_20210220_114349
フランク・ガルシア (アメリカ)
【 1972 ~ 2011 】



フランク・マルティネス・ガルシア (1972年10月21日生) は、ジェシカと結婚し、テキサス州ベクサー郡サンアントニオでガルシアの両親と一緒に暮らしていた。

ガルシアとジェシカには2人の子供が生まれた。


2001年3月28日、ガルシアの家庭内暴力に苦しんでいたジェシカ (この時21歳) は、親戚に電話して子供たちと一緒に家を出ると話した。

すると、母親がガルシアの職場に連絡し、事情を話した。

急いで職場から家に帰って来ると、ちょうどジェシカが家を出ようとしている所だった。

ガルシアはジェシカをヘッドロックで掴むと家の中に引きずり込んだ。

その直後に警察官のヘクター・ガルサ (48歳♂) が到着する。

実はガルサはこの日の朝に家に1度来ており、2度目の訪問であった。

ガルサは家に入り、寝室で争っているガルシアとジェシカの間に入って2人を引き離した。

すると、突然ガルシアが振り返りイングラムM10 (Mac-10) でガルサの頭を撃った。

その後、ジェシカにも6回撃って射殺した。

発砲後、ガルシアは外に出て弾薬がなくなるまで周囲に適当に発砲した。

家の中に戻ると今度はAK-47ライフルを手に取り床に横たわって虫の息のガルサを再び撃って息の根を止めた。

そして、銃を持って外に出ると近くの小学校に向かい、ジェシカの叔父を撃って負傷させた。

銃撃を聞きつけたガルサの同僚の警察官が駆けつけると、ガルシアはAK-47ライフルを地面に置き、手を上げて降伏した。

ガルシアはガルサの頭を撃った事について、保護ベストを着ていた為頭を撃ったと話し、ガルサを撃った興奮でそのままジェシカも撃ったと話した。


2002年6月10日、ガルシアには死刑が言い渡された。


2011年10月27日、致死量の注射による死刑が執行された。

享年39歳。

ガルシアのスペシャル・ミールだが、テキサス州は執行される丁度前の月に廃止となった為、普通の食事が提供された。


最後に銃を置いて降伏する際、ガルシアが叫んだ言葉で終わりたいと思います。

「私は諦めた!」



《殺人数》
2人 (他1人負傷)

《犯行期間》
2001年3月28日



∽ 総評 ∽

この事件は当然ガルシアは許されないが、同居していた母親の罪も重い。

仕事に行っている息子にわざわざ連絡し、帰って来た事で悲劇が生まれてしまった (ただ、これ程の鬼畜なので、仮に家を出て行ったとしてもいずれ惨劇が起きた可能性も高いが) 。

録でもない母親であり、まさに「この親にこの子あり」である。

このガルシアの犯行は一見普通の家庭内でのもめ事が極まったよくある犯行に思えるが、かなり特殊である。

まず警察官が割って入らなければならない程のいざこざとなり、しかもその警察官を殺害した。

普通は妻を殺害して終わりだが、その後、家を出てわざわざ小学校に行き、ジェシカの叔父を撃った。

スプリー・キラーのような犯行であり、より多くの被害者が生まれなかったのが奇跡といえる。