んだ。

おそらく元々眠っていた異常性が暴力映画によって覚醒したのだろう。

ただ、当然だが映画がダメなわけではない。

ほとんどというか99%の人間がその映画を観たからといって殺人を犯す事はない。

たまたま異常者が観てしまい興奮したという事に過ぎない。

逮捕されたキルヤクは、一旦死刑判決が下されるが終身刑となりその後、冤罪となり釈放された。

仮に死刑がそのまま執行されていたら取り返しのつかない事になっていた。

こういう場合に限り減刑というのは悪くない事だと思える。

ただ、勘違いしてはいけないのは、死刑があるから冤罪が生まれるのではない。

冤罪で死刑が執行されてしまうのは結果であって、そもそも冤罪にしなければ起こる事ではない。

冤罪が生まれるのは今回のキルヤクのように警察の怠慢で強引な捜査のせいであり、まともに捜査していれば起こる事はない。

そこを勘違いしてはいけない。