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ウィリアム・ミッチェル (オーストラリア)
【 1971 ~      】



1993年2月21日、オーストラリア・西オーストラリア州グリーナフで、ウィリアム・パトリック・ミッチェルは大麻とメタンフェタミンをアルコールに混ぜた混合物を飲んで1日を過ごしていた。

そして、斧を持って車に乗るとカレン・マッケンジー (31歳♀) の家に向かった。

実はカレンとミッチェルはかつて友人同士であった。

しかし、最近、ミッチェルはカレンに拒絶されていた。

車の音を聞いたカレンの息子ダニエル (16歳) が外に出ると、そこには斧を持ったミッチェルが立っていた。

ミッチェルは斧で切りかかり、ダニエルを殴り殺した。

そして、家の中に入るとカレンがラウンジルームで眠っていた。

ミッチェルはカレンを斧で叩き殺すと屍姦した。

カレンにはアマラ (7歳) とカトリーナ (5歳) という2人の娘がいたが、寝室でぐっすり眠っていて外の騒ぎに全く気付かなかった。

ミッチェルは眠っているアマラとカトリーナも斧で殺害した。

警察官と法医学捜査官が殺人現場を精査し、証拠を収集した。


1993年3月5日、カレンらの葬式が行われるが、ミッチェルはその葬式に何食わぬ顔で参加した。

捜査の末、ミッチェルが容疑者に浮上し、警察は尋問を行った。

しかし、ミッチェルは犯罪を否定した。

すると、ミッチェルは自殺を図り病院に運ばれると、ついに殺人を告白した。


同年3月28日 (29日とも) 、ミッチェルは逮捕された。

このミッチェル逮捕について、ガブリエルという名で知られている超能力者が、殺人者を正確にプロファイリングし、名前と住所を言い当て、捜査を支援したと主張した。

しかし、警察も家族もその事を否定した。


同年、ミッチェルは4件の殺人と性的暴行で有罪となり、懲役20年が言い渡された。

だが、この判決には多くの抗議が起こり、最終的に最低20年は仮釈放の可能性がない4つの終身刑が言い渡された。


2013年9月、ミッチェルの仮釈放が拒否される。

拒否した理由についてマイケル・ミシン司法長官は、地域社会の安全の為だと述べた。


2016年10月、ミッチェルは再び仮釈放の資格を得て、申請するが再び拒否された。

事件のあまりの凶悪振りに、死刑の復活を求める多くの国民の声が政府に届けられた。

この犯罪は「西オーストラリア州で最悪の犯罪の1つ」とされている。



《殺人数》
4人

《犯行期間》
1993年2月21日



∽ 総評 ∽

『The Greenough Family Massacre (グリーナフの大虐殺) 』と呼ばれ、西オーストラリア州最悪の事件の1つとされた。

その残虐振りは多くの国民が死刑の復活を望む程であった。

相手に拒絶された事を日頃なら恨んでおり、薬とアルコールで異常な高揚感に満たされた後に犯行に及んだ。

元々友人関係者だったのにどういった理由で拒絶されたのかはわからないが、この異常性を考えれば当然であろう。

だが、それが悲劇を招いてしまった。

恨んでいる当人だけならまだしも、その子供たちを容赦なく殺害するまさに鬼畜の犯行だが、そんな鬼畜は仮釈放の申請を何度も行った。

今の所、全て拒否されている為、外には出てないが、おそらくいずれ仮釈放されると思う。

再び犯罪を犯さない事を祈るばかりだ。