チャイ・ヴァン (アメリカ)
【 1968 ~ 】
チャイ・ソウア・ヴァンは、1968年9月24日、ラオスで生まれた。
1980年、ヴァンは家族とラオスからアメリカへ移住し、カリフォルニア州に定住した。
ヴァンはサクラメントに住み、カリフォルニア州の州兵に入隊した。
ヴァンは結婚し、7人の子供が生まれた。
ヴァンはシャーマンであり、狩猟愛好家でもあった。
2000年頃、ヴァンは家族とミネソタ州セントポールへ引っ越した。
2001年12月24日、ヴァンの家から911に連絡が入る。
ヴァンが妻と喧嘩をし、娘の1人キアは自身の部屋がなかった為、喧嘩の一部始終を見ていたのだが、ヴァンが銃を持っていたのを目撃していた。
警察がヴァンを拘束するが、妻が捜査に協力しなかった為、起訴される事はなかった。
数ヶ月後、妻は5人の子供を連れウィスコンシン州ミルウォーキーに住む両親のもとへ引っ越した。
その後、ヴァンは2度目の結婚をするが、妻の首を絞めて窒息させようとした為、再び離婚する事となった。
2004年11月、ヴァンは2人の友人とその2人の息子と共に、鹿狩りとして人気のウィスコンシン州バーチウッド郡メテオへ向かった。
そこで鹿狩りを楽しんでいたが、このエリアは公有地と私有地が混雑する複雑な地域であった。
ヴァンは後に私有地に足を踏み入れた。
同年11月21日、私有地の2人の共同所有者の1人テリー・ウィラーズ (47歳♂) は狩猟仲間約15人と小屋に集まっていた。
テリーが小屋を出た時、テリーはヴァンが近くの鹿スタンドに座っているのを目撃する。
テリーは仲間に携帯ラジオを使って、キャビンの仲間に誰かスタンドにいるか尋ねた。
しかし、スタンドには誰もいないと返答があった為、テリーはヴァンに近付きスタンドから離れるよう促した。
ヴァンは謝罪し、敷地内の森林地帯を通る小道に向かって南に移動し始めた。
テリーからの無線を受け取ったロバート・クロトー (42歳♂) は「スタンドに居るのが誰か確認しよう」と言い、それを聞いたデニー・ドリュー (55歳♂) が「面白そうだ。行こう」と述べ、数人のハンター達とATV (バギー) に乗ってスタンドへ向かった。
この時のメンバーは、ドリュー、ロバート、ロバートと息子ジョーイ・クロトー (20歳♂) 、マーク・ロイド (28歳♂) 、ローレン・へセベック (47歳♂) であった。
スタンドから更に下ると歩いているヴァンを見つけ近付いた。
テリーも合流し、ボビーは報告する為にヴァンに狩猟免許番号の提示を求めた。
しかし、ヴァンとの口論が起こると、それは激しく暴力的になっていく。
そして、6人の中で唯一武器を所持していたテリーに向かってヴァンは銃を構えた。
テリーは逃げ出し、ヴァンは背後からテリーを撃つが当たらず、2発目がテリーの左下の首に命中した。
ヴァンはすかさず他のメンバーに銃を向け、地面に倒れたロイドを撃って射殺した。
次にヴァンはドリューを撃って射殺すると、逃走したへセベックを追いかけた。
そして、追いかけながらヴァンは至近距離からへセベックを3発撃った。
へセベックを射殺したと思ったヴァンは、逃げたロバートを追いかけた。
ロバートは逃げながらトランシーバーでキャビンに連絡し、アラン・ラスキ (43歳♂) に銃を持って来るように連絡した。
ヴァンはロバートを見つけると発砲し、最初の銃撃は失敗したものの、2発目が胸に命中しロバートは即死した。
ヴァンに首を撃たれ体の感覚を失っていたテリーは、感覚を取り戻すとキャビンに助けを求めに向かった。
ヴァンは小道を逃げて行ったジョーイを追いかけ、見つけると約65ヤード (約60m) 離れた所からジョーイを撃った。
