ドミニク・オッチコーン (アメリカ)
【 1945 ~ 】
1986年6月10日早朝、ドミニク・アンソニー・オッチコーン (1945年8月29日生) は、アメリカ・フロリダ州パスコ郡にある元ガールフレンドのアニタ・ジェレティの家を訪れる。
オッチコーンは寝室のガラスの引き戸をノックする。
すると、眠っていたジェレティは目を覚ました。
家にはジェレティの他に娘、ジェレティの両親レイモンドとマーサのアルツネル夫妻がいた。
オッチコーンはジェレティに話し合いをしようと懇願するが、ジェレティは拒否する。
断られたオッチコーンは家を去って行った為、ジェレティは諦めたと思った。
しかし、1時間後、オッチコーンは銃を持って再び現れる。
オッチコーンは電話線を切断して外部との連絡を絶つと、レイモンドが起きて外に出た所オッチコーンと対峙した。
しかし、すかさずオッチコーンはレイモンドを撃って射殺する。
ジェレティは娘と家から逃げようとしている間にオッチコーンは鍵のかかったドアから家の中に侵入した。
オッチコーンは家に入ると、マーサを4回撃って射殺した。
ジェレティと娘は逃げる事に成功し、警察に通報するとオッチコーンは逮捕された。
同年7月15日、オッチコーンは起訴された。
1987年11月9日、オッチコーンはレイモンド殺害では終身刑であったが、マーサ殺害で死刑が言い渡された。
同年11月25日、オッチコーンはフロリダ州最高裁判所に直接控訴した。
1990年10月11日、フロリダ州最高裁判所は死刑判決を支持した。
1991年3月22日、オッチコーンはフロリダ州最高裁判所に裁量上訴の申し立てを提出するが却下された。
その後、オッチコーンは何度も申し立てや請願を申請するがその都度却下されている。
《殺人数》
2人
《犯行期間》
1986年6月10日
∽ 総評 ∽
詳細がないのでわからないが、おそらくオッチコーンは別れが納得いかず家に向かったのだろう。
話をしたいと願ったオッチコーンはジェレティに拒絶された事で怒りが頂点に達し犯行に及んだのだろう。
別れた理由はおそらくオッチコーンの異常振りにジェレティが気付いたのだと思うが、こんな鬼畜と交際してしまったが為に両親が殺される事になった。
オッチコーンを選んでしまったといえばそれまでだが、付き合うまでは善人を装う人間も多くいる。
後は処刑を待つだけだが、30年以上も執行されていない事を考えればこのまま病死する可能性が極めて高い。
コメント
コメント一覧 (13)
というより、十年以上も飼い続けるのはいかがかと。
光市のクソゴミはすでに15年以上、オウム事件のクソたちなんて十年以上も飼い続けていた計算になります。
老齢クソゴミの1匹だったキム・ヒロなんて20年以上買い続けて結局逃がしてるんだぞ。
今日の鬼畜も十年以上も生かしておく余裕も必要性もないぞ。
処刑が決まってるのならせめて9年をめどに処刑してくれ。
死刑判決から10年以上執行しないのはおかしいですよ。
そんなの死刑ではなくただの懲役刑です。
死刑の意味をよく考えて欲しいですね。
まだまだ甘いような気もしますが、日本なら下手すりゃ無罪か不起訴ですからね。
日本って母性のない女性は女性として失格みたいな風潮がありますが、世間の非難の割には刑罰が軽いですね。
海外なら妻・母親よりも一個人として女性を見ると思いますが、その分公平に裁きます。
9年ですか、それはまた軽いですね。
ただ仰る通り日本ならもっと軽い可能性が高いですね。
日本は「子供は親の所有物」という考えが強いので刑罰が軽くなるのだと思います。
往生際悪く何度も量刑不服の申し立てをしてますが量刑は当たり前ですが正当ですねただ司法が血迷って減刑する可能性がないとも言えないですしさっさと処刑しとくべきですね正直クズにはもったいないくらい十分長生きしてると思いますし。
ありがちですね。
容易に諦めるなら別れるような男じゃないですよ。
これだけ年月が経過すると仰る通り減刑される可能性が出てきますね。
彼女そんな事ありましたね。
私も何でそこまで惹かれるのか全くわからないですね。
彼女がトップになったらとんでもない事になりますよ。
まあ彼女以外の立候補もとんでもないですが。
その日に自殺しました
掲載してほしいです。
今度調べてみます。
もしかして死刑廃止に向かってるのでしょうか
その可能性も否定出来ないですね。
ただジョージア州は近年執行は数人程度ありますが、死刑判決は極端に減っているので別の理由かもしれませんね。