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アリ・ヤネス (フランス)
【 1938? ~ 1973 】



アリ・ベン・ヤネスは、1938年 (1939年とも) 頃、チュニジアで生まれた (当時のチュニジアはフランスの支配下であった) 。

ヤネスは従兄弟のホチンと共に農業に従事していた。


1971年9月28日夜、ヤネスとホチンはガッティエールの町で、イタリア・カラブリア州出身のマラ家に侵入した。

妊娠8ヶ月のコルテマ・マラは、7歳の娘ダニエールと一緒に台所にいた。

コルテマの夫フランシスコは神父であったが、この時、仕事で不在であった。

アリはナイフで武装し、ホチンはハチェット (小型の斧) で武装していた。

アリとホチンはコルテマにお金を要求するが拒否した為、アリはコルテマの腕を刺した。

その後、コルテマとダニエールを2階の部屋に連れて行き、コルテマは2000フラン (約4万円) を渡した。

だが、それで満足しなかったアリは怒り、コルテマの頭を殴った。

コルテマは衝撃で意識を失い床に倒れ、怯えたダニエールは逃げようとした。

しかし、アリがダニエールを逃がさず、ナイフで滅多刺しにして殺害した。

コルテマの意識が戻ると、アリは更に腹部を刺した。

その後、アリとホチンは逃走した。

コルテマは意識が朦朧とする中、隣家を訪ねる。

血まみれのコルテマに驚いた隣人はすぐに警察に連絡した。

アリとホチンはすぐに逮捕された。


1972年、裁判が始まり、検察はアリには死刑を、ホチンには終身刑を求めた。


同年9月29日、求刑通りアリには死刑、ホチンには終身刑が言い渡された。

アリの弁護士はパリに行き、大統領ジョルジュ・ジャン・レイモン・ポンピドゥーに恩赦を求めた。


1973年5月12日午前4時、執行前に一杯のラム酒がヤネスに提供されるが、イスラム教であったヤネスは宗教上の理由でアルコールが飲めなかった為、代わりに一杯の水とタバコが与えられた。

処刑人はヤネスの髪を切り落とし、腕と足首をしっかりと縛った。

午前4時40分、ギロチンによる死刑が執行された。

尚、このヤネスの死刑執行は、ポンピドゥー大統領下で処刑された最後のフランス人であった。



《殺人数》
1人 (1人負傷)

《犯行期間》
1971年9月28日



∽ 総評 ∽

『The Slaughterer of Gattieres (ガッティエールの虐殺者) 』と呼ばれ、強盗目的で家に押し入ったヤネス。

ヤネスはギロチンにより死刑が執行されたが、ポンピドゥー大統領の下では最後に執行された人物となった。

フランスが死刑を完全に廃止したのは1981年であり、最後にギロチンで処刑されたのは1977年に執行されたハミダ・ジャントゥビとされている。

フランスは欧州の中では死刑廃止が遅い方であったが、この頃のギロチンをバンバン行っていたフランスに戻って欲しいものである。