銃弾は腰に命中し倒れると、ヴァンはジョーイに近付き背中を2発撃ち、最後に頭を撃って射殺した。
ヴァンはATVが近付く音を聞き、小道の近くに隠れた。
ATVにはラスキとテリーの娘ジェシカ・ウィラーズ (27歳♀) が乗っており、武装していると思ったヴァンは車が通り過ぎるのを待った。
そして、ヴァンはジェシカを撃ち、ジェシカの腰を吹き飛ばした。
続けてラスキを撃ち、銃弾は腹部に命中した。
ヴァンは2人に近付くと、まだ息のあったラスキの心臓を背中から撃って射殺した。
ラスキを射殺すると、叫び声を上げ助けを求めているジェシカを背中から首と頭に向かって発砲し射殺した。
ヴァンは全ての人間を殺害したと思っていたが、へセベックとたまたま鉢合わせてしまう。
ヴァンは、
「お前はまだ死んでいないのか?」
と言うと、へセベックがテリーのライフルを構えようとした時にヴァンがへセベックを撃った。
銃弾はへセベックの左腕に命中した為、へセベックはライフルをヴァンに向ける事が出来なかった。
しかし、へセベックはなんとか撃ち返そうとライフルを構えるが、自分の銃ではない為扱いに慣れていなく、安全装置を外していなかった。
だが、安全装置を外しなんとか構えて1発撃った。
へセベックはヴァンのライフルからわずかな金属音を聞き、ヴァンはその場から逃げ出した。
ヴァンは持っていた弾薬を全て捨て、他に誰も撃ちたくないと思っていた。
最終的にATVに乗る別のハンターグループと出くわし、ハンターがヴァンに車に乗る事を促し、ヴァンを小屋まで連れて行った。
ヴァンは銃撃から5時間後、キャビンに戻った時に逮捕された。
ヴァンはソーヤー郡刑務所に移送され、保釈金は250万ドル (約2億7000万円) に設定された。
銃撃につながった理由についてヴァンは、テリーが約100フィート (約30m) 離れた所から初めに撃ってきた為、自衛の為に銃撃したと述べた。
2005年9月10日、裁判が始まると、へセベックはヴァンが撃つ前に誰も発砲していないと証言した。
ヴァンは口論となった時に他のハンター数人に「chink (中国系の人を指す差別用語) 」または「gook (アジア系の人々を軽蔑する為に使用される用語) 」と言われたと主張した。
へセベックはロバートが実際スタンドでヴァンを「Hmong a-hole (モン族の穴) 」と侮蔑していた事を認めた。
また、へセベックはかつてロバートが移民や難民を侵入者と呼び、問題を抱えていた事を法執行機関に訴えていた事も認めた。
刑事告発ではヴァンが4人を背中から撃ったとされていたが、ヴァンは1人だけだと述べた。
検察は数人に対して複数回発砲した事実を根拠に自衛の主張を否定した。
ヴァンは陪審員にハンターが自身にどのように近付き、それぞれを撃った際にどのような反応を示したかを詳しく話した。
ヴァンは繰り返し相手が無礼であった事を述べ、ハンターの内、3人は死ぬに値すると主張した。
ウィスコンシン州司法長官ペグ・ローテンシュラーガーはヴァンに
「クロトー氏は死ぬに値するか?」
と問うと、
「はい」
と一言答えた。
また、ラスキは銃を持っていてそれを使って命を脅かしたので死ぬに値すると続けた。
ヴァンは手と腕を使ってライフルを発射した時の様子を再現した。
同年9月16日、ヴァンは6件の殺人と3件の殺人未遂により有罪判決となり、同年11月8日、仮釈放がない6回連続の終身刑と懲役70年が言い渡された。
最後に撃った理由について述べたヴァンの発言で終わりたいと思います。
「私が彼を撃たなければ彼が私を撃っただろう」
《殺人数》
6人 (他負傷者2人)
