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ヴァルメ・ベック (オーストラリア)
【 1944 ~ 2008 】



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バリー・ワッツ (オーストラリア)
【 1954 ~      】



ヴァルメ・フェイ・ベックは、3人の兄がおり、12歳の時に衣料品工場て働き始めた。

ベックは1961年から1972年の間、パースの刑務所内で多くの時間を過ごした。

この時、刑務所でキャサリン・バーニーと出会い強く影響を受けた (ただしこの時キャサリンはまだ殺人を犯していない) 。

その後、ベックは2度結婚し6人の子供を生んだ。

1983年、ベックはバリー・ジョン・ワッツと出会い、1986年に結婚する。

孤児であったワッツには前科があった。


1987年11月27日午後4時30分頃、オーストラリア・クイーンズランド州で、女子高生シアン・ギンギ (12歳) が、放課後、母親と買い物に出掛けた。

その後、ギンギは1人で自転車に乗って公園を通って家に帰った。

母親が家に到着するが、ギンギは戻っていなかった。

ただ、母親はギンギが学校やバレーボールチームの友人に会っているのだと思い特に気にしなかった。

しかし、遅くなっても戻って来なかった為、心配した母親が友人の家に電話をかけ始めた。

午後8時を過ぎると、両親はギンギが通ったと思われる道を探し始め、公園で捨てられたギンギの自転車を発見する。

両親は警察にギンギが行方不明になったと報告した。

警察への報告が遅れたが、警察はすぐに行動を起こし、ギンギに関する情報を翌日の新聞に挿入する事が出来た。

警察は自転車が見つかった公園でギンギの情報収集を開始する。

しかし、警察の行動はそれまでで、その後は特に捜査を行わなかった。


同年12月3日、ティンビアーワ山のキャスタウェイズクリーク近くでギンギの遺体が発見される。

ギンギはナイフで刺され首を絞められ殺害されており、強姦されていた。

警察が捜査を再び始めると、犯行現場近くで埃を被った1973年製の白いホールデンキングスウッド・ステーションワゴンを見たという目撃情報を得る。

その後、数週間かけて捜査を進め、証拠を収集し不審車両の所有者がベックであると確認された。

ベックは1年前にワッツと結婚し、パースに住んでいたが、クイーンズランド州ローウッドに引っ越す前にビクトリアに住んでいた。


同年12月11日、警察がローウッドの施設を訪れた時、染料キットと髪を切った跡があり、容姿を変えていた事を示唆していた。


翌日の12日、警察はベックとワッツを逮捕し、14日にクイーンズランド州に引き渡した。


同年12月15日、2人はギンギの誘拐、強姦、殺人で起訴された。

尋問に対してワッツは無言を貫いたが、ベックはお喋りであり、犯行について告白した。

ベックはワッツと10歳離れた年上であり、その為、ワッツは若い処女を強姦する夢を抱いていたと説明した。

犯行当日、イプスウィッチでベックとワッツは何人か声をかけた後、ベックはギンギにいなくなったプードルを探して欲しいと自転車を止めて声をかけた。

ギンギが自転車から降りると、ワッツがギンギを後ろから掴み、後部座席に押し込み拘束した。

ベックがティンビアーワまで約12km車を運転すると、ワッツはギンギを強姦し、刺した後に首を絞めると近くの小川に捨てた。


1988年4月の公判で、ベックは誘拐と強姦に関しては罪を認めたが、殺人に対しては無罪を主張した。

ワッツは全ての罪で無罪を主張した。

裁判はワッツがほとんど言葉を発しなかった為、ベックの証言をもとに裁判は進められた。

ベックの裁判は同年10月から始まり、ワッツの裁判は1990年2月から始まった。


1988年10月20日、ベックは有罪となり懲役3年と5年、最低14年は仮釈放がない終身刑をそれぞれ言い渡された。


1990年2月28日、裁判中ほとんど無反応であったワッツも有罪となり、懲役3年と15年、終身刑がそれぞれ言い渡された。

刑務所に収監されたベックは他の囚人から目の敵にされ頻繁に暴行を受けた。

ある時、ベックはブリキ缶で頭を殴られ重傷を負った。

ベックは最終的にタウンズビル矯正センターへ収容され、この時期にキリスト教に改宗した。


1990年、ベックはワッツと離婚し、これまで一緒にいた事を後悔するが、1993年有罪判決を受けた強姦犯ロバート・ジョン・ファードンと交際を始めた。


1995年、ベックとワッツはヘレン・メアリー・フィーニー殺害の裁判にかけられる。

フィーニーはギンギが殺害される約1ヶ月前の1987年10月29日、最後に生きている姿を確認された後に行方不明となっていた。

ベックはフィーニーの遺体の処分を手伝ったと告白し、仮釈放期間を18ヶ月延長された。

ただ、ワッツは犯行を否認し続け、確実な証拠もなかった事から起訴を諦めた。


2007年、ワッツは仮釈放の申請が失敗に終わると、長らく沈黙を保っていたがギンギ殺害への関与を告白した。

ベックは2007年までに3度の仮釈放申請が却下された後、名前を正式に「フェイク・クランブ」に変更した。


2008年5月、ベックは心臓手術を行うが、その後、昏睡状態に陥った。


同年5月27日、結局ベックは意識を取り戻す事はなくそのまま死亡した。

警察はブリスベン地域で若い女性が3人殺害された未解決事件について、病床のベックに質問しようとしたが、結局叶わなかった (事件は今でも未解決事件となっている) 。


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                               シアン・ギンギ



《殺人数》
2人以上

《犯行期間》
1987年10月29日、同年11月27日



∽ 総評 ∽

妻が10歳上という事もあり、ワッツはより若い少女を強姦したいと日頃から願望を抱いていた。

だったらそんな年増な女性と結婚するなと言いたいが、12歳の少女を強姦して殺害している時点で若い女性云々はただの関係ないのは明白である。

いつも思うのだが、強姦という欲求を満たせるのは男だけであり、こういう犯行を甲斐甲斐しく手伝う女性の心理が理解出来ない。

ベックもワッツも元々犯罪者であり、ベックは刑務所にいた時に、かのキャサリン・バーニーと出会い影響を受けた。

キャサリンは後にデビッド・バーニーと結託して少なくとも4人の女性を殺害した鬼畜だが、この時は警察とのトラブルで刑務所に入っていただけで後のような凄惨な犯罪はまだ犯してなかった (ただしこの時にはすでにキャサリンはデビッドと出会っており惹かれている) 。

だが、おそらくこの時のキャサリンもすでに異常性が群を抜いており、そんなキャサリンにベックは共感したと思われる (ちなみにキャサリンはベックの7つ下) 。

そんなベックとキャサリンが、後に同じような犯罪を繰り返すというのは何という偶然であろう。

この2人の犯行はギンギの他にフィーニー殺害と他ブリスベンでの3件の未解決事件の犯人とされている。

フィーニー殺害はベックが死体の処理を手伝ったという証言をしているので間違いないと思われるが、3件の事件は何ともいえない。

ただ、警察がそうだと考えているからにはそれなりの根拠があるのだろう。

ベックはすでに他界しているのでどうしようもないが、残るワッツに拷問でも行って吐かせるべきだと思う。