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リンダ・マルホール (アイルランド)
【 1975 ~      】



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シャーロット・マルホール (アイルランド)
【 1983 ~      】



リンダとシャーロットのマルホール姉妹は、アイルランドの首都ダブリンで生まれた。

父親をジョン、母親をキャスリーン (旧姓ワード) といい、姉妹は男3人、女3人の6人兄弟であった。

ジョンはキャスリーンに日頃から暴力を振るい虐待した。

リンダは学校を卒業後、結婚して4人の子供を生んだ。

だが、結婚生活はすぐに破綻し、離婚するとウェイン・キンセラという男性と交際を始める、


しかし、2004年7月30日、キンセラはリンダの子供3人を虐待し逮捕された。

キンセラには懲役7年が言い渡された。

シャーロットには薬物とアルコール乱用の過去があり、いくつかの軽微な罪で逮捕されていた。

母親キャスリーンはファラ・スワレ・ヌールと交際を始める。

ヌールは元々ソマリアに住むケニア人で、脅迫的な行動と虐待的な暴力を起こしていた。

1997年、精神障害のある16歳の中国人少女を強姦した。

また、ヌールは他にも2人を強姦し、強姦された3人共に妊娠し子供を生んだ。

ヌールは強姦を含む8件の罪で起訴され、その内3件で有罪判決となるが、刑務所に入る事はなかった。

1999年3月にアイルランド出身の子供の父親になった事でアイルランドの市民権を得て定住した。

ヌールはダブリン市内を転々と過ごし、2002年からキャスリーンと交際するようになった。

キャスリーンとヌールが2人でコーク郡に引っ越した。


しかし、2004年にキャスリーンとヌールがダブリンの家に戻って来る。

ヌールはキャスリーンを定期的に殴った。


2005年3月20日、リンダ、シャーロット、キャスリーンとヌールの4人でダブリン中心部で大量に飲酒した。

歩いてアパートへ戻る前に、ヌールはウォッカを購入し、キャスリーンはコカ・コーラを買った。

アパートへ戻ると、ヌール以外がエクスタシーを摂取した。

すると、ヌールがリンダの体に触り始め、耳に顔を近付け話し掛けた。

そして、ヌールがリンダの腰に手を回すと、リンダが手を離すよう言うがヌールは無視した。

それを見ていたキャスリーンが、ヌールに向かい

「私の為に彼を殺して!」

と叫ぶと、シャーロットがスタンレーナイフを取り出し、ヌールの喉を切りつけた。

ヌールが切られた衝撃で床に倒れると、リンダがハンマーを手に取りヌールの頭を何度も叩いた。

リンダとシャーロットがヌールを攻撃している間、キャスリーンをただ見つめたが、キャスリーンは攻撃に参加しなかった。

ヌールは少なくとも27回刺され殺害された。

その後、リンダとシャーロットはヌールを死体をバスルームへ引きずって行くと、そこで死体を解体し始めた。

リンダとシャーロットはナイフとハンマーを使って頭、手足、陰茎を切断した。

解体には数時間かかり、解体された体の部位は黒いビニール袋とスポーツバッグに入れローヤル運河に捨てた。

ただ、身元を判明されない為に頭部は運河に捨てず、バスでタラトまで運ぶとショーンウォルシュ記念公園に行き、そこで穴を掘って頭部を埋めた。

凶器のナイフとハンマーは近くの池に投げ捨てた。

数日後、リンダは公園に戻り、ヌールの頭を掘り返し、息子のランドセルに入れるとタラトのキリナーデンエステートの畑に運び、ハンマーで砕いてから再び埋めた。

ヌール殺害から10日後、ヌールの足が運河に浮かんでいるのが見つかり、ダイバーが体の残る7つの部位を含むほとんどを回収した (頭と陰茎は最後まで見つからなかった) 。

遺体が回収された当初は身元がわからなかったが、着ていたTシャツによりヌールと識別された。

そして、目撃者からヌールとキャスリーン、リンダ、シャーロットの3人が結び付く。


同年8月、キャスリーン、リンダ、シャーロットは逮捕されるが、殺害については否定した。

しかし、数週間後、リンダは捜査官に連絡し、殺人を認めた。

シャーロットはすぐに逮捕されるが、キャスリーンはイギリスに逃亡した。

キャスリーンが確認されるのは2008年1月であった。

リンダとシャーロットは殺人罪で起訴される。


リンダとシャーロットが起訴された後の2005年12月、父親のジョンが首を吊って自殺した。


2006年10月、裁判でリンダは過失致死罪で有罪となり、シャーロットは殺人罪で有罪となった。

そして、リンダには懲役15年が、シャーロットには終身刑が言い渡された。

判決を言い渡した判事は、
「私の仕事の中で起こった最もグロテスクな殺害」
と述べた。

リンダは精神的及び保護観察の報告なしに可決されたと控訴するが、判決は妥当として控訴は棄却された。

シャーロットも陪審員に評決に達するよう圧力をかけたという理由で控訴した。

しかし、弁護側が裁判中に異議を唱えなかった事、陪審員が過度な圧力の影響を受けなかったという理由で棄却された。


2008年2月、キャスリーンはアイルランドに戻り、警察に虚偽の情報を提供した罪など3つの罪で起訴された。


同年、シャーロットは刑務所で男性囚人の喉にナイフを (冗談で) 突き付けている写真が報道機関に流出すると、全国的な論争を引き起こした。

その結果、アイルランドの刑務所のセキュリティが強化される事となった。


2009年5月、キャスリーンには懲役5年が言い渡された。

余談だが、姉妹の兄弟であるジェームズは、2人の売春婦に対する強盗で有罪となっている。

ジェームズは自身の6人の子供と、リンダの4人の子供を育てる為に強盗を犯した主張している。



《殺人数》
1人

《犯行期間》
2005年3月20日



∽ 総評 ∽

『The Scissor Sisters (シザー・シスターズ) 』と呼ばれ、母親の交際相手を残酷に殺害したマルホール姉妹。

ただ、この事件は普通の殺人とは少し異なる。

リンダもシャーロットもとても聖人君子とはいえないが、殺されたヌールは数々の犯罪を犯してきた犯罪者である。

しかも、母親に暴力を振るい、当日リンダに触れ迫るという行為に及んでいた。

正直殺されても仕方のない同情の余地もない鬼畜である。

以前紹介したデフランシスコ姉妹は、ただ残酷で救いようがなかったが、この姉妹は相手が相手なので自身の欲の為に突っ走る凶悪犯罪者とは異なるといえる。

だが、個人的にも手放しで姉妹を擁護出来ない。

また、個人的には母親が気に入らない。

子供たちに殺人を促しておいて自分は国外逃亡する。

子供達の罪を1人で庇う気概はなかったのだろうが。

所詮、録でもない男しか見る目もない人間という事である。