《犯行期間》
2004年11月21日
∽ 総評 ∽
狩猟区域で次々と人が襲われ射殺されていく様はまるで映画や小説をみているようである。
しかも、狙われた方もハンターという構図である。
人間を狩るという点においてはアラスカで少なくとも17人を殺害したロバート・ハンセンと似ている。
ただ、ハンセンは狩りの標的自体を人間に定めて行った快楽殺人鬼であったが、ヴァンは個人的な怨恨、憤怒、証拠隠滅で行われており、その性質は全く異なる。
ヴァンの犯行は当然許される事ではないが、ヴァンにも言い分があった。
生存者が言っていた通り、殺された人物の中にはヴァンをアジア人として侮蔑した発言をした者もいた。
アジア人を下に見る西洋人は少なからず存在し、犠牲者もヴァンを見下していたのだろう。
それを感じたヴァンが暴走に至ったと思われる。
ヴァンは死刑とならなかったが、ウィスコンシン州ならどうしようもない。
ウィスコンシン州は1853年に死刑を廃止しており、これはミシガン州の1847年についで2番目の早さであった。
かのジェフリー・ダーマーもこのせいで終身刑となってしまった。
コメント
コメント一覧 (12)
生育環境ともともとの性格が事件の引き金になった事例ですね。
生育環境や殺した理由、司法制度は理解できますが、流石に終身刑は甘いです。
恨みなどが次第に快楽に変わっていった可能性も否定できないし。
差別や他国出身の人間という事に気をつかったのかもしれませんね。
アメリカ人のアジア人を見下した結果が招いたともいえますね。
仮に死刑が廃止されたら犯罪率が上がりそうですね。
米国、イスラエル(パレスチナは死刑制度あり)はテロがあるのに 死刑が無い州があるのは おかしいですよね。
人口が多い国 日本、中国、ナイジェリア、バングラデシュ、インド、パキスタン、インドネシアは 死刑制度が残っているのに…
間違いなく上がりますよ。
再犯される可能性が上がるわけですし。
供述によると男は「車を傷付けられると思った」という動機で、
車に護身用として積んでいた鉈で切り付け、殺害したとされます。
しかし犯行後に「気持ち良かった」と犯行を知人にひけらかしています。
男は犯行3日前に飲酒運転で逮捕されており、事件後の家宅捜索により、
無登録の日本刀が見つかった為、銃刀法違反にも問われています。
恐らく、飲酒運転で捕まった腹癒せに、最初から殺すつもりで鹿を殺したのだと思います。
奈良公園の鹿は人を恐れておらず、殆ど無抵抗だったと思うし、
横断歩道で信号待ちもするし、地元の人からとても大切にされています。
昔から神聖な動物であり、その昔、紙を食べられると思って、
誤って硯で鹿を殴り、死なせてしまった12歳の少年が、
その鹿と共に生き埋めにされ、処刑されたという悲話もあります。
男は恐らく執行猶予だと思いますが、鹿を可愛がっていた人達の事を思うと
やるせないですね。
ろくでもないチンピラみたいな輩ですね。
ただ罰は残念ながらそんなものでしょうね。
ただまぁ正直被害者にはあんまり同情できないですねいつものようにアジア系にちょっかいだしてやろうとしたら相手がイカれた奴でぶっ殺されただけですものね。
当然やりすぎですよ。
ただ本当に見下した態度で接したんでしょうね。
その差別した人間だけ撃つならまだ同情出来ましたね。
あまりにひどい、殺されても文句言えないな。
そう言えばラオス系の凶悪犯罪者は初めてですね。
初めてですね。
まあ犯罪自体はアメリカなので何とも言えませんが。
アジア人を見下して舐めた結果招いた惨劇ですね。
終身刑では軽いと思いますね。
その通りですね。
やり過ぎ以外の何物でもありません。