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トール・ヘディン (スウェーデン)
【 1927 ~ 1952 】



トール・ヘディンは、1927年1月7日、スウェーデン・スコーネ郡カブリンジで生まれた。


1943年9月、ヘディンは家の近くにある地元の醸造所に侵入し、いくつかの麦を盗んだ。

これがヘディンによる最初の犯罪であった。

そして、ヘディンは犯罪を隠蔽する為に醸造所を焼き払った。

その後、ヘディンは地元の警察官として働き始める。


1951年11月28日、ヘディンは友人のジョン・アラン・ニルソン (32歳♂) とポーカーゲームをした後、ニルソンを斧で殴り殺し所持品を盗んだ。

殺害後、痕跡を消す為にニルソンの家を焼き払った。

ヘディンは地元の警察の代表として捜査に参加し、事件に関する全国メディアからの質問にも答えた。


1952年夏、ガールフレンドのウーラ・エステベリ (23歳) が、ヘディンとの婚約を解消した。

激怒したヘディンは、エステベリに手錠を掛け拘束し、銃を突き付け殺すと脅した。

この事でヘディンは警察を解雇されてしまう。


同年8月21日夜、ヘディンはエステベリを連れ戻そうとするが失敗し、その後、サクストルプへ移動し、自身の両親であるアルフレッド (74歳) とヒルダ (57歳) を斧で殴り殺した。

殺害後、家に火を放った。

30分後、ヘディンはエステベリが住んでいるスコーネ県ハルヴァのリタイヤメント・ホーム (自立した生活が可能な高齢者を対象として運営される住居施設) に到着する。

ヘディンは非常階段を登りエステベリが眠っている部屋に入った。

しかし、この夜、エステベリはその部屋におらず、かわりにアグネス・ルンディン (54歳♀) が眠っていた。

ヘディンはルンディンを斧で殴り殺し、続いてエステベリも殺害した。

その後、リタイヤメント・ホームの出入口を塞ぐと火を放ち逃走した。

この放火によって4人が死亡し、数日後に5人目が重度の火傷により死亡した。

死亡したのはベンタ (85歳) とエルナ (82歳) のアンダーソン夫妻、ニルス・ローソン (84歳) 、マリア・ニルスドッター (69歳♀) 、マリー・ピーターソン (80歳♀) であった。

警察はヘディン捜索を開始すると、ブロッサルプ湖近くで車を発見する。

車内にはヘディンの姿はなかったが、前の席に自殺のメモが残されていた。

メモには全ての犯罪についての詳細と、両親殺害についての理由が書かれていた。

両親を殺害した理由は、自身が犯罪を犯した後に苦しまない為であった。

また、ジャケットや財布も置いてあった。


同年8月22日、ブロッサルプ湖でヘディンの溺死体が発見された。

享年25歳。

回収されたヘディンの死体は、ルンド大学の解剖学研究所に運ばれ研究の対象となり、1974年に火葬されるまで施設に保管されている。



《殺人数》
10人

《犯行期間》
1951年11月28日~1952年8月22日



∽ 総評 ∽

『The Hurva Killing (ハルヴァの殺害) 』と呼ばれ、両親やガールフレンドを含む10人を殺害したヘディン。

両親の殺害や最後の放火も異常で許されざる動機といえどまだ行動としての意味はわかる。

ただ、友人の殺害だけは強盗目的だがよくわからない。

ヘディンは犯行後に放火に及んでいるが、これは最初の犯罪の時に放火した事で上手くバレずに済んだ為そうするようになったのだろう。

ヘディンは自身で殺しておいてその捜査を主導したが、まるでサスペンス映画のような行動であった。

ヘディンの家庭環境は詳細がなくわからないが、16歳で犯行に及んでいる所をみると、破綻した家庭であったか生まれもっての異常者だったのだろう。

こんな鬼畜が警察官になってしまったのは不幸な事だが、とっとと自殺してくれて良かったと思う (スウェーデンは1921年に死刑を廃止している) 。