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ライシャ・ランドラム (アメリカ)
【 1987 ~      】



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ロッキー・アルメスティカ (アメリカ)
【 1988 ~      】



ライシャ・ラテー・ランドラム (1987年7月23日生) は、ロッキー・アルメスティカ (1988年3月24日生) とアメリカ・フロリダ州タンパに住んでいた。

2人には生まれて間もない赤ん坊がおり、アルメスティカの父親と4人でアパートで暮らしていた。


2004年6月9日午後9時30分頃、ランドラムとアルメスティカはエミリー・アン・クレモンズ (16歳♀) をアパートに誘い込む。

そして、ランドラムとアルメスティカはクレモンズをハンマー、キッチンポット、ラジカセで少なくとも34回殴った。

顔を叩く際はハンマーを使用した。

その後、2人はクレモンズを毛布で包みゴミ箱に捨てた。

この時、クレモンズはまだ生きており、呻き声やゴミ箱を中を蹴ったりした。

すると、近所の人がゴミ箱から物音が聞こえると通報し、翌日の早い時間に保安官が到着した。

物音を聞いた住人はおそらくゴミ箱に閉じ込められた動物ではないかと言っており、保安官はゴミ箱を開けるとそこにはぐったりと動かなくなったクレモンズかいた。

保安官はクレモンズに話し掛けるか返答はなく、すぐに病院に搬送するが数時間後に死亡した。

警察が捜査を始めると、クレモンズがアルメスティカと以前交際していた事が判明する。

また、別れた後もアルメスティカとクレモンズは連絡を取っていた事もわかった。

そして、その日の内にランドラムとアルメスティカは逮捕された。

クレモンズへの暴行後、アルメスティカとランドラムは友人であるマーシャル・ワトソンを呼び、クレモンズの処理を手伝ってくれるよう頼んだ。

ワトソンが拒否し、911に連絡するよう説得していた。

また、近所の住人が撮影したビデオテープには、ランドラムとアルメスティカが何度もゴミ箱の様子を見に行っている姿が映し出されていた。

クレモンズは以前アルメスティカと付き合っていたが、その時に妊娠した事があり、流産していた事がわかった。

別れた後もクレモンズはアルメスティカの事を想い続けていた。

裁判でランドラムはアルメスティカとクレモンズの関係を知らなかったと話し、犯行前に1度クレモンズがアパートを訪ねて来て「子供を殺す!」と脅されたと話した。

そして、クレモンズに腹部を蹴られた為、殴って反撃するとアパートから出て行ったと話した。

クレモンズの母親ゴンザレスは法廷で
「娘はアルメスティカに夢中であった」
と話し、父親のブレットは
「娘にはアルメスティカに近付かないよう警告していたが、最悪の結果となった」
と述べた。


2005年1月11日、アルメスティカには仮釈放の可能性がない終身刑が言い渡された。


2006年2月20日、ランドラムにも仮釈放の可能性がない終身刑が言い渡された。

判決の後、ランドラムはゴンザレスに謝罪し、

「お詫びしたい。彼女を連れ戻したいがそれは出来ない。ごめんなさい」

と謝罪し、涙を流した。

しかし、その涙を見たブレットは、
「被告が流した涙は偽りの涙だった」
と語った。

ただ、判決についてはランドラムの家族もクレモンズの家族もコメントしなかった。

ランドラムの弁護士は判決が重過ぎるとして控訴した。

犯行時のランドラムの年齢、元々最初にクレモンズが仕掛けてきた事、それらを考慮されるべきだと主張した。

また、ランドラムとアルメスティカが黒人で、殺されたクレモンズが白人であった事が罪を重くしていると非難した。

しかし、控訴は棄却された。



《殺人数》
1人

《犯行期間》
2004年6月9日



∽ 総評 ∽

あくまで個人的な意見だが、クレモンズがアパートを訪れ「子供を殺す」と脅したというのは嘘だと思う。

仮にそうだとしたら何故、ランドラムとアルメスティカは警察に通報しなかったのか。

警察に通報するどころかわざわざ呼び出して残酷に殺害しているのである。

言っている事の辻褄が合わない。

個人的にはアルメスティカがクレモンズと別れても連絡を取っていた事から、アルメスティカの方がクレモンズを忘れられず、ランドラムと別れようとしていたのではないだろうか。

その事に怒ったランドラムがクレモンズを殺さなければならないとアルメスティカを強制的に殺害に参加させたのではと思う。

10代の嫉妬によるよくある殺人であるが、16歳に容赦なく仮釈放のない終身刑を言い渡すアメリカ司法は流石である。