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サルバトーレ・ペローネ (アメリカ)
【 1948 ~      】



サルバトーレ・ペローネはマリア・サレルノと結婚し、1985年、アメリカ・ニューヨーク州ニューヨークのスタテンアイランドに家を購入した。

夫婦は家の改修と増築を計画し実行に移した。

しかし、計画は中途で頓挫してしまう。

ペローネはサレルノと離婚すると、ブルックリンの女性と付き合い始める。

だが、直後からペローネは仕事を辞め、たまにパートタイムの仕事を行うが、常に家に滞在した。

そして、ペローネは奇妙な行動をとり始めた。

隣人の何人かはペローネの家の状態について苦情を述べ、それは市建設局に合計14件も行われる程であった。

近所の人達はペローネを1970年代に同じニューヨークで暗躍したデイビッド・バーコウィッツが『サムの息子』と呼ばれていた事にかけ、『The Son of Sal (サルの息子) 』と呼んだ。

ペローネは過去にスタテンアイランドとニュージャージー州で飲酒で捕まり、ペンシルベニア州では窃盗と嫌がらせで逮捕されていた。

2001年にペンシルベニア州でペローネを弁護した弁護士によると、
「彼は素直でとても人懐っこかった
と述べている。


2012年7月6日、ベイブリッジの衣料品店で店主のモハメッド・ゲベリ (65歳♂) の遺体が発見される。

ゲベリには1発の銃創が見つかった。


同年8月2日、衣料品店で店主のアイザック・カダレ (59歳♂) の遺体が発見される。

カダレは店の中で刺され撃たれていた。


同年11月16日、店主のラマトラー・ヴァヒヂポー (78歳♂) がプロスペクトロファーツガーデンの衣料品店で遺体で発見される。

ヴァヒヂポーは頭と顔、胸を撃たれていた。

全ての殺人が閉店間もない時間に行われ、店には従業員が1人しかいなかった。

また、狙われたのは中東出身の人物ばかりで、.22口径の銃で撃たれており、遺体は店の衣服で隠されてた。

これらの類似点から警察は同一犯による犯行と考え、2つの事件近くの防犯カメラに不審な男が映っていたのを発見する。


警察は映像を一般公開した後、同年11月20日、ペローネを犯人と断定し逮捕した。

翌日、ペローネのガールフレンドのアパートで .22口径のライフルと3本のナイフ (その内1本にはうっすら血が付着していた) が見つかった。

ライフルとナイフからはペローネの指紋が見つかり、弾道テストを行うと各犯行現場で回収された薬莢が同じ銃から発射された事が判明した。

ペローネは3件の殺人と3件の違法武器所持により起訴された。

動機についてだが、ペローネは以前、アパレル業界に自身の名前を残すという夢を抱いており、2007年に自身の名前で衣料品の商標登録をしていた。

そして、一時店を経営し成功した時期もあったが、結局は失敗に終わった。

その為、上手くいかなかった理由を他の衣料品店のせいにし、また、中東出身者が雇用を減らしているという逆恨みによる犯行とされた。

裁判が始まると、ペローネは3人の殺害を否認した。

ペローネは陪審員に

「私はこの瞬間を3年待った。私は皆に真実を知ってもらいたい」

と話した。


2016年3月4日、ペローネには懲役75年が言い渡された。

判決を言い渡したアラン・マーラス裁判長は、
「あなたがこれらの犯罪を犯したという事実に間違いない。この法廷には彼が犯罪を行わなかったと思う人は1人もいません」
と述べ、最後に
「あなたは幸運だった。ニューヨークには死刑がありません」
と付け加えた。

現在、ペローネはニューヨーク州クリントン郡ダニモーラにあるクリントン矯正施設で刑期を務めている。


最後にペローネが殺人について警察に話した内容で終わりたいと思います。

「世界平和を促進する計画と関係がある」



《殺人数》
3人

《犯行期間》
2012年7月6日~同年11月16日



∽ 総評 ∽

動機については本人が直接語っていない為、正確にはわからない。

ただ、衣料品店ばかりを襲い、しかも、中東出身者ばかりを殺害している事から警察の推測通りだと思われる。

ペローネはデイビッド・バーコウィッツの『サムの息子』にちなんで『サルの息子』と呼ばれたが、バーコウィッツ同様近隣住民から奇異と苦情を受け、犯行もニューヨークで行われた。

類似点が多い事がそのように呼ばれるようになった由縁だと思われるが、本人がその事をどう思ってたのかはわからない。

また、殺人について「世界平和を促進する計画と関係がある」と意味深な表現をしているが、まあ中身のない適当な発言であろう。