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ヨスバニス・バーレ (アメリカ)
【 1975 ~ 2009 】



1991年12月8日、ヨスバニス・バーレ (1975年9月7日生) は致命的な武器を使用して身体的傷害による暴行を加えたとして逮捕された。

有罪となったバーレは少年刑務所に収監された。


バーレは武器を違法に携帯したとして逮捕され、1993年7月に10日間刑務所に収監された。


バーレは禁止された武器を所持したとして、同年11月11日、懲役8年の刑が言い渡され刑務所に収監された。

バーレは警察官に対して身元を明かさなかったとして拘束され、1999年2月4日から30日間刑務所に収監された。

ギャングの一員であったバーレは、他4人の仲間と合流し、麻薬の売人であるホセ・ヨギ・ジャンコ (28歳♂) から強奪する計画を立てる。

バーレは計画を主導し、4人の役割を分担した。


同年6月7日午後11時頃、ジャンコのガールフレンドが家の外で犬が吠えているのを聞き、外を見ると男が立っており、薬を買いたい客ではないかとジャンコに言った。

ジャンコは外に出るが、バーレが銃を突き付け、ジャンコは両手を上に上げて戻って来た。

その後、銃を持った4人程の仲間が続き、家になだれ込んだ。

ジャンコはガールフレンドにバーレたちを見ないように告げると、バーレの1人が彼女の顔を布で覆った。

バーレたちはジャンコに麻薬とお金について尋ね、情報を入手するとジャンコを8、9回撃って射殺した。

その後、お金や麻薬、性的な写真、2丁のライフル、クッキー缶を奪ってバーレのアパートへ戻った。

ジャンコのガールフレンドはそのまま放置され、ジャンコの死体を見て911に連絡した。

そして、犯人に対する目撃情報を事細かに警察に話した。

その後、警察は男たちの1人を特定する。

バーレは刑務所内外で暗躍したギャングのメンバーであったが、犯行について周囲に自慢して回った。


同年8月5日、テキサス州ヒューストンのギャングメンバー、レイモンド・デュナス () が殺害されるが、これはバーレによる指示であった。


同年8月15日、バーレはギャングのカルロス・エスカミラ () 殺害も指示した。


同年8月22日、バーレはコンビニエンスストアの駐車場でギャングのグレゴリー・ガルシア () をショットガンで射殺する。

その後、8月中にバーレとその仲間たちは逮捕された。

バーレは裁判が始まる前、独房に拘束されていたが、看守はマットレスに隠された自家製の武器を発見した。


2001年4月4日、バーレには死刑が言い渡された。

バーレの他の仲間たちには終身刑が言い渡された。


2009年11月10日、致死量の注射による死刑が執行された。

享年34歳。

バーレのスペシャル・ミールは、フライドポテト、ハラペーニョ・チーズ、ハンバーガー4つ、スパニッシュライスであった。

また、最後の言葉は

「私はジャンコを撃った事を否定し続けたが、上訴が却下された後は死刑を避ける為に出来る事はほとんどなかった。私は自分を責める。誰かのせいにするつもりはない。何故私が死刑になるのか十分に理解している。それが人生の現実です。ごめんなさい。心からお詫び申し上げます」

であった。

このバーレへの死刑執行は、2009年アメリカ全体の44番目であり、1976年に死刑が復活して以降、1180番目であった。

また、テキサス州としては2009年の21番目であり、死刑が復活以降、444番目であった。



《殺人数》
4人

《犯行期間》
1999年6月7日~同年8月22日



∽ 総評 ∽

バーレのようなギャングによる犯行はこれまで何人も紹介してきた。

殺人に躊躇いが皆無で、人の命に冷淡なのは共通しているが、唯一救いなのが基本的に相手もギャングだったり犯罪者な事だ。

バーレが殺害したのも麻薬の売人とギャングメンバーであり、勝手にやり合ってもらう分には世の中の不要な人間がいなくなって良い事である。

ただジャンコを殺害した際、何故かガールフレンドは殺さなかった。

顔を見られておりそれが後の犯人判明へと繋がった。

普通なら皆殺しにしそうなものだが、少しは良心があったのか関係ない人間は手にかけないというこだわりがあったのだろうか。